外海の大野集落 | 小さな幸せと長崎♡

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世界文化遺産、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成資産の1つ、外海の大野集落を訪れました。

少し前に書いたキリシタン神社、枯松神社の方面です(^^)
↑まず坂の洗礼を受け、大野教会堂へ。

長崎はだいたいどこも坂道ですけど爆笑


マリア像が見守ります。

↑教会堂の壁にご注目ください!
建物としても非常に興味深いです!

こちらは「ド・ロ壁」と言います。
マルク・マリー・ド・ロ神父が伝えた壁です。

石垣のような壁は、近くの大野岳から産出の玄武岩を砕いて積んでいます。
大きさは様々で、地震や恐らく台風にも強くできています。

そして隙間には、ド・ロ神父が伝えたコンクリートの原理の、「赤土+石灰+砂」をまぜた物が使われています。
(今は恐らくモルタル←セメント+砂で補強されています。)
ド・ロ神父は明治の人ですが、今も教会堂はしっかり建っています。

※対照的に長崎市伊王島町の灯台記念館は、無筋コンクリート(セメント+砂+砂利・砕石)で、地震があれば倒れる作りだそうです(^-^;

どちらにしても長崎市は地震が少ないですけどね。
油断はしていませんが。
↑教会堂の裏の石垣は石垣の隙間に「アマカワ」が使われています。
(赤土+石灰+藁すさ)
ド・ロ壁ではありません。

アマカワは雨に溶けやすく困り物なので、ド・ロ神父が工夫してド・ロ壁を製作指導してくださったそうです。地元の赤土と玄武岩を使って地産地消ですね!
ちなみにド・ロ神父はフランス人です。

アマカワは天川と書き、石灰であり、昔天川(マカオ)から長崎へ運ばれて来たからその呼び名になったとか。
石垣のアマカワは「アマカワ+赤土」と言うことですね(^^)

↑教会堂を離れ、角力灘を見渡します。
晴れていたら美しすぎて、あなたの心ピンクハート持っていかれたかもキラキラ
遠藤周作もその一人…みたいですよニコニコ

↑次に、大野教会堂近くの「辻神社」があります。
教会堂常駐のガイドさんに伺うとキリシタン神社とのこと。
扁額はよくある八幡大菩薩ですが。

右の木にびっくり!


↑2の鳥居。木製です。

扁額?が右側に寄せられていますf(^_^;

そして鳥居があったであろう基礎部分もあります。
↑社殿の内部です。
↑社殿の横、双体の石造物(これはなんでしょう~?)
と八幡…菩薩?と読める石!んー?大菩薩じゃなくて??

そしてまた内部が無い木!

↑その木の奥に、祠と「マリア」と彫られた石びっくり

キリシタン神社ですね~!
でも恐らく江戸時代よりは新しい時代のものの様な気がします。
何となく…。

このマリアの石は隠れるようにひっそりと安置されていました。


↑次は辻神社からまた少しだけ離れた大野神社です!
一の鳥居(上)と二の鳥居です!

こちら昨年も来たことがあるのですが、肥前鳥居じゃないからと写真も撮らず、ブログにもしていませんでした(^^;
(昨年は肥前鳥居だけを探していました。)
↑由来です。
真言宗多羅宝円寺の勧請によって羽黒大権現が建立されたとあります。

↑御本殿と拝殿です!
こちらもガイドさんにキリシタン神社と伺いました。

そう言えばジャニーズの嵐のメンバーの名字と同じ神社が日本各地にあるそうですね(^-^)
こちらもそうですね。
↑泉だった所と、謎(?)の石と、舟形の水盤です。

特にキリシタンの、痕跡はありませんでした。
それもそうで、何せ潜伏しなければならなかったからですね。
強いて言えば、泉が洗礼を思わせるくらいでしょうか。

↑そして最後に大野神社ちかくの門(かど)神社です!

こちらも島原の乱の落人を祀ったキリシタン神社とか…。
↑金守神社と彫られた祠もありました。

↑気になるのはこの「サツマノ人」と彫られた祠です!
(裏に年代が大正と彫られていて、島原の乱とは関係無さそう…?)

もしかして神道形式のお墓でしょうか?ここまでガイドさんに聞けば良かった~えーん


さて今回は教会1つ、神社3つ回りました。
合計4つ…ではありませんね。
これはもう1セット、1つです。
だから大野「集落」として世界遺産の資産になったんですね…。

キリシタンの潜伏と、禁教令の終焉とその後の信仰の別れ…。(潜伏信仰を続けた人々と、カトリックに戻った人々がいます。)

神社で祈り、心の中にはキリスト教。
明治になって禁教令が解かれ、教会へ。
またはそのまま先祖から受け継いだ潜伏信仰を続ける。

人々の信仰の歴史って深い。
神社と教会の関係性を考えると、思わず外海の歴史に唸ってしまいます!!