〈佐賀県佐賀市〉

↑さがし、ゲスい
じゃなくて
佐賀市の下水のマンホール蓋はムツゴロウですよね☆
左下の物には平仮名の「さ」を丸くしたデザインが施されています。
そして右下のガスのハンドホールには「ぱわわ」。カワイイんですけど

↑そしてやってきたのは…龍造寺隆信公誕生地!
誕生地がわかってるなんてすごいなぁ
https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=5235&cityId=8
↑隆信公誕生地について。

↑敷地の奥にはどーんと龍造寺隆信公碑!
ここまでは研修なんですけど…
その横に!

↑あ~神社見つけちゃったよ
小さな天満宮があり、血が沸き立つ
でも研修の移動中は、わたしは目隠しをすべきなんだろうな。神社が目に入ると、行きたい禁断症状が出ちゃうから

↑こま犬さんたち。
そして同じ敷地にL字型に配置された…

↑お稲荷さん2社🌾

↑朱い双子だ…と思ったら。
その左に…

↑石祠と、左の石碑もお稲荷さん🌾
4人きょうだいの、お稲荷さんみたいです🌾

↑そして
佐賀県に良く見るパターン!ほこら群!
これが醍醐味なんですよ、佐賀県の神社の
他の県や長崎県の離島は見ていないのでわかりませんが…。
現長崎市にもほこら群はありはします。でも整然として数も数えられるくらい。(複数墓石のピラミッドみたいな物は見たことあります)
佐賀県のほこら群は、言葉は悪いけど乱雑で(そこがいい)、数も数え切れないという印象を受けるほど多数です

↑そして明らかに我が長崎市と違うのはそう

↑中央さんの存在
もちろん他の神さまの石碑もありますが…。
以下「さがの歴史・文化お宝帳」より中央さんの解説。
この供養塔は、本来屋敷神として屋敷地の乾(イヌイ)の方つまり北西から艮(ウシトラ)の方つまり北東の角に祀られていたもので、その取り扱いは丁重でも粗末でも良くないとされています。
中央尊の信仰は肥前盲僧と呼ばれる玄清流の盲法師が広めたものと言われ、地神陀羅尼王子経による経典とされ、この経で説くところの荒神が大地の中央にあって四季の土用をつかさどると言われています。
建築等のため移転する時は、盲僧を呼んでご祈祷をします。また建築をする時は〆縄を張り、神域を設けて地鎮祭を行うことが、今も行われています。これは地神とか中央神に対する信仰の現れであります。
https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=825
そして敷地で祀れなくなった物をこうして神社にお遷ししているそうです。
