長崎市の神社に全部行くって大変です…



色んな意味で…(^o^;)
長崎には何で坂が多いんですか?
逆に坂の少ない町は
なぜ坂が少ないんですか?
答えは簡単ですね。地形的なもの。
こんな長崎市にも、人口が増えた時代があったので
お山を崩し住宅地を沢山作りました。
でも今は麓にマンションが増えてきていますね



↑拝殿は徹底的に朱いです!
またブログに「中に入れませんでした…」って書くのかなぁ~と思いながら撮影(^^)
神社を見ると同時に、ブログに書く文章はほぼ頭に浮かびます。
それをかなり削ります


↑拝殿わきには小さな鳥居が

右にうっすら稲佐山。

ライオンの横顔に見えました♪
でも本当は「金」とか「全」だと思いますが


↑元鳥居たちも。
先ほどの鳥居の跡と思われる所の物かな


↑柱の廃材には
小川町(こがわまち) ○山石材所
小川町は今はありませんが、小川町だった場所には同名の石材彫刻店があります。
(ネット情報)
関連があるのか未確認ですが、固有名詞は念のため伏せさせて頂きました。
以前のかわなみ屋さんはコマーシャルで余りにも有名だったので伏せませんでした。

↑水盤は
石に金属の水栓が突き刺してあります…!

↑年代は戊辰(ぼしん、つちのえたつ)。
戊辰と言えば普通は戊辰戦争が思い浮かぶと思いますが
その上に彫られた文字が、
どうも戊辰戦争の「慶応四」じゃなくて
「イ(にんべん)」と「五」です。
これは「文化五年」の戊辰ですね!
裏付けはとっていないけどたぶんそう。
と言うことはつまり

あのフェートン号事件のあった年です★


阿吽の呼吸で(合言葉的に)
「戊辰」と言えば「戊辰戦争」でいいですが
文化五年といえばフェートン号事件と自然と出る様にしてほしいのです


フェートン号事件については以前書いたので省略します(^^;)
ウィキペディアに載っています☆

↑裏口は神社のお隣の「佐古招魂社」の石碑がありましたよ

そしてまたまた台風が近づいています。
対策はしましたが怖いです。
被害が心配ですね…。