今日の真田丸。
昌幸お父様、お亡くなりの回。
ううーん、ちょっと予想が外れましたね。
最初にお笑いが入ってくることは予想ついてました。でも、もうちょっと長い時間をお父さんに使うかなと、正直思っていました。
8時20分位からずーっと親子の語りに入るとかね。
以外とあっさり、終わりましたね。
昌幸の最後に行った言葉「軍勢をひとつの塊と思うな。、、、」の話は全ての組織に通じることですね。参考になります。
ただ、「尾張の国まで進軍して、、、」のところですが、ちょっと、考えてみましょう。
昌幸さんが10年かけて考えた、という割には無理のある案かと思います。
大坂から尾張に抜けるには3ルートあります。
①近江、美濃経由で尾張に進軍。
②伊賀越えで尾張に進軍。
③海路直接尾張に進軍。
まず無理なのが③の案。毛利なり九鬼の水軍の力があれば別ですが、大坂の陣前の状況では両方とも豊臣方とは距離を置いており、水軍を持たない大坂方ではできない作戦です。
②も難しい。山越えルートのため、大軍の移動に不向き。おまけに伊賀は徳川方の息のかかった地域。伊賀から伊勢に抜けることが困難でしょう。
①が一般的なルート。関ケ原の時の西軍と同じ進撃路です。が、あの時とは状況が違います。関ケ原時は三成が佐和山を拠点にしており、大垣辺りまでを勢力圏に収めていたから、尾張を望めましたが、この時点では彦根に井伊家がいます。ここで確実に足止めをくらうでしょう。
なので、尾張に進出して近江⇒京都⇒大坂と遅延戦術を取るのは無理があります。
現実的なのは、「瀬田」、「宇治」の橋を落として、そこで合戦してから大坂に退くという方法です。(幸村も最初はその案を提出しますが、退けられます。)
侍大将クラスしかいない大坂方では「瀬田」、「宇治」迄進出すること難しかったでしょう。(将クラスは長曾我部と真田しかいないですから。)
まあ、大坂城で本気で籠城すれば、2~3年持つことも可能だったでしょうから、その間に反徳川派大名を(島津、毛利、上杉等)を味方につけて、という方法もあったでしょう。
まあ、大野治長が取り仕切っていた時点で勝ち目はないとも言えますが。
結局、最初から2回に分けて城を攻め落とす気でいた家康の方が戦上手ということでしたね。
ところで、大谷吉継の娘はなんであんなにメンヘラなんでしょう?なーんか女性陣が基本的にエキセントリックなんですが、どういう意図なんでしょうかね。
まあ、その辺りは終盤にかけての布石なんでしょうかね。
で、気になるのが来週の予告。なーんか妙な方が南蛮から戻ってきそうですし、訳の分からん真田紐と、そして何より「信之」と「信繁」の対面。
一体来週はどうなるんでしょうかねえ?ちょっと、興味深々。