守れ命の水!本河内高部ダム☆ | 小さな幸せと長崎♡

小さな幸せと長崎♡

長崎市の神社へ全部行こうとするブログです♪
【只今到達率 99.9%】
※ブログにしていない物も含む。

それ以外にも行っています。

たまにほかの市も☆

❀ランニングもしています♪

長崎は実はコレラも日本発祥(?)の地ですキョロキョロアセアセ
(ドラマなんかでもお馴染みですねf(^_^;)

その時はもちろん今のように、外国船の入港を制限しました。
経済的ダメージを受けたのも今と同じです。
↑長崎は江戸時代、
倉田 次郎右衛門と言う方が私財を投げ打ち
(長崎奉行も資金援助)水樋を敷設しました。

うちの曾祖父は次郎衛門(^_-)


でも倉田さんが作った倉田水樋は汚物が混入しやすく、伝染病の菌も入り込んでしまう作りでした。
↑そこで明治期にこのように水路に石を敷き、
下水道の整備を指示したのが
↑長崎県令 日下 義雄(くさか よしお)でした!
(会津藩出身)

合格県令…県の長官。知事に相当。

そしてもちろん上水道の整備も必要でした。
↑今はダムや浄水場など当たり前、の

水の衛生観念ですが

昔の人々の意識は低いのが普通(数が多い)でした。
↑左は妙相寺川
右は御手水(おちょうず)川。

本河内(ほんごうち)高部ダムは眼鏡橋のある
中島(なかしま)川の上流です(^-^)
↑「タンデム型」のダムとなっていますニコニコ

明治期に作られた旧ダムを埋め、
(今は写真の通り芝生の公園)

昭和57年7月23日の長崎大水害を経て

すぐ上流に二重になるように
今の本河内高部ダムが作られました。
↑参考:少し離れた下流には
「本河内低部ダム」が有りますニコニコ

(全体を見に行けなくて残念アセアセ)
↑旧ダムの給水塔頂部。

ダムや水道の敷設は、
それはもう長崎人は大反対プンプン!

税金の負担も大きいし…
衛生観念も低いし…
↑こちらは旧ダムの導水隧道(どうすいずいどう)の遺構。

合格隧道(地中を通る細長い構造物。トンネル。)
↑水道の整備には長崎水道の父、
じげもんの長崎区長金井俊行(かないとしゆき)も尽力。

長崎商人たちが公益のために積み立てていた
貿易五厘金を全額投入し

そして我が国初と言われる地方債も発行し
吉村 長策と言う技術者にも恵まれてキラキラ

明治24年
本河内水道施設(旧ダムや上水道)の完成となりました爆笑

大変な反対や困難を乗り越えて作られた近代水道ですが

実は上水道からの水は臭いがあり注意

えー「水道の  水を亭主がすすむれど

風味臭か(日下)と

家内(金井)逃げ出す」

などと皮肉られたとか…?キョロキョロアセアセ
↑さて貿易五厘金はその後解散しますが

鎮西大社のお諏訪さんには記念碑がありますよニコニコ
↑そうそう…
前回の白髭稲荷の前方(本河内高部ダム内)には

渇水などの時にだけ見られる、

「幻の石橋」山口橋も沈んでいるんですよウインク

参考資料
「わかる!和華蘭」
「ヒロスケ長崎 のぼりくだり」

似顔絵 ぱんだラン