日本での戦争に備えて、あえて厳しいことを言わなくてはなりません。【その2】 | 和のブログ

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今まで誰かに話そうという気にはなりませんでしたが、息子の死をきっかけに、ブログという手段で誰かに読んでもらうのもいいかと思い、はじめてみます。

今回、何でこのような話をするかと言えば、今回のウクライナ侵攻により、世界の平和という均衡が破られたからに他なりません。
自衛隊が実働として、戦争を強要される日が近い可能性が高いのです。
、、、しかし、彼らに戦争を遂行する能力はありません。

なぜなら殴られるのが任務とされているからです。

ネット上では、自衛隊は能力が高いから大丈夫、という論調が目立ちます。
しかし、それはとても酷なことを言っていることに気付いてほしいのです。
予算が少ないから、それを補うため彼らは鍛え学ぶのです。
だから能力も士気も高く保持されています。

しかし、それは彼らの努力によるもので、国民の努力ではありません。
国民が防衛予算を削減し、彼らの活動を困難な状況に追い込んでいる間、彼らはそれを努力というもので補ってくれていたのですから、これ以上もう補えるものはありません。

医療保険が、社会福祉が大事といい、防衛予算を次々と剥ぎ取った時期に、平和を謳歌し、豊な生活を送っていたことに多くの国民は知らされてもいなければ気付いてもいないのです。

ウクライナの成人男性が家族とともに避難出来ないことに、「間違っている」と訴えるタレントやコメンテーターが目立ちます。
彼らは、本当の意味で国を失うという怖さを知らないのです。
日本人は、自国が世界で最も古い国家であることを知識として知っていても、感覚としてそれがさっぱり理解出来ていないのです。

私はかつて、独立国家を目指している地域でのボランティア経験があります。
当然、そこでは戦争が起こります。
虐げられた人々を守るために独立をする、それほど罪な事でしょうか。


独立のために武器を取って戦う兵士が弱ければ、その後何が起こるのかを住民は良く知っています。
虐殺が起こり、レイプが起こり、それを逃れても虐待と重税に苦しむのです。
それは、太古の国家の話と思われる方も多いかと思います。

とんでもありません、それが世界の現状です

ですからウクライナの成人男性は、家族を守ることが、家族と一緒に逃げることだとは誰も思わないのです。
残って戦うこと、これこそが、家族を外敵の侵略から家族を守ることだと肌で感じているのです。

恐ろしいことに、それが感じることが出来ないのが、良かれ悪しかれ日本人なのです。

ロシア海軍が、つい先日、津軽海峡に強襲揚陸艦を通過させました。
これまでの常識で考えれば、北海道と青森県の間の海峡に、外国の強襲揚陸艦が接近すること自体が大事件です。
強襲揚陸艦とは、大量の陸軍部隊を一斉に敵国の海岸に揚陸させるために、戦時中の日本陸軍が考案した軍艦の種類のことで、この方式がとても有効だと気付いた諸外国が、これを戦後に採用し、主要な国家はこれを保有しています。
つまり、海から内陸へ進行するときに使用する艦艇ですから、日本の海峡を通過するということは珍しことです。

ところが今回の海峡通過、私はこのニュースを聞いた時に、ウラジオストック(極東ロシアの軍港)から外洋に出たのかと思っていたのですが、実は逆で、ロシア極東の陸軍部隊をウラジオストックからシベリア鉄道に乗せるために通過したものでした。
シベリア鉄道に乗せた機械化部隊は、ロシアの極東から極西に送られ、ウクライナ侵攻に増員されます。

要するに、通過された日本は、まったく眼中にない訳です。
これほどまでに形振り構わずロシアが行動するところを、私は初めて見ました。