①養国寺と大神宮とまら観音
『領主松倉豊後守重政の要請でキリシタン対策として寛永(かんえい)8年(1631)に開創された。初代住職は頂譽。』
江戸時代、この地区の絵踏みもこちらで行ないました。
〈長崎市 網場町〉

↑バス通りからは1本内側なのでわかりにくいです。

↑階段の途中には沢山の石仏があります。

↑階段には新しい句碑や彫刻




↑ご本堂につくと、大理石のこま犬さん…両方お口があいているから中国獅子と見られます


↑梵鐘も由緒があるようです。

↑こちらの子育て地蔵尊や中国獅子も大理石。中国の雰囲気がします

アヒルちゃんやカービィや何かの怪獣も


↑ご本堂の裏には向かって左に大神宮(天照皇大神)。
と向かって右にまら大明神(観音)。
『下半身の病気や不妊、子どもの寝小便に効能をもつという。』
最近、お寺に行ってもブログにはしていません。ですが神社扱いされている対象があればブログにしています。
②稲荷神社
〈長崎市 網場町〉
『和銅(わどう)4年(711)に鎮座したと伝えられている。京都の伏見稲荷が総本社である。昔、周辺に狐がたくさんいたと伝えられ、近所にたんぼ、畑に利用される大きなため池があった。京都の伏見稲荷本社になじんで建てられた。第2次大戦終戦後まで、祠と鳥居の間の広場には拝殿があり、戦時中(第2次世界大戦)は軍が倉庫として利用していた時期もあった。その後、老朽化のため解体され、広場となっている。』
①の養国寺の近くです。墓地の片隅にあります。

↑きつねさんの土台は
昭和19年6月
山口県下松(くだまつ)市?と◯◯◯市の方の奉納のようです。

↑たまに見かけるレンガのほこら。

↑鳥居からのながめ

…も見どころですよね!神社って

眺望の良し悪しは関係ないのです。その神社が見てきた郷土の景色に思いを馳せる事が好きなのです。
それは大きな懐かしさ、見たことは無くても郷土の足跡に対する深い懐かしさ。
それがわたしの歴史好きの理由を構成しています。
☆今回の『』書きの文章はこちらから引用させていただきました。

