東京アンダーグラウンド〜僕と師匠としばしばアイドル〜 -3ページ目
3月、先輩と友人の結婚披露宴に招待されて行ってきました。最近やたらとお誘いが多い。自分もそういう年代になったんだなと感じる反面、祝い事なので出ていくものはキッチリ出ていくわけで。

年末になんやかんやで7桁近くの出費があり、貯金なんて殊勝な行いを近年まで行っていなかった僕の口座は今や虫の息。

なぜ、なぜ堅実に貯金しなかった!過去の自分っ!!!まぁ色んな経験、趣味が出来たし、その欲求を満たしたお陰で今落ち着いていられるんですけどね。過ぎたことを後悔しても仕方がないのです。これから貯金すりゃいいんだよ、これから。


とはいえ、一月に2件分の祝儀を差し引いて尚普段と同じ生活が出来るほど介護士っていうのはお給料がよくありません。自ずと絞らなければいけないものがでてきます。僕の場合はアイドルライブがその最たるものです。
バイクのタイヤも限界が近づいてるし暫くは通帳と睨めっこする生活が続くんだろうな。金がないってのは本当にストレスだ。

けどね、僕は結婚式ってヤツが嫌いじゃありません。普段クールぶってるアイツが、言動がクレバーで有名な先輩が、ヲタクをバカにしてるアイツが、聞いてて寒気のするような愛に溢れたムービーとかを作って流すんです。新婦のために。
もうね、見てられないですよ。お前どんな顔してこれ作ったの?って聞いてやりたい。普段友達やってた身からすると、あんなクサいもの連徹で作るなんて狂ったとしか思えない。

そう思えれば思える程、いい結婚式だなって思います。愛に狂う。日頃から愛唯に狂ってる僕とって実に馴染み深い言葉であり、仲間を見つけたような気持ちで嬉しくなります。

「自分がよくわからないものは自分がよく知っているものに置き換えて考えればいい。我々はアイドルヲタクなんだから、アイドルとヲタクに置き換えてみると見えなかったものが見えてすんなり理解できることがある」というのは最近の師匠の至言です。

結婚式なんて上司や親族の前でガチ恋口上打つようなもんです。TO確約、その代わり推し変は許されない。そんな誓約と制約が交わされる人生の一大ライブです。オーディエンスな僕は祝いにイェッタイガーの1つも叫んでやりたくなるのですが確実に摘み出されてしまうのでいつも心の中で盛大にケチャしてます。

そんな年代になった僕も例に漏れず、年末の出費というのがお付き合いしてる方と同棲を開始する初期費用だったりなんだりするわけですが、今、ありがちな問題に直面しています。




この動画、本当によく出来ている。見たときに「あー、めっちゃわかるわー」って思いました。


女性側の気持ちがです。


同棲を開始した動機は将来に備えて詰めの段階に入りたかったからです。僕と彼女は月に2回ほどしか会わず、連絡も同頻度でした。それ本当に付き合ってるの?なんて言われてましたが付き合ってるんです。彼女はアルバイト戦士。正社員のように1日8時間、月20日出勤すれば定額が貰える給与形態ではありません。彼氏にばかり構って居られないのです。

けど僕はそんな現状が不満でした。1年半付き合って、彼女がなにを考えているのか、何が好きで何が嫌いなのか、表面的な事しか知らない。ふとした時に見せる表情が常に新鮮で、この表情が好きだなぁとか、こんな顔はさせたくないな、とか、そういう感慨を獲るほど彼女の深いところにいつまでも辿り着けない。一緒に居る時間が、共有する時間さえ積み重ねられればきっとこの溝も埋まっていくはず。そう信じて同棲を提案したし、彼女もきっと同じことを望み、了承してくれたのだと思っていました。
同棲して最も強く感じたのは、1人で居るよりも強い孤独感です。

彼女は凄く男性的というか淡白な人で「会えない期間が長いと気持ちが高まる。もう少し一緒に居たい、と思うくらいで別れる切なさがいい」という考えの持ち主です。僕はアイドルヲタですから、会いたい時に会いたいし我慢するのは辛い。

彼女は自分のことは自分でやりたいし、自分の生活スタイルは変えない人です。僕は合わせられる事は優先してあげることが愛情表現の1つだと思うし、合わせてもらえると凄く愛情を感じます。

つったんやあいちゅんに構ってもらってその欲求を擬似的に満たす手段があった僕にとって、アイドルに会うためのお金を彼女と共に過ごす時間を作るために投資するのはそれなりに勇気が必要でした。

彼女は引っ越しに際して稼ぐ効率をあげるために夕方から深夜にかけての仕事を始めました。僕はその仕事のシフトが確定してからそれを知りました。僕が仕事から帰ると彼女は不在で、寝た頃に帰宅します。自分だけのスペースが欲しい。部屋には入って欲しくない。そんな希望に沿って寝室が別なので、彼女はそこから自室でプライベートな時間を過ごしたり、資格の勉強をして朝方僕が目覚める頃眠りにつきます。

僕が休みでも出勤の30分前くらいに自室から出てきて、リビングで一息つき出勤していきます。
洗濯も別です。女性ものの衣類はデリケートなものが多いし、一緒に住んでも女性ですから羞恥心はあります。自分で洗濯したいからいっそ自分のものは自分でお互いやろう、と言われました。

そもそも、生活時間が食い違っているので食事も別です。あっちが休みでたまたまリビングで会った時なんかは作ってくれたりもします。この2ヶ月で3回くらいあったかな、とても美味しかったです。

彼女を悪し様に書くようで気が引けますが、僕にも言い分がある。けどなんだろうな、その場で、言葉ではうまく組み立てられない。
師匠には昔散々泣き言を聞かせて迷惑をかけた自覚があるのでなるべく1人で考えたかったんです。気が引けたのですが、胸に去来するモヤモヤを言葉にしたくて師匠に相談しました。

「...同棲始めて2ヶ月でそんなことを言うって幸せじゃないよ。同棲した意味がない」
師匠は眉間に皺を寄せて目を閉じ、絞り出すように僕のモヤモヤを的確に言葉にしてくれました。そうか、僕は今得たかった彼女との時間を得ることができなくて、その気持ちを共有できていないことを知って悲しいんだ。幸せじゃないんだ。


「どうせここで話しても1人になったら1人で考えるんだ。1人で考え込む時間なんてそんなに必要ない。話していいんだよ、ブログに書いたっていい。あれはお前のブログなんだから。」

これがこの恥の塊みたいなものを文章に起こすことになったキッカケです。書き始めると凄く整理されるんですよね、文字に残るから組み立てもしやすい。やはり師匠は師匠だな、と思いました。


話は戻って、友人の結婚式はテーマが決まっていてそれに沿った演出や催しがある少し変わったものでした。
英語圏では配偶者のことを「ベターハーフ」と表現することがあります。調べてみると舞台にもなったこの言葉、「魂の片割れ」と呼べるような、2人で1つと思えるような相性の良い配偶者のことをそう表現するらしいです。天国で2つに分かれた魂の片割れと巡り会うために生まれ、また1つになるために結婚する。見た事はないのですが、舞台の内容はそんなラブストーリーだったし、結婚式の内容もそんな感じのものだったように記憶しています。

無償の愛というのは、中々存在し得ない。少なくとも僕には無理だ。ライブも物販もやらないけど入場料をくださいと言われたらいくらあいちゅんが相手でも嫌だと言うでしょう。物販のお釣りの500円はあげちゃうけど。


対価を払うとき、そこには必ず自分に返ってくるものがあります。相手が居るならそれはお互いを思いやる気持ち、日本人の美徳である「察しと思いやり」の精神に根付いて言外で交わされるやり取りです。

僕は介護士ですが、介護の仕事は高齢者が終わりを迎えるその日を如何に満たされた気持ちで迎えられるか、終わりに至るまでの日々をどうすれば充足させる事ができるかを計画、立案し実行していく仕事です。もちろん給料はもらっているし感謝の気持ちだけを報酬として仕事を続けていけるような聖人ではありませんが、「ありがとう」の言葉をもらうと「もうひと頑張り」する気力が湧いてくるし、多少頭に来ることがあっても許せたりします。相手のことを思いやって発信した行動や言葉に対して報酬を求めるのはあまり良しとされないものですが、「あなたの気持ちは確かに受け取りましたよ」という意思表示を返すのは人と人の間で交わされるコミュニケーション、あって然るべきものなんじゃないかな。

少なくとも僕はその精神性を美しいと思うし、大切な人との関係構築においてそうありたいと思います。

別に家事を2人分してくれなくていいし、四六時中べったりしてなくていい。やりたい事はやればいいし、友人と楽しい酒を飲んでうっかり終電を逃してもいい。帰宅して酔っ払いらしく粗相をしたって、次の日に二日酔いで唸っててもいいじゃん。

ただ、何かを決めるときに「自分のパートナーはどう考えるだろう、どうしたいだろう」、何かをするときに「一声かけてみようかな」って考えるのって大事だと思うんです。

生まれも育ちも違う2人が家族になるって言うのは究極な話、自分のことで相手に関係ないことはないし、相手のことで自分に関係のないことなんてなくなるってことです。これが魂の片割れ、自分の半身ってことなのではないかと思います。相手が必要としていることを相手のためにやるのが、自分のために自分でやることと同じようにしてあげられるってことです。
範囲は人それぞれだしそこは話し合いの余地があるかもしれませんが、「自分は相手にとって必要のない存在なんじゃないか」と思わせないことは大切だと思います。

「もっと私のことを考えて」とか「もっと私のことを優先して」とか「あなたが何を考えているかわからない」なんて自分の半分に思わせたらダメだし、自分の半分が言わなきゃいけなくなったらおしまいだと思うんです。相手が自分の幸せ足り得る時っていうのは「私のこと考えてくれてるんだなぁ」とか「私のためにこんなに頑張ってくれたんだ」とか一緒に笑いあっているときとか、そんな時でしょ。
もちろん、限度はありますけどね。右手が左手に「あなたも一緒にお箸を持って」なんて言ったらお茶碗持てないですから。

まだ僕には諦めるにあたってやり切っていないことがあります。当面はそこに尽力していかないといけない。合わないならお互いの時間を無駄に浪費するべきじゃないと思うし、僕はしたくない。

上手くいかないもんだな、と悩みつつも長いものに巻かれて、揉めたら全てを譲ってリスクを避けて沢山の後悔をしながらも「仕方がなかった」と諦めて折り合いをつけて生きてきた僕は、自分が譲れないと思うものを知り、それを貫きたいと初めて強く願いました。自分の人生を決めていく実感を得られている現状をおもしろいと思っています。

結果がどう転んでも、何を失っても、今回のことをやりきれば僕は何かを得られる気がする。何かになれる気がする。それは僕が憧れ尊敬してしまう、自分の夢を叶えるためにリスクを恐れずにひたむきに走り続ける、ステージの上のあの子たちに近いものがあって、だからこそ僕は地下アイドルが好きなんだなって思いました。
言いたくないことを言った今の時点で既に半分心が折れているのが正直なところですが、自分の不安や自分可愛さに負けて後悔しないよう、もう少しだけ頑張ろうと思います。