キリシタン神社!枯松神社 | 小さな幸せと長崎♡

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長崎県長崎市下黒崎町(西彼杵半島)の枯松神社へいきました。

合格今回神社記事なのに、キリスト教の話満載です。
昔個人的に勉強した事に基づいて書いていますので、専門の方や、キリスト教徒の方が読むと、今と見解が違っていたり、普通に間違っている点があるかもしれませんあせる

さてこの辺りはマーティン・スコセッシ監督、遠藤周作原作の映画「サイレンスー沈黙ー」のトモギ村の舞台にもなった所です。

世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎に関する世界遺産の登録名は、長くても暗記していますラブラブ)の構成資産の、外海の出津、大野集落も近いです。


↑近くの公園に車を停めて、石段を登ります。
すぐ着きます!

諫早の愛宕社の石段に比べると、遥かに登りやすいです!!
幼児でも登れます。でも蚊に注意!!
さらにどんな安全なところでも、子供の安全は保護者が守るのは書くまでもないことですが。

黄色い花秋になっての神社巡りは気持ちいいですよねキラキラ
↑サン・ジワン神父を祀っています。

サンと付くから聖人なのでしょうか?

一般的にジワン神父は江戸時代初期の日本人伝導士、バスチャン(洗礼名)の御師さんと言われていますが、バスチャンも伝説の多い人物なのですあせる

この二人は政治家ではないので日本に「公式」な記録が無いですし。(資料があってもそれは昔の人が自由に書けるもの。



晴れ神社建立は、明治になってからと書いてあります。
鳥居はありません!

明治になって建立したなら、もっと教会堂らしくても良かったのでしょうけど…、
予算の関係や、それまでの密かな信仰のカタチなのかも知れませんね。

それにジワン神父の生存していたと思われる時代と建立の年代に差があります。
(実際の師と、師とあおいでいた、は両方とも師と言えるのも悩みの種)
私は江戸時代にひっそりと心の拠にしたと思っていました。
建立前から密かに聖地だったのでしょうか。

いつか地元のガイドさんに、質問攻めしなければ…。


説明書きには、淵神社の桑姫大明神と、おたあね大明神とこちら枯松神社がキリシタン神社と知られる、と書かれています。

でも探せば他にも(長崎県以外でも潜伏キリシタンは居たそうですし。)キリシタン神社はありそうです。
でも公にしないことが、やはり密かな信仰の継承なのかも知れませんね。


いつもキリシタン神社について考えるとき思うのは、
神社は古事記と日本書紀の神々、それ以外の神、実在の人物などを祀っていますよね。

キリシタンや外国人宣教師も例外ではないのですね。

神社と言う信仰の形は日本人に染み付いたものなんだなーと、(一般的に言われていることですけど(^^;)改めて思わされます。

よく書けば神社は宗教の垣根を越えているし(しかし各宗教と、互換性は無し。)、悪く書けば誰でも祀ってしまう。

でも元の宗教(ここではカトリック)の教理に反していることもあり。
=崇拝の対象にならない人物も祀っている。(桑姫、おたあねなど)

この辺はキリスト教側からみたらどうなんでしょうねえ。
自分達の宗教の人物を、他の宗教が違う仕方で祀るって。

外国人宣教師のジワン神父ご本人は祀られて困っとらすかも知れませんあせる
あ、でも聖書には
死後の魂は無いみたいな事が書かれていたから困ってないか…。

枯松神社の存在を批判しているのではありませんよあせる

枯松神社を見て、神社は突き詰めれば、お墓や仏壇の位牌的な面もあるように思えてきます。

埋葬地と、それとは別にお参りするお墓を用意することを両墓制と呼びますが、神社は二つどころかそれ以上に勧請されて、同じ祭神に参拝できる神社が沢山あります。

なので似ているかなと思いました。
私的見解ですチュー

堅苦しいことを書きましたが、神社と言う表記だけど教会堂でもあると思われる枯松神社です!

うん、やっぱり長崎は実に興味深いです!!

(自分でも何を書いているのやら、わからなくなってきました(^o^;)
とにかくサン·ジワンの事が知りたい!)


↑石段を数段登ると分かれ道が。
どこへ続いているのでしょうか?
倒木もあって引き返しました。
↑結晶変岩の石垣。(キラキラした鏡面のような、薄く剥がれやすい石の塊。
粉末は天然のラメです。)

長崎市街地や佐賀県内で見た石垣とは違う岩石です。

この西彼杵半島はこの結晶変岩の石垣が多く見られます。(平べったくなったお餅の大きいバージョンのような石がつまれています。)

もろいので、子供でも擦ると削れます。
手がラメだらけになってキラキラしますキラキラパー
お化粧には使わないでね唇

↑その結晶変岩の祈りの岩です。
悲しみの節にオラショという祈りを唱えたそうです。

悲しみの節とは、キリストが亡くなって復活祭までの日曜以外の期間をさすそうです。

この亡くなったキリストが生き返るというのは、人間として生き返ったのではなく、神の子として天での命として復活したと言う事らしいです。
なのでいまでも天にキリストがいると言う事だそうですよボトル赤ワインジンジャーブレッドマン


↑石段が途中から、木の根の階段になっています!
こういう木の根の階段はたまに見かけますが、これは偶然に出来るのか、石段を作ると木の根が必然的にこうなるのか…?
↑普通の蛇口です。
↑拝殿(本殿の無いタイプ)

すーごい蚊が寄ってきます!

こちらは市指定史跡ですが、特に観光する所ではないので、私は長崎学の勉強の一環で訪れました。
↑内部のようす。
祠にサンジワン枯松神社と彫られています。

右の旗は「正」の墨書きが見えます。もしかして「祝 出征」の旗でしょうか?
そうならキリシタン神社なのにと正直違和感を覚えてしまいますけど…。

もちろん地域の方々の神社なので、余所者の私がアレコレ言う権限はありませんが、正直に感想を書きました。
もちろん批判でもありません!
↑ひしゃくと木の蓋がありますので(気が引けて開けていません)、中には水を貯めるようになっているのかな?

蓋には小石で十字が。
これは神社としてはとても珍しいと思います!
神社で卍があるのはよくありますが…。

少し前の「世界不思議発見」で、確かこちらのキリシタン墓が紹介されていました。

そのキリシタン墓も有りました。
しかし、個人的なお墓だと思うので写真は控えさせていただきます。

こちらの神社はいまでこそアスファルトの道路で真近までこれますが、昔はほんとに山奥。

この場所に、石垣に使うのと同じような形の墓石を伏せたお墓がある。
いつできたのか、一見気付かないような十字を彫った墓石がある。

もしかしたら墓石すらないお墓もあるでしょう。





↑しめ縄の跡のような模様のある石がありました。
ひょっとするとヘブライ語(旧約聖書はヘブライ語や他の言語で書かれています。)かな!なーんて想像を膨らませてみたりする照れ
(私の勝手な想像ですよー!なんだか似ています。)

↑未確認の祠。
やはりキリシタン関係ですよね。
さすがにここにお稲荷さんは祀れないと思いますのであせる
↑以下思い出話です!

九州だったか長崎だったかは忘れましたが、元々柏の無い地域だったので、この写真中央の「まんじゅう葉っぱ(サルトリイバラ)」を沢山摘んで、まんじゅうを包んで蒸していました。(少なくとも私の育った地域はチュー)

珍しくない葉っぱなのでよく見かけます。
ツルツルした葉っぱを近所の友達と摘みに行ったなあ、その子の家もカトリックでした(カトリックは珍しくはないのですが(^-^;)。

私は葉っぱその物を刻んでまんじゅうに入れるのかと勘違いしてました~爆笑