いよいよ佳境です。残り2回もしくは3回位でエンディングまで行けると思います。

 

今までの話はこちらから。

 

連続小説「A氏の日記」 その1

連続小説「A氏の日記」 その2

連続小説「A氏の日記」 その3

連続小説「A氏の日記」 その4

連続小説「A氏の日記」 その5

連続小説「A氏の日記」 その6

連続小説「A氏の日記」 その7

 

 

それでは、本編です。

 

 

 

 そして二日が過ぎ、宇佐見の接待の日がやってきた。

 高級イタリアンレストランでの食事。そしてクラブでの接待。お決まりの接待コースであったが、相田部長は御機嫌だった。

 年の頃は五十歳近くだろうか。小太りで丸顔、頭はかなり前方が薄くなってきている。接待での楽しみは、うまいものを食べることと、ホステスに酔った勢いでさわること。もちろん、酒の味もよく知らないし、料理についてことさら詳しいわけでもなかった。

 宇佐見の大嫌いな、典型的な日本のオヤジであった。しかしながら仕事上付き合わないわけにはいかない。好き嫌いを言うわけにはいかない。少々ひきつった笑顔を浮かべながら、相田部長の相手をつとめていた。

 相田部長は横にいたホステスにご執心のようで、しきりに手を握ったり、太股をさわったりしている。二十三、四歳くらいのセミロングヘア―の彼女も、顔には笑顔を浮かべてはいたが、かなり相田部長を嫌がっているようだった。

「そりゃそうだろうな。俺が女だったとしたらイヤだもんな…。」

 心の中で宇佐見はつぶやいた。

 その時、黒服のボーイが宇佐見達のテーブルに近づいてきた。ボーイはセミロングヘア―のホステスに近づき、何か耳打ちをして去っていった。ホステスは一瞬、ほっとしたような表情を浮かべたが、すぐに残念そうな表情を浮かべ、相田部長の方に顔を向けた。

「ごめんなさい。向こうのお客さんに呼ばれたから、ちょっと行ってこないといけないの。ほんとにごめんなさいね。すぐに又戻ってくるから。」

 そう言うと彼女は立ち上がり、奥のテーブルに向って歩いて行った。しばらくすると奥から彼女の笑い声が聞こえてきた。

 ご執心の相手に去られ、相田部長の御機嫌はかなりななめのようだ。部長は目の前にあるグラスに残っていたロックのウイスキーを一気に飲み干した。

 慌てて宇佐見はグラスにウイスキーをそそいだ。

 再び相田部長は、ものも言わず、「ぐい」と一気にウイスキーを飲み干した。そして少しとろんとした目で宇佐見を見据えた。

「宇佐見君。何だ、君。今日も又全然飲んでないじゃないか。」

 宇佐見の目の前にあるグラスにはウイスキーが満々とつがれていたが、まだ一口も手がつけられていなかった。グラスの中の氷は半分近く溶けてしまっていた。

 ホステスにふられた腹いせか、相田部長は宇佐見に当たりはじめた。

「そら、またきたぞ…。」

 宇佐見は心の中で毒づいた。この前もこれと同じパターンで宇佐見は無理矢理酒を飲まされた挙げ句、相田を殴ってしまったのだ。しかし今日は大丈夫。宇佐見にはA氏からもらった薬がついているのだ。

「いえいえ、そんな事ありませんよ。今までは少し遠慮をしていまして。部長のお許しさえいただければ喜んで飲ませて頂きます。」

 宇佐見は笑顔を浮かべて言った。

「何だ、遠慮してたのか。若いもんがそんなことでどうする。男ならグッといけ。」

「そうですか。ではお言葉に甘えて遠慮なく頂きます。」

 そう言うと宇佐見は一気にグラスを飲み干した。先程飲んだ薬が効いているので、全く酔いはまわらなかった。

 豪快に酒を飲み干し顔色一つ変えようとしない宇佐見を見て、相田は驚いた。

「こりゃあびっくりした。いやあ、いい飲みっぷりだ。最近の若いもんは軟弱で、女みたいに『お酒は飲めません』などと言う奴が多いが。いやあ、びっくりした…。この前とはえらい違いだが、一体どうしたんだい。」

 前回の接待をおもいだしたのか、相田部長は不思議そうに聞いた。

「いえ。ただ、この前は前の日仕事で徹夜して、それで体調が悪かったんです。」

「ああ、そういうことだったのか。なら、仕方ないねえ。」

 相田はその説明に納得した。宇佐見は心の中で舌を出しながらつぶやいた。

 このオッサン、ホントバカだぜ。普通なら俺が細工したとか何とか考えそうなもんなのに。まあ、こんだけ酔っぱらってちゃあ何も気付くことはないだろう。あともう少し酒を飲ませれば機嫌良く帰るだろう。それまで、あともう少しのガマンだ…。

 宇佐見が心の中でこんな風に思っているとは、相田は全く気付いていなかった。

「いやあ、君みたいに飲みっぷりのいい人を見ていると、昔の自分を見ているようで何だかとても気持ちがいい。ああ、グラスがカラじゃあないか。さあ、もっと飲みたまえ。」

 そう言って相田は宇佐見のグラスにウイスキーをそそいだ。

 相田部長は高知県の出身だった。「酒が飲めない者は人間扱いされない」という風土の薫陶を受けたせいか、それとも元来からのものなのか、とにかく相田部長は酒が強かった。しかしながら自分の周りにいる若い部下乳は、なぜか皆酒が弱かった。だから部下達を酒に誘っても、つきあい程度、ほんのたまにしかついてくることはなかった。だから宇佐見のように飲める人間に会えたので、うれしくなってしまったのだった。

「宇佐見君。君は見所があるよ。これからもよろしく頼むよ。もちろん、仕事のうえでもな。」

 何杯かグラスを空にした頃、相田部長は上機嫌で宇佐見に言った。

「ありがとうございます。」

 宇佐見は改まった態度で深々と頭を下げた。これぐらいの事で取引がうまく進むのならば簡単なものだ。

「さ、まあ仕事の話はこれくらいにして、今日はパッとやろうじゃないか。君とはこれからも、仕事抜きでもいい付き合いをしていきたいからな。」

「ありがとうございます。じゃあ、改めて乾杯ということで。」

 相田部長の期限も完全に直っていた。今日の接待は完全に成功した。宇佐見は心の中でそう思っていた。

 世の中不思議な薬もあるもんだ…。

 そう思わずにはいられなかった。