もう早速ですね……



やっと書いて公開したと思ったら、

友人が、

再び週刊誌を持ってやって来ました。

これがね、

一人ならまだマシなんですが、

複数いるんですよ。


と思っておりましたら、

コンプライアンス

どう思ってるんだ!!

などという、メールも頂戴しましてね。


どうもこうも、

あなたがコンプライアンスを

間違っておられますよ~

と申し上げたいのですが、

まぁお返事するよりは、

友人のような『おめでたい人』

いらっしゃるようなので、

似たような内容になりますが、

もう一度書いておこうと思いました。


前置きが、

毎度のことながら長いです。

ただ、意味も判らない言葉について、

話しても無駄になります。

読む読まないは、皆様のご自由です。

どうぞ、ご了承下さい。



さて、

昨今よく聞く

コンプライアンス

という言葉ですが、

どうも勘違いをしている方が多いようです。

ネット上の説明でも、

『法令遵守』という意味だけではない

というのをよく見かけます。

まぁ確かに、

法令遵守だけというのは、

ごく一部の解釈です。

だってねぇ、

法を守るのは当然でしょう。

法を犯せば、

それは犯罪です。

だから、

法令遵守は当たり前のことで、

現在の社会の中で、

コンプライアンスという場合には、

遵守する

個人の資質=人間性、

道徳が問われますし、

企業には、

倫理が求められます。


compliance(コンプライアンス)の語源は、

充たされている、完了している、

完璧な状態を意味する言葉である

complete(コンプリート)です。


道徳的な人が溢れ、

倫理的にも素晴らしい

モラルの高い状態、

つまり、

完璧な社会なら、

どんな法でも守り、

どのような要求にも応え、

どんな出来事にも

適合、対応できるだろう…… 

そういう状態を表現する言葉が、

コンプライアンスなんです。


なのでね、


重要なのは、

指摘する側、指摘される側、

あるいは

糾弾する側、糾弾される側、

どちらにも

モラルの高さと、

透明性、公平性、正当性、

真実性が要求されます。


そりゃそうですよね。

悪意があって、一方的に糾弾されたら、

道徳も倫理もあったもんじゃありません。


コンプライアンスの考え方が、

社会に取り入れられたきっかけは、

1960年代のアメリカにあります。

東西冷戦の真っ只中ですね。

イデオロギーの対立から、

様々なものが糾弾の対象となりました。

特に、

利潤を追及する横暴な企業に、

非難が集中するようになったんですね。

まぁ、

共産主義者が資本主義を叩く

常套手段ですね。


しかし、


そんな企業の中には、

実際に、

法の抜け道=法が整備されていない状況を

悪用した大企業も多く、

その違法性を糾弾し、

罰を与えるために、

新たな法を整えるという

『イタチごっこ』が続いていました。

そんなことから、

企業の倫理が問われるようになります。


アメリカでは、

民事訴訟を最後まで争うことが少なく、

ほぼ一割もありません。

ほとんどが和解で済ませてしまいます。

金銭的問題ではないはずの内容でも、

民事訴訟は最終的に

金銭で賠償することになりますから、

時間や精神的負担を軽減するため、

裁判での最終判断を待たず、

和解金で解決をするんですね。


欧米の道徳の基本は、

宗教にあります。

何しろ、

大統領でさえ、聖書に手をおいて、

神に誓って就任するでしょう?


キリスト教では

争うことすら罪ですから、

裁判を起こす側も、起こされる側も、

イメージ的には、

大変な損害=ダメージになります。

そのために、

お互いが、正当性を主張します。

でも、

どちらも正当だと言っていたら、

裁判は平行線のままですよね?

その上で、

結果的に第三者から

非を咎められることになれば、

つまり判決が出て訴訟に負ければ、

負けた側のダメージは、

さらに深刻です。

なので、

お互いのダメージが最小限で済み、

金銭的にも納得できるところで、

和解するんです。


そうなると、

証拠や証言の信憑性や真実性より、

主張のインパクトが

重視されることになります。

だってねぇ、

裁判で、

真実や真相を

最後まで究明しないんですから、

世論を味方につけ、

先手を打って、

相手にダメージを与えるほど、

交渉を有利に進められるでしょう?


そんな記者会見を、

最近何度か見ましたよね。


欧米では、

多額の賠償請求になるような訴訟なら、

記者会見のインパクトにこだわって、

演出家をつけることもあります。


ただ、


そんな方法が、

正しい訳ではありません。

結局は、

悪質な原告=訴える側の

金銭目的や復讐、報復行為、嫌がらせに

利用されるようになりました。

でもね、

訴訟を起こすことも、裁判を受けることも、

平等に認められている権利ですからね。

どの角度からみても、

報復行為や嫌がらせにしか

思えない訴訟でも、

禁止することは出来ません。


様々な方面から、

莫大な賠償請求訴訟を起こされる

可能性の高い大企業は、

常にそんな危険に晒されている状態です。

また中には、

訴訟を起こされる損害より、

軽微な犯罪で済ませる方が得だと考える

さらに悪質な

企業までが現れるようになりました。


例えば、

アメリカ マクドナルド社が、

とある訴訟で、

多額の賠償金を支払ったことを皮切りに、

『ダイエットに失敗した原因』などと、

ほぼ言い掛かりのような訴訟を、

多数起こされた事例や、

資源開発会社のエンロンが、

株主からの経営責任の追及を避けるため、

海外の系列会社を使って、

粉飾決算、不正会計を行っていた

いわゆる『エンロン事件』があります。

エンロンは軽微な罪とは言えず、

世界経済を混乱させた上に、

倒産してしまいました。


とは言え、


平常時に、

企業の倫理観を知ることは、

なかなか難しいですし、

企業が普段から、

道徳教育や、倫理観の向上に

力を注いでいるかどうかも、

社外や一般人には判りません。


そこで、

企業としてのモラルが、

一定の水準で保たれていることを

証明するために、

社内での社員教育や、ルール作り、

企業としての社会貢献など、

モラルを高める取り組みが奨励されました。

この各企業の取り組みを、

コンプライアンス プログラム

と言います。


まぁ簡単に言いますとね、


何かトラブルが起きた時に、

その企業は、

コンプライアンス プログラムによって、

一定のモラルが保たれているから、

『悪質じゃないんですよ』

アピールできる訳です。


また場合によっては

『企業全体は悪くはない』

『社員個人の問題である』と、

企業そのものへの

ダメージも回避できる訳です。


そう言った取り組みが、

アメリカ国内で、

政府主導で行われました。


当時は、

アメリカ発の世界的経済混乱が

続いていたので、

国としての威信もかかっていました。


この取り組みが、

日本でも重視されるようになったのは、

先頃、

株式上場廃止になった東芝の

粉飾決算事件がきっかけでした。

その後も、

三菱自動車や日産自動車の問題が、

企業のモラルの低さを露呈させたことから、

現在のような

コンプライアンス ブームになりました。


コンプライアンスについて

勘違いしてはならないのは、

あくまでも

社内ルールや社員教育などの

取り組みであって、

法令や法律ではないということです。


例えば、

企業で何かトラブルがあった場合、

法令法律に関わることは、

当然ですが、

司法の判断、行政の判断を、

仰がなくてはなりません。

それ以外のトラブルについては、

社内ルールなどの取り決めや、

企業としての判断で、

対処することになります。


なのでね、


全く関係のない第三者が、

コンプライアンス違反だ!

などと、

指摘糾弾する

権利はありません。


まぁ、

あなたがもし、その企業の社員なら、

正当な手続きを経て、

訴えるなり、

改善を求める権利は、あるでしょう。


でもねぇ、


関係のない第三者は、

権利もないから第三者なんですよ(笑)


ある夫婦が

離婚するということになって、

急に知らないオジさんが、

それは道徳的におかしい! 

と離婚を批判しに来たら、

ただの迷惑行為でしょう?

プライバシー侵害じゃないですか?


まぁね、


先述の通りコンプライアンスは、

各企業の取り組みですから、

そりゃ企業によっては、

『お客様は神様です』とばかりに、

顧客の言うことを聞くこともあるでしょう。

そのように、

コンプライアンスの範囲を

社内だけでなく、

社会規範にまで広げるのであれば、

当然のことに、

糾弾する側のモラルも

問われるでしょう。


でなければ、

さっきの知らないオジさんと同じ

ただの迷惑行為です。


では実際の各企業で、

どのような内容が倫理的に、

違反行為とされているのかと言えば、


例えば

  • 情報漏洩
  • サービス残業の常態化
  • セクシャルハラスメント
  • パワーハラスメント
  • 不適切なSNS利用
  • 不適切会計・会計不正
  • 支給品の不正利用   ……

と言った内容が多いですね。


今回の宝塚歌劇団の

一連の騒動で考えるなら、

  1. 情報漏洩
  2. サービス残業の常態化
  3. パワーハラスメント

の三点ということになるでしょう。


2のサービス残業など、

超過労働、過重労働については、

すでに労働基準監督署の調査が入り、

改善が進められています。

すでに行政の指導を受けて、

クリアになっているでしょう。


3のパワーハラスメントについては、

遺族側弁護士から

不問と回答されました。

 会見で遺族側弁護士さんが、

ごちゃごちゃ仰って、

言い方にこだわってらっしゃいましたが、

要するに、

パワハラがあったとしても、

それが

自殺に直接影響したかどうかは、

問えないと判断した訳です。


おそらく、

今回の件が裁判になっていても、

電通女子社員の自殺事件と同じように、

判決では不問となっていたでしょう。

というより、

前回の投稿でも申し上げましたが、

電通の件と違って、

そもそもパワハラに当たるのか、

それも微妙なところです。


歌劇団側が、

パワハラをしたとされる団員を、

不問としたのは、

劇団内の調査報告に基づくものでしょう。

ご遺族側と、

見解の相違があったとしても、

それは

仕方がないでしょうね。

劇団員は、

彼女を自殺させるために、

叱責した訳ではありませんから。

ご遺族側が、

その相違を容認できないのであれば、

裁判で追及しなければなりません。


しかし今回は、

その追及はしない、できないと、

ご遺族側が判断されたのですから、

関係のない第三者が、

異議を唱えることはできません。


ご遺族側が謝罪を受け入れないと

発表しておられるにもかかわらず、

『謝罪が済んでいない! 』

などと、

全くの部外者が喚いているのは、

ご遺族に対して

迷惑この上ないでしょう。

ご遺族が

線引きをされたのに、

なぜ部外者が勝手に、

合意内容を批判するのか?

人の死を

弄ぶにも程があります。


残るは、

1の情報漏洩です。


これは本当に大問題なんです。


遺族側弁護士さんが利用するつもりだった

『誓約書』というものがあります。

なんだかんだ仰ってましたが、

早く言えば、劇団員のルールブックです。

その中で、

劇団内の情報を

外部に漏らすことは

禁止されています。


また社会規範に照らしても、

週刊文春などの雑誌への情報漏洩と、

一方的な記事の掲載には、

倫理的に問題があります。

コンプライアンスとして考えるなら、

情報漏洩記事掲載

どちらも問題行動です。


これね、

おそらく遺族側弁護士さんは

ワザと、

誓約書は特殊である

アピールしたんでしょう。

マスコミなども、

何かあれば隠蔽体質などと言いますが、

では、

どの基準から隠蔽となるのか?

そんな基準が示されたことが、

今までにありますか?


外部の人が単純に知らないということと、

公表や発表する必要がないことと、

公表する必要があるのに、

ワザと公表しないとの違いが、

理解されていないのか、

ワザと理解していないのか?

ワザとなら、悪質ですね。

これも

コンプライアンスとしては、

問題行動です。


もし、

この『誓約書』なるものが

宝塚歌劇というブランドを維持するために

必要なルールと考えれば、

それを、

第三者が特殊と感じても、

指摘や批判の対象にはなりません。


ネズミーランドのMマウスは、

園内に20匹以上いて、

中には大人の人間が入っている……

週刊文春は、

これも隠蔽だと記事にしますか?

遺族側弁護士さんは、

口外してはならないと言われている

スタッフさんたちを

『特殊だ! 』なんて言うでしょうか?


マスコミも弁護士も、

自分たちの都合の良いように、

隠蔽という言葉に変えているだけです。

もし、

この遺族側弁護士さんが

ネズミーランド側の代理人となっていたら、

権利侵害なり著作権保護を、

大きな声で喚き散らしていたでしょう。


問題点は、

なぜ外部に

発表する必要があるのか?

ということです。


もし、

内部告発をするんだ❗️

という目的であるならば、

訴えるべき場所が違います。

現に、

超過勤務や過重労働については、

正規の手続きを経て

労働基準監督署に訴えられ、

立ち入り調査が行われています。


イジメだ!体罰だ!というなら警察

職場でのパワハラは労働基準監督署

人権に関わることは法務省人権擁護局

という場所があります。


決して週刊文春の編集部ではありません。


私が最初から、

週刊文春の記事が悪質だというのは、

ヘアアイロンの火傷の件を、

彼女の名前を伏せて書いたことです。


公開されていた

歌劇団の調査報告書の内容と、

遺族側弁護士さんの提示された証拠から

判断すれば、

彼女の負った火傷はごく軽度の火傷です。

重傷である証拠がありません。

状況から判断しても、

せいぜい過失傷害です

傷害罪や暴行罪の証拠もありません。


軽度の傷を負わせた過失傷害であれば、

親告罪とみなされます。

親告罪というのは、

被害者が訴えない限り

立件できません。

さらに、

第三者が

告発することもできません。

これね、

弁護士なら

当然知っていることです。


この、

第三者が告発できない

というのが重要なポイントです。


なぜ第三者が告発できないのか?

それは、

軽度な傷を負わせた程度なら、

当事者間で解決できるかもしれませんし、

被害者に不服があれば、

時効までに訴えれば良いからです。

これは被害者の権利ですから、

第三者は手出しできません。


ヘアアイロンの件が

週刊文春の記事となったのは、

発生してから一年以上も後のことです。

すでに訴える時効を過ぎていました。

法的に言うのなら、

彼女は訴える権利を放棄しました。

天彩との

関係修復を望んだのか、

さらなる

関係悪化を避けたのかは判りません。

いずれにしても、

外部への公表は望んでいなかったと

言えるでしょう。


つまり、

そもそも週刊文春には、

告発できる権利も、

資格もありません。

法的にも、

訴えることができる

時期を過ぎていました。

だから、

週刊文春が言うような

告発という

大義名分は成立しません。


彼女は

公表することを望んでおらず

調査報告書によれば、

地道に、

天彩との関係修復を進めていた。


それを、

週刊文春は、

どんな意図で持ち込まれた情報なのか、

精査もせず、


歌劇団側から

『イジメの事実はない』との回答と、

掲載中止が求められたにもかかわらず、

『イジメ』として掲載したんです。

これだけでも、

文藝春秋社の倫理に

大きな問題があるでしょう?


さらに、


悪質だと言えるのは、

彼女の名前を

伏せたことです。

第三者による

親告罪の告発は許されていないので、

被害者の名前を隠すことで、

権利の侵害を犯していないように、

見せたかったのでしょう。

つまり、

その事情を知っていた訳です。

名前を伏せて、

彼女を守ったんじゃなく、

名前を伏せないと、

訴えられる可能性があったからです。


結局は、

インパクトのある

記事にするために、

彼女を

利用したに過ぎません。


何度も言うようですが、

そんなことを弁護士が

知らないはずはありません。

弁護士ではない

私でも知っていることです。


知っていながら、

遺族側弁護士さんは、

週刊文春の記事には触れなかった

と言われても仕方ありませんね。

だって記者会見で、

『誰が情報漏洩をしたかは詮索するな』

と、記者たちに釘を刺したんですからね。

問題点は、

誰が情報漏洩したか? ということと、

なぜ

週刊文春が掲載したか? という

二点もあるのに、

どちらも無視したことになります。


これだけ

倫理的に問題があるかもしれないのに、

コンプライアンスを叫ぶ皆さんは、

どなたも

この弁護士さんや、週刊文春を、

問題にしませんね。

本当に、

仕込みじゃないか?

と思うほど、

不思議です。


さらに言えば、


現在でも、

劇団員に罪があるかのように

批判する人たちが根拠にしているのは、

全て、

報道ネット上で垂れ流されている

検証されていない情報です。

他に何の情報もないでしょう?


普通に考えてみて下さい。


雑誌やらネットで流されている内容が

本当に検証済みの真実なら、

どうして

遺族側弁護士さんは、

裁判をしなかったんです?

雑誌やらネット上で言われていることが

本当に『真実』なら、

訴訟を扱う

プロフェッショナルの弁護士が、

記者会見で

『追及するのは難しい』

なんて言い方はしないでしょう?


つまり、

現在でも批判を続ける人たちの根拠は、

一方的な憶測

でしかない言うことです。


何度も言うようですが、

このような行動は、

コンプライアンス的にも問題ですし、

ハラスメント行為です。

名誉毀損威力業務妨害になる

可能性の高い犯罪行為でしょう。


合意が締結された今、

ご遺族の意志を、本当に尊重するなら、

それに意義を唱えるような言動は、

一切控えるのが、

社会的規範でしょう。

それがコンプライアンスです。


だから、

私は普通に、

いやむしろ期待して、

宙組を観に行きたいですね。


彼女だけでなく、

彼女の仲間たちも命懸けで勤める舞台です。

その貴重な舞台を、

金儲けに走る下らぬ雑誌や、

自己顕示欲ばかりの下衆な人たちに、

邪魔されてたまるもんですか。


私はそう考えています。


最後まで読んで頂き、

真にありがとうございます。


余計な投稿が先になって、

星組、花組、月組の記事を

書きっぱなしになっております。


次回は

気持ち良い記事で、

皆様にお目にかかれますように。


あわせて、

彼女の仲間たちの舞台の成功を、

祈らずにはおられません。