今回は長崎県諫早市にやって来ました♪
本当はコーンがいいのですが、ゆっくり味わいたいのでカップで

お味はもちろん

他にもヨーグルト等を沢山購入\(^^)/
途中、肥前長田駅の横を通りました。
写真は撮れませんでしたf(^_^;
肥前長田駅には昔、原爆の負傷者が運ばれて来ました。
以下生死に関わる生々しい描写があります。
体調を崩される場合もありますので、苦手な方は本当に読むのをご遠慮ください。
原爆投下後、長崎(今の赤迫や六地蔵バス停辺りまで燃えていたので、その手前)から負傷者を乗せた汽車が肥前長田駅へ到着しました。
当時の女子青年団員の方々が懸命に負傷者の看護をしました。
中には頭が割れて脳が露出しているのに歩いている負傷者もいて、祖母が「大丈夫ですか?」と声をかけると、その負傷者は「大丈夫です。」と答えました。
そしてその負傷者は翌日に死亡。
毎日沢山の負傷者が亡くなり、火葬するにも燃料不足の当時。
なので油分が多くよく燃える松葉を燃料に火葬しました。
そして最期だからせめて良い着物を着せてあげようと、着物を集めて御遺体の上にかけ荼毘に伏しました。
長崎市の爆心地から離れた諫早市でもそうやって、女子青年団員は二次被爆と言う形で被爆しました。
恐らく複写?
赤いラインに肥前長田駅と記載。
(ぱんだラン私物。)
女子青年団員はこの原爆手帳の申請を渋ったそうです。
なぜならその後の縁談で被爆者差別されるからです。
私の祖母は強く勧められて、戦後25年たってようやく申請しました。
諫早に来ると祖母の昔話を思い出します。
祖母は昔のことはよく覚えています。
…さてそろそろ諫早神社を見ていきましょう。

↑まず多良街道の説明。
諫早市の本明川が大川と書かれています。
多良って「良いことが多い」って意味かな


↑諫早神社の鳥居の柱は継ぎ目のうっすら見えるコンクリートみたいでした。
他は高くて確認出来ませんが…

以前は肥前鳥居があったそうですが、諫早大水害で流失したとのことΣ(ノд<)
肥前鳥居で再建しなかったんですね( ;∀;)

↑境内には神社を守るように巨木が!
もちろんクスノキです!
クスノキってホントによく育ちますね


手前の狛犬…石は紙や木より耐久年数があるとはいえ、時を耐えているのが伝わってきます。
狛犬や鳥居や燈籠は用途が用途なので仕方ないですが、風雨にさらされていますね。
他の素材の古いものは資料館等に大切に保管されて、普通は素手で触れることすらできないのに。
(博物館に展示されている石製品もあります。)
神社の石造物は誰でも素手で触れます

今回は神社よりこちらを見に来たようなもので

水害で流失した肥前鳥居の柱等だそうです

ちょっと諫早市さん詳しく説明してくれませんか

赤のラインをひいた所には、現代的にアラビア数字が刻印されており、河川工事か何かの際、何かしらのカウントをしたのかなと思いましたが…。詳細不明です

それでもこうして遺されているものを見られるのってとても良い経験ですね。
見られて良かった。
もちろん大楠に守られた諫早神社も良い雰囲気でした。庭園が復元されたらもっとよくなりますね

復元されたらまた訪れたいものです

またまた情報を頂いたブロ友(自己申告
)のけんけんさんありがとうございました



そのランニングコースに歴史ポイントがよく出てきます

私が行ったことの無いポイントがいっぱいで


リブログの記事以外にも掘り出し物
な記事が楽しめますよ

