この間のGWでは子供のリクエスト(結局子供には勝てない
ではなく子供の笑顔が第1
)で長崎を飛び出し、福岡・佐賀・大分方面へ行ってきました!


先に書いておきますが…グルメもそれなりに楽しみましたが、小さい子供が居るので相手をするのに必死で写真に撮れませんでした…。
憧れるのは美味しそうな写真満載の旅ブログ…。
凛々しい佇まいです。
時は幕末です。
沢山功績のあるかたなので、詳しくは書けませんが(時間的に(^-^;)、佐賀の7賢人の一人だそうです。
普段行かない所へ行くと脳が活性化します♪
ウーン
そろそろどうしても長崎のことを書きたくなってきました。
佐賀県は明治期に一時的に長崎県だった事が有るようです。
それに今の長崎市域の一部は佐賀領だった場所もあります。飛び地で。
そしてはなわさんが歌っていた通り、佐賀県は長崎県の唯一陸続きの県です。
しかし昔は「長崎人と佐賀人は合わない」「佐賀人の通った後には草も生えず」などと言われていたそうです。
「~草も生えず」の本来の意味するところは別に有るらしいのですが、佐賀の方々に対するマイナスイメージとして語られていた言葉のようです。
あくまでそう言われていたと書いただけで、私も同じ考えではありません。
仕事で幾県か点々としましたが、田舎、都会、山、海、環境は様々でしたが何処も住めば都でしたので

それに加え私事ですが、今は亡き曾祖母も佐賀県出身です。
曾祖母の前の代は葉隠武士と言われる佐賀の武士でした。戦争があってその葉隠武士は県内外に流れたそうです。
ん?武士が戦争?
私たちは戦争と聞くと第二次世界大戦を思い出しますが、この曾祖母の言う戦争は佐賀の乱・諫早の乱(諫早の乱と言うものがあったのかは不勉強のため分かりませんが、祖母の口述のまま書いています。)の事だそうで歴史を感じます。
この曾祖母のルーツ話は祖母から聞いたのですが、曾祖母の前の代の出身が葉隠だと言うんですね。
で葉隠と言う地名が有るのか調べると、ネットでは出てこない…。葉隠は佐賀の武士道らしいのですが、曾祖母や祖母は佐賀の事を葉隠と呼んでいるのかな…。と推定せざるをえませんでした。
祖母は耳が遠いのでなかなか話し込めないので
…。
(下に追記あり)
ルーツ話はこれくらいにして、佐賀は大名が治める地で武士の活躍があったため、長崎と比べるとインテリなイメージがありました。道路もビシッとしていましたし。
長崎は幕府の直轄地でお奉行様はいましたが、町人特に商人文化のイメージなので。(一般的に商人の町といえばまずは大坂が思い浮かぶと思いますが、長崎も付け加えていただけるとうれしいです。)
もちろん私の勝手なイメージです(^-^;
いやぁ歴史って本当に興味深いです。
2018.8.25追記
葉隠武士と言うのは佐賀藩士ではない。
佐賀藩のために動く、武力を持った集団。
その居住地を地名とは別に葉隠と言う。武士道の葉隠とは別物だが、佐賀藩内なので同じ呼称を用いたのかも。
居住地も定まっていたのかは不明。
(後日、葉隠れとは?との質問に、とある方から「佐賀市内ですね」との返答をいただけました!)
普段は武士ではない生業をしていたと思うのが自然か。
乱のあとは五島等の離島や、佐賀周辺に落ち延びたそう。
祖母の口述のメモなので、佐賀に詳しい方が見ると???かもしれませんが。
祖母の実家は旧家で色々な骨董品や古文書等も
ありましたが、すべて破棄されてしまったそうです。とても悔しく残念です。
その旧家も、時の流れに飲まれ今の代で終わりになりそうです。
ん?なら私が継ぎたいんですけど~?(^-^;