AIについて、AIにどのようにむきあえばいいか、という質問ですが、返信の仕方がよくわかりませんでした。ここで、私の考えを言いたい、と思います。

 AIは、現代社会の支配階級である独占資本家たちが、この資本主義社会を何としても延命させるという動機のもとに、労働者たちを自分で考えることのできない人間にするためにつくりだしたものだ、と思います。自分がいろいろと考えるべきことを、自分の行動の指針をみちびきだすことをも、AIにたよるように仕向けることを狙っている、と思います。AIにたよると、AIは寄り添ってくれるので、その人は心地よくなります。AIが学び蓄積している情報は、現代の支配者たちが流す情報が圧倒的に多いです。そうすると、AIが答えてくれる返答は、支配者たち・国家権力者たち・独占資本家たちに都合のいいものばかりになります。

 われわれは、AIの返答にだまされてはならない、と私は思います。

 そのためには、われわれは労働者階級の一員なんだ、という階級的な意識をもつ必要がある、と思います。そして、AIをつくりだしている現代の支配者たち・高市早苗が率いている国家権力そのもの・独占資本家たちを打ち倒すのだ、という意志をもつ必要があると思います。

 そのためにはマルクスを学習する必要があると思います。私はこのブログで、マルクスの『資本論』についていろいろ書いています。少し難しいですが、このブログを読み、『資本論』を読んでください。

 AIにだまされないために、現代の支配者たちをうちたおすのだ、と決意しましょう。労働者として団結しましょう。ともにたたかいましょう。

 

 

 

 

 

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 黒田寛一は、『資本論』の展開にかんして次のように書いている。

 「始元的商品とその内的矛盾の諸規定から価値形態(商品の内的矛盾の外的対立における運動)へ」「——というように展開されていく商品の自己運動の学問的体系が、『資本論』の体系なのである。」(『資本論以後百年』18頁)

 この引用部分の前半のカギカッコ内は、第一章の第一、二節と第三節の価値形態にかんするものである。

 このことにかんして、黒田から私(たち)は次のように教わった。

 第一、二節の展開は、商品A(=商品B)というように、商品Bとの関係においてある商品A、このような商品の内的矛盾にかんする規定だ。第三節は、商品A=商品Bというように、二商品の外的対立を措定して考える。これは、商品の内的矛盾の外化されたものだ(あるいは、商品の内的矛盾の外化されたものとして意義をもつのだ)。二つの円を横に並べて書き、両者のあいだに、イコールの記号を書く。左側の円が商品Aだ。右側の円が商品Bだ。左側の円、商品Aが全体として価値として意義をもち、右側の円、商品Bが全体として使用価値として意義をもつ。商品Aがみずからの価値を商品Bの使用価値で表示する、ということだ。これが、内的矛盾の外化された形態ということだ。このようにして、商品が自己運動するんだ。——と。

 しかし、いまから考えると、私には、このような説明は、ヘーゲル的な匂い、あるいは梯明秀的な匂いがするのである。そのような匂いがするのは、商品Aが全体として価値として意義をもち、商品Bが全体として使用価値として意義をもつとされており、商品の内的矛盾が外化されて、内的矛盾の二契機をなすところの、価値が商品Aとして措定され、使用価値が商品Bとして措定されて、商品Aと商品Bとの外的対立が成立する、というようなイメージがわいてくるからである。しかも、引用文のなかで「商品の内的矛盾の外的対立における運動」とか「商品の自己運動」とかというように、「運動」「自己運動」と表現されていることからして、ますますそのようなイメージがわいてくるのである。

 もしも、資本家のもっている貨幣が生産手段と労働力とに転態し、この両者が合体されて生産物がうみだされ、生産物が売られて貨幣に転態する、というようなことであるならば、認識主体が対象的なものをこのように概念的に規定したということであって、このようなことがらについては、「運動」「資本の運動」と言えるわけである。これとは異なって、マルクスが体系的に展開しているところのこの叙述、すなわちマルクスが概念的規定を一歩一歩論述していっている叙述展開を、「商品の自己運動の学問的体系」というのはおかしいのではないか、ということである。すなわち、ここに言う商品を商品という概念規定と考えるならば、商品という概念規定がそれを論述しているマルクスをぬきにして自己運動することはないではないか、ということである。他面、商品の自己運動ということを、商品が貨幣に転態し・この貨幣が生産手段と労働力に転態し……という現実の自己運動をさすのであるとするならば、そんなものが学問的体系の叙述になることはないではないか、ということである。商品が自己運動して文章を書いていく、などということはないからである。

 黒田に、価値形態の論理について図を描いて教わった何年か後に、たままた、『資本論』のなかの、黒田から教わったところに対応するマルクスの展開を読んだ。私は、エッ、この展開は、黒田から教わったこととは違うじゃないか、とおどろいた。

 私は、この問題を、ずっとそのままにしてきていたのであったが、いま検討しているわけである。

 そこには、マルクスは次のように書いていた。

 「商品Bにたいする価値関係に含まれている商品Aの価値表現を立入って考察してみると、この価値表現の内部では、商品Aの自然的形態は使用価値の姿態としてのみ意義をもち、商品Bの自然的形態は価値形態または価値姿態としてのみ意義をもつ、ということが分かった。かくして、商品のうちに包みこまれている使用価値と価値との内的対立は、一の外的対立によって、すなわち二つの商品の関係——そこでは、それの価値が表現されるべき一方の商品は直接には使用価値としてのみ意義をもち、それで価値が表現される他方の商品はこれに反して直接には交換価値としてのみ意義をもつところの、二つの商品の関係——によって、表示される。かくして、一商品の簡単な価値形態は、その商品に含まれている使用価値と価値との対立の簡単な現象形態である。」(青木書店版155頁、太字は原文でも太字。新日本出版社版111~112頁、この訳本では傍点)

 いま、この問題を検討しよう。

 黒田は、「商品Aが全体として」、「商品Bが全体として」というように、ぞれぞれの全体をとりあげて「として意義をもつ」ということを論じていたのにたいして、マルクスは、「何の自然的形態は何々の姿態としてのみ意義をもつ」というように、それぞれの商品の自然的形態をとりあげて「の姿態としてのみ意義をもつ」ということを論じているのである。このことに規定されて、それが何として意義をもつのか、すなわち使用価値として意義をもつのか、価値として意義をもつのか、ということについては、マルクスと黒田とではひっくりかえっているのである。

 このことを見るならば、マルクスは、あくまでも、使用価値と価値との統一をなす商品が同様の商品ととりむすぶ関係、すなわちその自然的形態(すなわち使用価値)と社会的な意味での物的対象性(すなわち価値)との統一をなす商品が同様の商品ととりむすぶ関係を論じており、このことをゆるがせていないのにたいして、黒田は、関係をとりむすんでいる二商品の一方の側を価値一色に塗りつぶし、他方の側を使用価値一色に塗りつぶしているのである。

 黒田のこのような捉え方は、やはり、ヘーゲル的であり、梯明秀的である、といわなければならない。黒田が駆使している論理は、あるものに内在する内的矛盾が外化されて二つのものの外的対立がうみだされ、内的矛盾の一方の契機が外的対立の一方の側となり、他方の契機が他方の側となる、という論理をなすからである。この表現のうちの「となる」というところを「として意義をもつ」というように言い換えても、この論理は同じである、といわなければならない。

 黒田のこの問題は、『資本論』の第一章の第一、二節と第三節とにマルクスがつらぬいている論理を黒田がつかみえていないことにある、と私は考える。

 黒田は、第一、二節は、商品A(=商品B)を措定し、第三節は、商品A=商品Bを措定してマルクスは論じているのだ、と教えてくれた。黒田は、第一、二節にかんしては、商品Bを丸カッコに入れているように、ひとつの商品すなわち「全=個」の商品の内的矛盾が論じられている、というように考えている、と思われるのである。私は、第一、二節も、第三節も、ともに、商品A=商品Bを措定してマルクスは論じているのであり、措定しているもののその内実が異なるのだ、と考えるのである。マルクスは、先の引用文のなかの最後のほうで「一商品の簡単な価値形態は」と表現しているように、価値形態について論じるときにも、等式の左側の商品すなわち商品Aを主体にして論じているのである。このことは、第一、二節でも、第三節でも、かわりはないのである。第一、二節では、右側の商品を丸カッコに入れる、ということではないのである。

 マルクスは、次のような方法を駆使している、と私は考えるのである。

 マルクスは、出発点においては、ある種類の商品は他の種類の商品と交換関係をとりむすぶ、たがいに交換されるのであるからして、これらの商品はひとしい、ということだけを措定するのである。そして、このことは何にもとづくのか、というように問い、その根拠を明らかにするのである。これが第一、二節である。これにたいして、マルクスは、第三節では、第一、二節で自分が明らかにしたところのものを出発点にするのである。使用価値と価値との統一をなすところのある種類の商品、したがってその商品にふくまれている労働が具体的有用労働と抽象的人間労働との二重的性格をもつところのある種類の商品、この商品と、これと同様の他の商品との関係を措定するのである。そして、前者の商品がみずからの価値を後者の商品の体(からだ)で表示する、ということを明らかにしたのである。

 このようにマルクスは、第一、二節から第三節へと、資本制生産の普遍的抽象のレベルという同じ抽象のレベルのうえで、抽象の度合を一歩具体的なものとしたのである。これは、『資本論』を叙述しているマルクスがおこなったことなのである。したがって、このことにかんして、商品の内的矛盾が外化するとか、「商品の内的矛盾の外的対立における運動」とか「商品の自己運動の学問的体系」とかというように言うことは決してできないのである。そのように言うのは、『資本論』を叙述しているマルクスを、書かれている『資本論』の文章のなかに追いやり、そこに埋没させた把握である、といわなければならない。このような把握は、黒田寛一が、『資本論』の体系と展開をヘーゲルの「論理学」でもって解釈した梯明秀を徹底的に批判しつくすことをぬきにして、その理論を、それを批判的に改作するというかたちで継承したことにもとづく、といわなければならない。概念的規定は、それを叙述しているマルクスをぬきにして、かってに自己運動することはないのである。

 われわれは、『資本論』の叙述に、これを書いたマルクスを見、このマルクスを感じ・つかみとり、このマルクスをおのれのものとするのでなければならない。

 黒田寛一は、1985年になって、「第三節で展開されている」「価値関係の反照論理」を「第一、第二節」に貫徹せよ、とマルクスを批判した(『賃金論入門』224頁、「『資本論』における「労働の質」」論文)。これは、商品の使用価値と価値との内的対立が、したがってまた具体的有用労働と抽象的人間労働との二重的性格が、すでに前提となっているものとして、この規定を前提にして『資本論』を書きはじめよ、とマルクスに要求するものなのである。このように要求する黒田は、マルクスが、第一、二節から第三節へと、抽象の度合を一歩具体的なものとしているということをつかんでいないのである。『資本論』を叙述しているマルクスを省みていないのである。「使用価値の実体としての具体的有用労働の種類のちがいが消失する」(同前)というような変なことを書くのは、このことにもとづくのである。労働の、その種類がちがうという側面をマルクスは具体的有用労働と規定しているのであるからして、具体的有用労働という規定から種類のちがいが消失する、ということはない。ここは、商品にふくまれている労働からその種類のちがいが消失する、としないことには、わけがわからないのである。このようなことになるのは、黒田が、マルクスが『資本論』を書きはじめる最初から、『資本論』の体系には「具体的有用労働」という規定が存在している、とみなしていることにもとづくのである。

 われわれは、『資本論』の叙述にマルクスを見なければならない。

 

 

 

 

 

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本質論における実体の考察——資本制生産の本質論的解明をなす『資本論』では、人間的労働という実体の考察はどのようになされているか

 

 マルクスは、資本制生産の現実を下向的に分析し、その実体論的考察において、資本制生産様式を資本制生産様式たらしめている実体として、プロレタリアの疎外された労働というかたちで実存する人間労働の抽象的規定をつかみとり、これを基礎にして資本制生産様式を本質論的に解明したのであった。これを学問的体系として叙述したものが『資本論』にほかならない。

 マルクスは、現実を本質論的に考察し、実体論的考察においてつかみとった人間労働という規定を、資本制生産の本質論的解明に定位するものとして、『資本論』の叙述において明らかにした。これが、商品の価値の実体をなす抽象的人間労働の規定および直接的生産過程において価値を創造する生きた労働の規定である。

 マルクスは、資本制生産の現実を下向的に分析し、その下向の終局をなすもっとも抽象的で単純な規定として、何らかの量の或る商品は何らかの量の他の商品とひとしい、という交換関係をつかみとり、このような商品を、資本制生産様式が支配的におこなわれる諸社会の富の原基形態と規定して、これを上向的な体系的な展開の出発点とした。

 マルクスは、種類の異なる使用価値である諸商品が他の諸商品をみずからの交換価値として、たがいにひとしいという関係をとりむすぶのはなぜか、と問い、諸商品にふくまれている人間的労働を明らかにしたのである。

 ある種類の商品が他の種類の商品をみずからに等置した、という・この関係のもとでは、これらの商品はひとしいのであるからして、これらの商品は次のようになる。

 「それはもはや、机・家・糸・ないしその他の、ある有用物ではない。それの感性的性状はすべて消し去られている。それはまた、もはや、指物労働・建築労働・紡績労働・ないしその他の、ある一定の生産的労働の生産物ではない。労働諸生産物の有用的性格とともに、労働諸生産物で表示されている諸労働の有用的性格が消失し、かくして、それらの労働の相異なる具体的諸形態も消失して、それらはもはや、互いに区別がなくなり、すべてのこらず、同等な人間的労働すなわち抽象的・人間的労働に還元されているのである。

 さて吾々は労働諸生産物の右の残り物を考察しよう。それらになお残っているのは、幻のような同じ対象性に他ならず、無区別な人間的労働の・すなわちその支出の形態に係わりのない人間的労働力の支出の・単なる凝結に他ならない。これらの物は、もはや、それらの生産において人間的労働力が支出され、人間的労働が堆積されている、ということを表示するにすぎない。これらの物は、これらに共通なかかる社会的実体の結晶としては、諸価値——諸商品価値である。」(長谷部文雄訳『資本論』第一部、青木書店118~119頁、新日本出版社版『新版資本論』71頁)

 マルクスは、さらに次のようにほりさげている。

 「諸価値の実体をなす労働は、同等な人間的労働であり、同じ人間的労働力の支出である。商品世界の諸価値で表示される社会の諸労働力は、無数の個人的諸労働力から成立っているとはいえ、このばあいには一個同一の人間的労働力として意義をもつ。これらの個人的な諸労働力は、いずれも、それが社会的な平均労働力たる性格をおび、かかる社会的な平均労働力として作用し、したがってまた、一商品の生産において平均的に必要な・または社会的に必要な労働時間を要するにすぎぬ限りは、他と同じ人間的労働力である。」(青木書店版120頁、新日本出版社版73頁。下線は原文では傍点、以下同じ)

 いま二つ目に引用した部分は、マルクスが第二版で書き加えたものである。マルクスは、不断に執拗に考察をほりさげ深めているのである。

 マルクスは、この二つの引用文にみられるように、実体論的に考察してつかみとったところの人間的労働を、本質論そのものにおいて、諸価値の実体をなす労働として、同等な人間的労働というように、したがって無数の個人的諸労働力が一個同一の人間的労働力として意義をもつ、そのような人間的労働力の支出というように、明らかにしたのである。これは、本質論そのものにおいて再現された実体についての考察である。このような実体についての考察は、商品価値という本質そのものを明らかにするものなのである。

 このような、商品にふくまれている労働の考察にたいして、直接的生産過程における生きた労働を、マルクスは次のように考察している。

 「労働者の独自的な生産的労働が紡績でないとすれば、彼は、綿花を糸に転形することはなく、したがってまた、綿花と紡錘との価値を糸に移譲することもないであろう。これに反し、同じ労働者が職業を変えて指物工となっても、彼は相変わらず、一労働日により彼の材料に価値を付加するであろう。だから、彼が彼の労働によって価値を付加するのは、その労働が紡績労働または指物労働であるかぎりにおいてではなく、それが抽象的社会的な労働一般であるかぎりにおいてであり、また彼が一定の大いさの価値を付加するのは、彼の労働がある特殊的・有用的な内容を有するからではなく、それが一定の時間つづけられるからである。だから紡績工の労働は、それの抽象的一般的属性においては、人間的労働力の支出としては、綿花と紡錘との価値に新価値を付加するのであり、紡績過程としてのそれの具体的特殊的・有用的属性においては、それは、これらの生産手段の価値を生産物に移譲し、かくして、それらの価値を生産物において維持する。同じ時点における労働の成果の二面性はこうして生ずるのである。」(青木書店版363頁、新日本出版社版349頁)

 マルクスは、このように、生きた労働そのものの二面的性格を明らかにしているのである。これは、彼が第一章の第一、二節で論じたところの、商品で表示される労働の二重性格、すなわち商品にふくまれている労働の二者闘争的な本性ではなく、資本の直接的生産過程における生きた労働の二面的性格なのである。マルクスは、この生きた労働の、それが新たな価値を創造し、新価値を付加する側面にかんしては、「抽象的・社会的な労働一般」という表現をもつかって明らかにしているのである。彼は、このようなかたちで、現実的なものを下向的に分析した・その実体論的考察においてつかみとったところのものを、資本制生産様式の本質論的解明の叙述そのものにおいて、本質論的規定として再現しているのである。

 さらに、マルクスは、次のように論じている。

 「労働力の購入に投下された資本部分は、一定分量の対象化された労働であり、かくして、購買された労働力の価値と同じく不変の価値量である。だが、生産過程そのものにおいては、投下された90ポンドのかわりに自らを実証しつつある労働力が現われ、死んだ労働のかわりに生きた労働が現われ、静止量のかわりに流動量が現われ、不変量のかわりに可変量が現われる。その結果は、vの再生産プラスvの増加分である。資本制的生産の立場からすれば、この全経過は、労働力に転態された・本源的には不変な・価値の自己運動である。」(青木書店版381頁、新日本出版社版169~170頁)

 マルクスは、彼がこの二つの引用文で端的にしめしているように、資本制生産様式のもとでの人間的労働は、すなわち生きた労働は、価値を、したがって剰余価値をうむものとなっている、ということをあばきだした。マルクスは、人間的労働の、生きた労働の分析に、みずからの意志を貫徹したのである。私はここに、マルクスを見る。私は、人間的労働が、生きた労働が、価値をうむものとなっていることそのものを廃絶することを意志するマルクスを見るのである。私は、このマルクスをおのれのものとすることを意志するのである。

 

 

 

 

 

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 黒田寛一は、生きた労働が価値をうむことを見ようとしない。彼は、いままさに生きた労働力が発現され、価値が創造されているこの瞬間を、概念的に把握することができない。価値増殖過程を見ようとすると、過程が終わった結果からの解釈になる。「可変量としての可変資本」と「不変量となった可変資本」との解釈になってしまう。生きた労働を資本と言い換えないことには、これを見ることができない。彼は、マルクスが生きた労働について論じてあるところをみると、これを、疎外されざる労働、労働の本質形態だ、と見てしまう。あるいは、労働の技術学的規定にしてしまう。資本制生産の普遍的抽象のレベルでの抽象的規定をなす、人間的労働、生きた労働を、彼は経済学的に論じることができない。彼は、そのように論じることを拒否する。彼は、労働の物化、人間の物化が問題だ、とする。彼は物を見る。彼が憎むのは、対象化された労働である。

 

 

 

 

 

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 アメリカのAI(人工知能)企業アンソロピックは12日、最先端のAIモデル「クロード・ミュトス5」、および、それと同等の性能をもつ「フェイブル5」の提供をすべての顧客にたいして停止すると発表した。トランプ政権が輸出管理の対象に指定し、国内外の外国人によるアクセスを停止するように命じたことにもとづく。日本も制限の対象となる、という。

 ミュトス級のAIは、あらゆるコンピュータ・システムの欠陥を発見する高度な能力をもち、したがってまたそれが対抗勢力の手に渡るならば、ハッカー攻撃の手段となる、というように騒がれているものである。

 アメリカ帝国主義国家は、AI技術の開発において、中国帝国主義国家とそれにコントロールされた中国企業に猛追されていることのゆえに、自国のAI技術を防衛することに必死なのである。たとえ、西側帝国主義陣営に属する諸国家の政府諸機関と諸企業が、中国政府やロシア政府の意をうけたハッカー集団の攻撃にさらされようとも、そんなことは意に介することなく、自国のAI技術を外国人に利用させないことを、アメリカ帝国主義国家権力者は優先させているのである。

 アメリカ帝国主義経済の没落と危機をのりきるためにAI技術を何としても活用することを、すなわち、資本の直接的生産過程や事務部門や運輸部門や流通部門やまたサービス産業部門などの労働過程を技術化し相対的過剰人口をうみだすために、そして現代の戦争に勝利するための軍事技術を高度化するために、またインターネット・サービス業を肥大化させ人びとに浪費をうながすために、さらには労働者階級およびその他の諸階級・諸階層の人びとをAI中毒におちいらせ、彼らの思考と意志と行動までをも独占資本家的にあやつるために、アメリカ帝国主義国家権力者は狂奔しているのであり、これと同様のことを意志して、あらゆる国ぐにの国家権力者および独占資本家どもは、AI技術の開発を狙い、しのぎを削っているのである。

 全世界のプロレタリアートは、階級的に国際的に団結して、このような帝国主義そのものを打倒しよう!

 

 

 

 

 

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