金曜日の夜9時頃に八王子インターチェンジから中央高速、圏央道、関越道、北陸自動車道、日本海東北自動車道を休み無く走り、新潟の荒川胎内インターチェンジで夜中の1時過ぎにおりる。7号線を走り日本海を観ながら(でも真っ暗)走り、故郷の鶴岡に到着したのは3時頃になっいた。3日の連休で古里の写真を沢山撮ってこようとしたが、お店(食事どころ)の雪国特有な駐車場に積もった雪を溶かす、散水ポンプとその配管に2日間をとられてしまい、ようやく釣りに行けたのは、帰路につく最終日。最終日にようやく天気に恵まれる。5時頃に起きて、鼠ヶ関(海岸線の村)に行き最初の釣りを行う。


やはり海はいい!!青く輝く海に竿をたれ、釣りをするがなかなか釣れない。今までよく釣れていた「しのこ鯛」が全く釣れないとのこと。やはり自然環境の変化が進行しているのだろうか?そういえば関西では釣れている魚で、カイワリ(お刺身で食べればシマアジに匹敵するほどで、市場では高級魚)と言う暖かい海に生息する魚が、この日本海で捕れだして、この海で見慣れない魚が市場では二束三文で売られているとのことを聞く。(-"-;A       次に場所を変え、昨年「しのこ鯛」の結構なサイズを釣った場所へ行く。しばらくすると、以前漁師をしていたと言う人が来て、いろいろと話をしてくれる。が、そこでもなかなか釣れない。帰らなければならない時間が、刻一刻と迫ってくる。廻りを観ても釣っている人が少ない。最後に選んだのが岩場。ごつごつし、海の中に転々と浮き出ている岩を、飛び乗りながら、海に近いところまで行く。そこはさすがに日本海の荒海!!時々波が足や体に掛かる。こうして海に飲まれて死んだ人が年に何人か出てくるとのこと。σ(^_^;)


その荒海につり竿を垂らして、久々の引き(方言でノス)がある!!最初に釣れたのはキュウセン(ベラ)25~30cmクラスの大型。料理は塩焼きが一番とのこと。ベラは関東ではえさとり魚として嫌われ、釣っても捨ててしまう魚だが、関西へ行くと高級魚として扱われる魚だ。そのキュウセンが4~5匹釣れる。その後田舎では出世魚として知られる(おそらく黒鯛と思うが)釜割が釣れる。この魚は成長段階で、地元では黒子→鍋割→釜割として呼び名が変わる。今回釣れたのは鍋割りクラス。この鍋割りが6~7匹釣れ最後にはアジと鯖が釣れ、17時頃に竿を納める。


その後帰路につく。途中「笹川流れ」と言う名所を走り、海の色が、ブルーからグリーンへと夕日に照らされながら変化する様を観ながら、古里へお別れして、ただひたすらに八王子インターを目指して走る。

私がまだ学生だった頃、学校の卒業間近になり「花笠音頭」の踊りを慣わされました。今思えば先生達には「故郷から都会に出て行く時に、山形人として何か一つ古里の事を身につけて行って欲しい」との思いがあったのでしょう。「花笠音頭」の踊りは「紅花摘みの作業唄」が基になっているとのことですので、紅花を摘む女性の踊りだったんですね・・・・だから踊りが照れくさかったんだ(=⌒▽⌒=)

こちらに住み紅花なんか興味の無かった私が、その紅花と再び出会ったのは、ジブリアニメの「おもひでぽろぽろ」でした。

ここからが、前回お約束した「紅花と京文化」の話になります。紅花は昔呉藍(くれのあい)といわれ、中国の呉の国から伝わった染料という意味だそうです。この染料は、安土桃山時代(1573~1598年)から江戸時代にかけて京染めなどに使われてきたとの事。この紅花が山形県に入ってきたのは室町時代の末期と考えられているそうです。そしてこの紅花の大産地となったのが、以前お話しした山形県4地方(置賜地方・村山地方・最上地方・庄内地方)の一つ村上地方です。

この紅花を商いにした、紅花商人と最上川そしてその河口である酒田港をにぎわせた北前船。

私の記憶(もう随分以前の記憶ですのでちょっと不確かですが)では、その紅餅(紅花を丸く加工したもの)を

北前船が能登半島の港まで船で運び、そこから陸送で京都や大阪に運び込まれたとの事です。

京都の舞妓さんが使われた、紅花から採れる口紅は生花の0.3%程度と少なく「紅一匁(もんめ・約3.75g)金一匁」と言われるほど高価なもので、花摘み娘たちとは無縁の代物でした。紅花は刺を持つ花ですから「おもひでぽろぽろ」でも語っていた様に、素手で花摘みをする娘達の指先からは赤い血が流れ、紅花の赤い朱が娘の血でより赤く染まった・・・との話も語られているそうです。

その紅花商人は、京からの帰り荷としていろいろな京文化を持ち帰り、山形に京文化を広めたとの話です。

聞くところによると、酒田市には「酒田舞子」が存在するとのことですが、私はまだ会ったことがありません。

鶴岡では、いろいろなおつけものが有ります。菊のお漬け物「もってのほか」、きゅうりの漬け物「しなべきゅうり」

民田茄子(小茄子)の浅漬け、辛子漬け、そして熱海の「赤カブ漬け」等々・・・・これも京文化の一つなのですかね。ちなみに私の父親は京都の商人と聞いていますが、これも京文化の一つだったりして!!(≧▽≦)

ブログを始めようとした目的が、古里のいろいろな情報を提供しようと始めたのに、最近は脱線して本来の趣旨を逸脱していますので、今回は少し古里の話をします。(=⌒▽⌒=)


私の故郷である山形県は「置賜地方」「村山地方」「最上地方」「庄内地方」大きく4地方に分かれています。


「置賜地方」には、皆さんがご存じの米沢市が有ります。この地は戦国時代の英雄・謙信を始祖とする上杉鷹山(うえすぎようざん)が治め、窮地に陥っていた藩を見事な経営手腕で立て直し、その教えは現在の城下町米沢でもその影響の深さを見ることが出来ます。「上杉鷹山」の史書は、海外でも尊重されていると聞きます。


「村山地方」には、山形県庁があり山形県の中心となっています。江戸時代には山形藩が有り、この地では、商人が力を発揮し、最上川の水運と羽州街道が様々な交易をもたらし、経済活動の隆盛を極めました。

”さくらんぼ”や温泉で有名な、東根や天童もこの地にあります。


「最上地方」は、新庄を中心に広がり、平坦地よりも山間地が多いため、耕地面積が少なく、冬は豪雪に閉ざされ日照時間が短く多湿な地です。江戸時代は戸沢6万石の城下町新庄でしたが、凶作や飢饉が重なり、そのため「叩き」(たたき:板の上で鶏・ウサギを骨まで叩き、野草まで叩いて料理した)の食文化が有ったとのことです。


「庄内地方」は、徳川四天王と呼ばれ、家康を支えた家来の筆頭であった酒井の殿様が幕末まで治めた地です。

皆さんご存じの”だだちゃまめ”の名付け親もこの酒井の殿様だったというお話です。もうご存じだとは思いますが、”だだちゃとは”親父のことですね。

「庄内地方」には最上川が日本海へと流るる河口の酒田港があり、その港町酒田と、城下町鶴岡が有ります。

山形県には海がないと思われている方が少なからずも居ると聞きますが、側には日本海があり、一つ中に入れば、広大な庄内平野があり、もう一つ中に入れば、山伏と密教修行で有名な羽黒山、夏スキーの月山、即身仏で有名な湯殿山が有ります。

庄内地方には、京文化の影響が色濃く残っています。それは紅花と最上川と西廻り航路で、との話がありますが

それは次回にします。(*^o^*)/~