本記事では、拙ブログでタイトー(TAITO)社に言及した記事を、以下の4つの小分類に分けてまとめています(2026年7月25日現在)。

 

(1)TAITOの歴史に関連する記事

(2)TAITOのゲーム機に関連する記事

(3)TAITO製の7号営業向け遊技機に関連する記事

(4)その他

 

本記事は、今後更新されることがあります。最終更新日:2026年7月26日

 

▲タイトーのロゴの変遷。上段は「太東貿易」を名乗っていた時代のもので、遅くとも1965年時点で使用されていることは確認している。中段は1972年に社名を「タイトー」に変更した際に新たに制定したロゴ。緑色は当時のコーポレートカラーだった。下段は1988年、創業35周年を機に実施したCIで制定したロゴ。

 

(1)TAITOの歴史に関連する記事

 

 北米に手打ち式パチンコを見る 2021.05.30

タイトーが中古のパチンコ機を米国に輸出していた背景には何があったのか。

 

 86年JAMMAショウ・TAITO編 2021.07.25

1986年に開催された業界のトレーディングショウでのタイトーの出典内容。

 

 1960年代のTAITO(1):1964-1967【情報求む】 2021.11.07

かつてタイトーが自社サイトで公開していた歴代のAM機リストのうち、1964年~1967年まで。全5回シリーズ。

 

 1960年代のTAITO(2):1968-1969【情報求む】 2021.11.14

前回に続き1968年から1969年まで。

 

 1960年代のTAITO(3):追加情報その1 2021.11.21

今回のシリーズをご高覧くださった皆さまからいただいた追加情報のその1。

 

 1960年代のTAITO(4):追加情報その2 2021.11.28

今回のシリーズをご高覧くださった皆さまからいただいた追加情報のその2。

 

 1960年代のTAITO(5):追加情報その3 2021.12.05

今回のシリーズをご高覧くださった皆さまからいただいた追加情報のその3。

 

(2)TAITOのゲーム機に関連する記事

 

 タイトー初のビデオスロット「スーパーレインボー(1981)」 2021.04.25

ビデオ技術の発達で広まりつつあったビデオスロットにタイトーが参入。

 

 初期の国産メダルゲーム機リスト(1)1974 2022.08.28

タイトー以外も含む、初期(1974~1978)の国産メダルゲーム機のリスト。全4回シリーズ。

 初期の国産メダルゲーム機リスト(2)1975年 2022.09.06

 初期の国産メダルゲーム機リスト(3)1976年 2022.09.11

 初期の国産メダルゲーム機リスト(4)1978年 2022.09.18

 

 

 【小ネタ】1976年のタイトロニクス 2023.06.18

1976年にタイトーが頒布したビデオゲームの総合カタログ。

 

 タイトーのルーレットゲーム(1) マジックルーレットシリーズ  2026.06.07

タイトーが製造したメダルゲームのルーレットゲーム機を網羅する全6回シリーズ。1回目は1980年の「マジックルーレット」1981年の「ニューマジックルーレット」

 

 タイトーのルーレットゲーム(2) エメラルドホール(1989) 2026.06.14

シリーズ2回目は「エメラルドホール」。

 

 タイトーのルーレットゲーム(3) カジノビーナス(1992) 2026.06.21

シリーズ3回目は「カジノビーナス」。

 

 タイトーのルーレットゲーム(4) シネマテックルーレット(2006)その1 2026.06.28

 タイトーのルーレットゲーム(5) シネマテックルーレット(2006)その2 2026.07.12

シリーズ4回目と5回目はタイトー最後のルーレットゲームとなる「シネマテックルーレット」。

 

 タイトーのルーレットゲーム(6) 補遺 2026.07.19

シリーズ最後は、コメントやSNSでお寄せいただいた補足情報。

 

(3)TAITO製の7号営業向け遊技機に関連する記事

 

 IPDBと「アポロボール(TAITO, 1971?)」 2021.01.10

ピンボール機のオンラインデータベース、「Internet Pinball Data Base(IPDB)」に見える「Apollo Ball」とタイトーの7号遊技機「アポロボール」との関係は?

 

 オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(1):プロローグ 2022.01.23

パチスロの嚆矢「オリンピア」ができたいきさつを、断片的な事実をもとに創作したフィクション。全5回シリーズ +後日談2回。

 

 オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(2):第1幕/第2幕 2022-01-30

 オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(3):第3幕 2022.02.06

 オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(4):第4幕/第5幕 2022.02.13

 オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(5):ファクトチェック2022.02.20

 SEGA RETROさん、それ、違うってば! 2024.01.28

 【補足情報】SEGA RETROさん、それ違うってば!のフォロー 2024.01.30

 

 

 「株式会社オリンピア」は実在したのか? 2025.08.03

オリンピア機の開発販売を巡って作られた、タイトーとセガによる合弁会社(のように見える)「株式会社オリンピア」は、しかしその活動実態が殆ど伝わっておらず、謎の企業となっているのだが。

 

 「スキル・ボール」と「アポロ・ボール」の謎(1) 2025.08.17

セガとタイトーは、同じ時期に同じゲーム内容だが異なる筐体、異なる名称で6カードビンゴ機を風俗営業機として製造販売していたのはどういうわけなのか。全3回シリーズ。

 「スキル・ボール」と「アポロ・ボール」の謎(2) 2025.08.24

 「スキル・ボール」と「アポロ・ボール」の謎(3) 2025.08.31

 

 

 

(4)TAITOに関連するその他の記事

 

 お知らせと過去記事の補足をいくつか 2022.10.30 

タイトーが1967年に発売したプライズ機「サンダーバード」画像あり

 

以上

本シリーズで採り上げた機種に関して、ありがたいことにコメント欄やSNSで補足情報をお寄せ下さる方々がいらっしゃいました。今回はシリーズ最終回として、それらをまとめておこうと思います。

 

【エメラルドホール】

●「球が回転盤の「★」に入ると「LOST OR JACKPOT GAME」に入ると言っているがそれがどんなものだったか覚えていない」と述べたところ、ビンゴサーカスさんよりコメント欄にて情報をいただきました。それによると、

 

・★ポケットには金色と銀色が一つずつある。

・★ポケットに球が入ると、モニター上で抽選が行われる。

・金の★の場合は通常配当の2倍、銀の★は通常配当の半分(だったと思う)。

 

とのことでした。ビンゴサーカスさんは「LOST OR JACKPOT GAME」「ビデオでの抽選なのだからいくらでもイカサマができるのに結構当たった」とおっしゃっています

 

●同じくビンゴサーカスさんより、フライヤーの説明図では3つのボタンを「係員呼び出し」、「ペイアウト」、「クレジットゲーム」ボタンと説明していますが、これらはベット用のボタンであり、フライヤーが説明している機能は各サテライトの上部にあるボタンに振られているとのことです。

 

▲フライヤーにあるコントロールパネルの説明図。1、2、3のボタンはベットに使用するボタンであり、説明が間違っている。

 

▲実際のコントロールパネル。フライヤーの説明図はAの3つのボタンの機能を述べているが、その機能は、正しくはBのボタンに振られており、ビンゴサーカスさんによれば、Aの3個のボタンは、リピートベット、10ベット、1ベットのボタンとのこと。

 

●やはりビンゴサーカスさんからの情報によると、レイアウトの左右に見える10個の円は、ベットの残り時間を表示するランプだったとのことです。ベット受付開始時は全ての円が点灯し、以降時間経過に従って一つずつ消灯していき、全部消灯したらベット締切となったとのことです。

 

▲ベット時間を表示する、左右10個ずつのランプ(黄色の破線内)。

 

【シネマテックルーレット】

●「ロイヤルアスコットII DX以降メダル投入口にホッパーを使用した例はない」と申し上げたところ、あさんという方から、「ガリレオファクトリーは手動のホッパーでは」とのご指摘をいただきました。

記事本文ではメダルをクレジットに変換する装置で、と言う趣旨だったためあのような記述となりましたが、あさんがおっしゃる通り、ガリレオファクトリーのメダル投入口の原理はホッパーと同じものです。

 

●X(旧ツイッター)で、日高小春さん(@highscore_girl)という方から、ビデオポーカーは、1ペアを含む4フラッシュでは絶対にフラッシュに発展せず、1ペアを残すと必ず2ペア以上に発展したとの情報をいただきました。ペイアウトテーブルからしてペイアウト率が高すぎると思っていましたが、やはりナチュラルディールではなかったようです。

 

(このシリーズおわり)

前回の続きで、シネマテックルーレットCinematech Roulette)その2です。前回は、独特の工夫を凝らしたメダル投入装置と、プロジェクターでサテライト前部のガラス面に画像を投影する新規性について述べました。普段はガラスの壁を、状況によってスクリーンに転用するという発想は「tech(技術)」と謳っても良かんべえと思います。ただ、問題はその「tech」を何にどう使うかです。どんなにすごい技術や発想も、使い方次第で良くも悪くもなります。シネマテックルーレットはどう評価すべきでしょうか。

 

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改めて「シネマテックルーレット」とはどんなゲームだったかを確認してみます。業界誌「アミューズメント・ジャーナル」誌の2004年9月号での紹介記事を要約すると、「シネマテックルーレット」は以下の4点をセールスポイントとしています。

 

①   ルーレット、ビデオポーカー、ビデオスロットの3種の異なるゲームが楽しめる

 

②   ハリウッド5大メジャーの一つ、MGMとコラボし、イベント発生時にはプレイヤー前面のスクリーンに「ロボコップ」「ロッキー」「ゲット・ショーティ」「RONIN」の名作映画に関連した映像を映してイベントを盛り上げる。

 

③   ICチップ内臓のポイントカード「ラッキーパス」で様々な優遇措置あり。

 

④   筐体には1260個のLEDと直径69cmの大型メカ式ルーレット盤でひときわ目立つ。

 

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まず、上記①について。タイトルで「ルーレット」と謳っていますが、実はこの機械1台でビデオポーカーとビデオスロットも遊べるのです。

 

 

 

▲サテライトのコントロールパネル画面。上からルーレット、ビデオポーカー、ビデオスロット。

 

しかし、もしビデオのゲームばかり遊ばれた日には、せっかく高い開発費を掛けて作ったメカ式の抽選機構が浮かばれないというものです。セガのロングランビデオ競馬ゲーム「スターホース」のように、馬を育成するというメインの目的を達成する際に発生する合間に他のビデオゲームを遊ばせると言うのであれば全く異なるゲームを併存させる意味もありますが、ルーレットにはそんなに長い「合間」はありません。ひょっとして、単純にルーレット一本では弱いと考えたのでしょうか。

 

次に②について。このゲームでは、イベントやダブルアップゲームで、日本でもヒットしたハリウッドの大作映画がフィーチャリングされていて、機械のタイトルで「シネマ」を名乗る所以となっています。

 

 

 

▲映画のIPが使用されている例。画像上はサテライト前面のガラスに表示される「イベントスロット」の一例。使用されている映像は「ロボコップ」からだが、他の映画がテーマとなることもある。画像中は何かのイベントで発生する「スペシャルゲーム」の映像で、ここでは「ロッキー」が採り上げられている。画像下はビデオポーカーのダブルアップ画面で、このシーンは「ゲット・ショーティ」より。

 

ルーレットは新奇性こそ無いものの手堅いゲームで、またゴージャスなカジノの雰囲気を演出してくれるので、特に大規模ロケではそれなりに需要のあるジャンルではあったと思います。しかし、手堅くはあっても大ヒットするようなゲームでもなく、従来と同じことをやっていては限界が知れているので、何らかの付加価値を付けてその壁を超えようとすることはあって然るべき工夫ではありましょう。しかしそれがよそ様のIPの詰め合わせを文字通り取って付けただけでは、あまりにも安易でお粗末だと思います。

 

例えば使用するIPを一本に絞り、筐体デザインから世界観演出までそれで統一すれば、それはそれでそれなりのものにはなったのではないかと思います(書いていて思い出したが、20年くらい前にラスベガスの「ラスベガス・ヒルトン(現ウェストゲート)」ホテルが、SF映画「スタートレック」をテーマとするカジノエリアを設けて話題となったことがあった)。

 

③について、この頃は各社がメダルゲームとICチップが載っているカードとを連携させる試みを始めており、タイトーは「ラッキーパスポート」と言うシステムで運営していました。このカードでログインすると、ルーレット、ビデオスロット、ビデオポーカーのそれぞれで何らかの優遇措置を得たり、スペシャルなイベントが発生しやすくなったりするなどの特典があると言っています。

 

▲ヘルプ画面に表示される、「ラッキーパスを利用した場合」の説明。なにかメリットがあることは確かなようではある。

 

表示される説明を、面倒ながらも辛抱して読んでは見ましたが、ラッキーパスなんか無くても最初から解放しておくべきと思う特典や、たいしたメリットとも思えない特典がほとんどだと思いました。おそらくは「ラッキーパス」を普及させたい会社の方針が先にあり、これに合わせて半ば無理やりひねり出したのだと思いますが、そのためにゲームの本質を毀損するようようでは本末転倒というものです。

 

最後の④について、隔壁越しに見るルーレットの回転盤は、カジノ向けのホイールをそのまま持ってきたのかと思うほど立派なアメリカンホイールに見えます。

 

▲ルーレットの回転盤。標準的なアメリカンホイールで、トリプルゼロなどハウスエッジを増やすために付け足したポケットがない。

 

しかし、これだけ立派なホイールなのに、その実態はビデオポーカーやビデオスロットと同列の一コンテンツにすぎないのは、どうにもバランスの悪さを感じてしまいます。

 

北米のカジノでも、1台のビデオ筐体でポーカー、スロット、キノなど異なるビデオゲームを自由に選択して遊べる機械はポピュラーですが、メカの抽選機を備えたETG(Electric Table Game)で、その抽選機とリンクしない全く別のビデオゲームも遊べる機械は、今のところ見たことがありません。

 

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ワタシは過去記事の何処かで、タイトーのメダルゲームはセンスが悪いと言う趣旨のことを述べた記憶があるのですが、「シネマテックルーレット」はその集大成であったと思います。もう少し突っ込んで言ってしまうと、タイトーは古くからメダルゲームを作ってきている大手のくせに、ギャンブルマインドを理解していないかのように見える製品開発を行っているように思われます。もちろん、それがかえって功を奏し、有識者には思いもつかない画期的なものができる可能性があることは否定しませんが、少なくともワタシには、タイトー製のメダルゲームでそのような製品は思い当たりません。

 

今回のシリーズでいただいたコメントによると、シネマテックルーレットは、何台かは生産されたらしいですが、広く普及することはありませんでした。

 

次回は、いただいたコメントを本シリーズの補遺としてご紹介して最終回としようと思います。

前回まで3回に渡って4機種のタイトー製ルーレットゲーム(マジックルーレットニューマジックルーレットエメラルドホールカジノビーナス)を挙げて来た今回のシリーズも、今回の5機種目を以て最終回となります。ワタシが知る限り、タイトーのメカを伴うルーレットのメダルゲームはこれで全て網羅(大げさ)されるはずです。

 

さて、ここでいつもの通りグダグダと前置きをしてしまいますが、実はワタシ、この最後の1機種にはできればずっと触れたくありませんでした。その理由は、この機種が拙ブログで扱うには新し過ぎるとか、実際にロケで稼働していた事実はあるものの本当に量産されたのかどうか怪しいなどという事もありますが、正直に言えばそれも言い訳で、最大の理由は、ついつい感情に任せて穏当を欠く事を書き散らしてしまう恐れがあるからです。

 

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さて、タイトーのエレメカ系ルーレットの5機種目にしてワタシがなるべく言及したくなかった機種とは、2006年に発売された「シネマテックルーレットCinematech Roulette)」です。

 

▲シネマテックルーレットの筐体。フライヤーがないため、ニュースリリースで発表された筐体画像のみ。

 

ワタシはこの機械を、2004年の7月に、川崎市溝の口タイトーのロケで見ています。溝の口はワタシの普段の行動圏ではありませんが、ある筋から新しいメダルゲームのロケテストが行われていると聞いて行ってみたのでした。

 

▲溝の口のタイトーステーションでの、シネマテックルーレットのロケテストの様子。

 

それにしてもタイトルの「Cinematech」はとはどういう意味でしょう。おそらく映画の「Cinema」と技術の「Tech」の合成語のつもりなのでしょうが、そうだとしてどの辺が「tech」なのか。今回のシリーズの1回目でも言及しましたが、タイトーはたまに感心させられるtechを見せることがあるので、期待を感じます。

 

ロケテストはなかなか盛況ではありましたが、運よく一つ席が空いていたのでそこに座り、メダルを投入しようとメダル投入口を見ると、それはこれまでに見たことのない形状をしています。

 

▲シネマテックルーレットのメダル投入口。

 

メダルの投入はメダルゲームが長年抱えていた課題でした。メダルを1枚ずつしか投入できない通常の投入口に大量のメダルを投入するのは面倒な作業だったからです。

 

メダルを使用せず、スイッチ操作でクレジットを出納することは技術的には簡単ですが、それはGマシンによる違法営業で採られている手法なので、違法営業とは明確に区別されたい業界団体(当時はJAMMA=日本アミューズメントマシン協会(関連記事:AM産業と業界誌の謎(3)))は、加盟する企業に対して「健全化を阻害する機械基準」という内規を発して禁止しています。

 

セガはそのソリューションとして、1997年に発売した大型のメカ競馬ゲーム「ROYAL ASCOT II DX」において、メダル投入口にホッパーを導入しました。しかし、メダルの入口になるバケットにタバコの灰や吸殻、あるいはこぼした飲料など異物が入り込むことで不具合が頻発したため、以降セガはこの手法を採ることはありませんでした。

 

各社はメダルの連続投入がしやすくなる投入口をそれぞれで知恵を絞って考案しました。それらも確かに無いよりマシと言える程度には有効でしたが、十分満足と言えるものではありませんでした。

 

タイトーの、このメダル投入口もそんな工夫の一つの答えでした。スロット手前のトレンチ(溝)に束ねたトークンを置いて親指でスロットに向けて押し出すところまでは他社の工夫と同じですが、タイトーはそのトレンチを小さなコインボウルで囲いました。

 

このコインボウルにぶちこんだメダルを指で適当に撹拌すると、メダルは案外簡単にトレンチに整列するので、それを親指で押し出せば、メダルは次々とスロットに吸い込まれていきます。トレンチからこぼれたメダルもボウル内に留まりすぐに投入できるので、メダルを床に落としてしまいわざわざ椅子から降りて屈んで拾い上げるなどという、以前にはよくあった面倒も回避しています。

 

▲シネマテックルーレットのメダル投入口からメダルを投入する。まずコインボウル内にメダルを入れ(上)、次に指で適当に撹拌してトレンチに整列させたメダルを親指でスロットに向かって押し出す(下)。

 

確認はしていませんが、径が異なるメダルを使用する場合は異なる型が必要になるかもしれません。その点ではコストがいくらか高くなってしまう可能性がありそうですが、プレイヤーにとってはなかなか快適でありがたい工夫です。さすが老舗にして大手のタイトー、考えたものだと感心しました。

 

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さて、この機種はタイトルに「ルーレット」と名乗るだけあり、プレイフィールドにはルーレットの回転盤があります。ただ、通常のルーレットゲームは回転盤の上部を覆うにとどまるものでしたが、この機種では回転盤を取り囲むようにガラスの壁を設けており、ちょっとセガの「ビンゴプラネット(1997)」を思わせるデザインでした。

 

▲ビンゴプラネット(sega、1997)のフライヤー。ガラスの壁でプレイフィールドを取り囲んでいる点がシネマテックルーレットと共通する。

 

ビンゴプラネットの場合、プレイフィールドを光で照らす演出を行うためにプレイフィールドを暗くしたいという意図があり、敢えてその前作であるビンゴサーカス関連記事:セガのマスビンゴゲーム(3) ビンゴサーカス(Bingo Circus, 1989)とその後継機)とは異なる筐体設計としてあります。ではシネマテックルーレットはどんな意図でこんなデザインにしたのでしょうか。

 

実はシネマテックルーレットは、プレイフィールドを覆うガラスの壁を、画像を投影するスクリーンにしようとしていたのでした。ガラスで隔絶された内部にはプロジェクターがあり、そこから当該サテライトのガラス面に画像を投影していました。

 

▲ガラスで覆われた内部に設置されているプロジェクター。ここから、対面のサテライトのガラス面に画像を投影する。

 

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さて、今回のシネマテックルーレットを以て最終回としようと思っていた本シリーズですが、以外にも多くのことを述べすぎて長くなってしまいました。つきましては、この続きは次回に持ち越しとさせていただきとうございます。

 

なお、毎週日曜日更新を目指す説ブログではありますが、来週7月5日の日曜日は不在のため更新をお休みさせていただき、次回更新は7月12日となる予定です。何卒ご了承ください。

 

(つづく)

前回記事で採り上げた「エメラルドホール」について、ご高覧くださった「ビンゴサーカス」さんより、コメント欄にていくらかの詳細情報をいただきました。謎だった「LOSE OR JACKPOT GAME」など、ワタシが言及できずにいた貴重な情報ですので、本シリーズの最後でまとめて記録したいと思います。ビンゴサーカスさん、ありがとうございました。

 

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さて、タイトーのルーレットゲーム第3回目は、1992年にリリースされた「カジノビーナス」です。

 

 

▲「カジノビーナス」のフライヤーの表裏。なるべく大きく表示するために上下に二分割している。

 

実は、前作の印象があまりにも悪かったため、ワタシはこの機種をまったく遊んでおらず、語れるほどの記憶がありません。とは言え今回のシリーズでは無視できない機種なので、なんとかまとめてみようと思います。

 

タイトーがエメラルドホール後に発売したマスメダル機と言えば、1991年の5人用ビデオ競馬ゲーム「ダービークイーン(Derby Queen)」と、他に3機種ほどのコインプッシャーをリリースしており、それらもいくらかは普及しましたが、後々まで語り継がれる名機と言うほどのものでもありませんでした。

 

 

▲エメラルドホール後、カジノビーナス前にリリースされた5人用ビデオ競馬ゲーム「ダービークイーン」。同じ時期、セガは6人用のビデオ競馬ゲーム「ダービー・デイ(Derby Day 1991)」をリリースしている。これは、1987年にsigma/コアランドがリリースした6人用ビデオ競馬「エキサイティング・ダービー(1987)が意外とプレイヤーとオペレーターに手堅い支持を得て、小型で比較的安価なこの種のゲームに需要があることがわかり、追随したものと思われる。

 

「カジノビーナス」はタイトー久々の意欲作と言えると思いますが、「エメラルドホール1989)」からたったの3年後の発売です。税務上、メダルゲーム機の耐用年数は3年とされているそうなので、その観点からすれば問題はないのかもしれませんが、実際にきっちり3年でお払い箱となる機械は、よほど人気がないか、もしくは問題がある機械でもなければ、そうそうありません。

 

メカを伴い値が張る大型メダル機で、同じテーマのゲームを、そのコンバージョンではなく全くの新規で出すのは、例えばタイトーがこれで海外カジノに進出するつもりだったとか、よほど太いバイヤーから新規ルーレットを作ったら200台買うみたいなオファーがあったとでも言うのであればともかくですが、そんな話があるとも思えず、製品寿命的にはまだまだ頑張ってもらわなければならない高価な前作を購入したオペレーターとしては釈然としないものもあったのではないでしょうか。

 

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「カジノビーナス」の筐体は、回転盤を8席のサテライトが囲む形になりました。前作「エメラルドホール」と比べるとカジノの臨場感は希薄になりましたが、昨今のゲーミング業界で流行の「ETG(Electric Table Game)」にもよく見られるデザイン(あくまでも当時の技術とセンスとしてはですが)で、見栄えはしました。

 

フライヤーの裏面には「傾斜センサーとモーターの働きで簡単に盤面の水平が出せます。さらに一歩進んで、ゲームの結果の傾向により、自動的に結果の偏りを補正する機能も搭載しています」とあります。よほど前作「エメラルドホール」での失敗が堪えたのでしょう。これでどんな制御が行われていたのかはわかりませんが、一見凄いことをやっているように錯覚させられる機能です。

 

しかし、言葉を選ばずに言ってしまいますが、どうせろくなことではないだろうと、これまでのタイトーのメダルゲーム機を見てきたワタシは思います。なぜなら、出目に操作を加えた時点でそれはランダムではなくなり、逆に攻略の糸口を与えてしまいかねないからです。

 

一方で、「ゲームスタート(BET開始)、ボール発射、BET終了を人の手によって制御するマニュアルモードも搭載」の部分は評価できます。ほとんどのマスメダル機はベットを終えてもベット受付が締め切られるまではボケっと待っていなければならないのがストレスでしたが、この機能によりそのストレスはずいぶん軽減されそうです。ベット時間を短縮できる機能を持つマスメダル機は、ワタシはsigmaの「ザ・ダービー・Vφ」(関連記事:sigma「THE DERBY」シリーズの系譜メモ (と、GWに伴う更新スケジュール変更のお知ら)の他には知りません。

 

また、フライヤーは「制限BET枚数を超えてBETできる『フォーチュンゲーム』」と、「2連勝や3連勝を予想する『ナンバーズゲーム』」があると言っています。これらがどんなものであったか、正確なところはわかりませんが、画一的なゲームに何かしらの新たな刺激を加えようとしている点も評価したいところです。

 

なお、「カジノビーナス」には前作と同様「★」のポケットがあり、ここに球が入ると「チャンスステージ」となるとのことです。おそらくこれは、前作で「LOSE OR JACKPOT GAME」と呼んでいたゲームのことと思われます。

 

「カジノビーナス」も市場で見た覚えはあるのですが、ワタシの記憶ではあまりヒットはしていなかったように思います(反論がありましたらぜひお聞かせください)。

 

(次回につづく)

ビデオゲームブームにより冬の時代を迎えていたメダルゲームも、80年代も半ばを過ぎるころから徐々に復権してきました。この時期、セガは「ワールドビンゴ(1986)(関連記事:セガのマスビンゴゲーム(1)グループビンゴからワールドビンゴまで)」、「ワールドダービー(1988)」、「ビンゴサーカス(1989)(関連記事:セガのマスビンゴゲーム(3) ビンゴサーカス(Bingo Circus, 1989)とその後継機)」と、立て続けに大型マスメダル機をリリースしてきました。

 

この頃の日本はバブル景気に浮かれていた時代でした。そのせいか、これらセガのマスメダル機の筐体デザインは、従来品と比べて装飾が多くハッタリが効くものになりました。このような豪華な筐体はコストが上昇するので、作って売るにはそれなりの財力と営業力を要することは想像に難くなく、そこはさすが業界最大手のセガと思います。

 

さて、このような背景のもと、もう一つの最大手であるタイトーは、1989年に大型ルーレット機「エメラルドホール」をリリースしました。

 

 

▲タイトー「エメラルドホール」のフライヤーの表裏。

 

従来のタイトーのメダルゲーム機の筐体デザインは、どれもこれも良く言えば常識的、悪く言えば凡庸で退屈な印象でした。しかし、おそらく当時の世相と攻めるセガへの対抗心もあったのでしょう、エメラルドホールの筐体は大きなマーキーと多数の白熱球を使用して「カジノの女王」の風格を表現しようとする意欲が感じられます。また、28インチ大型モニターに表示したベットレイアウトを4人のプレイヤーで共有してベットするスタイルは、実際のカジノのルーレットを思わせる力作でした。

 

ところで、日本でよく知られているルーレットは、1から36までの番号に0、及び00を加えた38分割のアメリカンホイールです(0のみで00がない、37分割のヨーロピアンホイールも知られている)。この場合のペイアウト率は94.73%で、このままではメダルゲームとしては高すぎます。そこでタイトーはアメリカンホイールに「000(トリプルゼロ)」を追加して、ペイアウト率を下げました。

 

余談ですが、このプレイヤーにとって全くうれしくないルール変更は、およそ30年後(大体2018年頃から)にラスベガスのカジノでも次々に採り入れられるようになり、シリアスプレイヤーから「強欲」との非難を浴びることになります。これは何もカジノがタイトーを真似たというわけではなく、負の収斂進化(分類学的には全く異なる生物でも環境が同じなら似た形状に進化する)というものでしょう。強欲なラスベガスのカジノ経営者は、アメリカンホイールの5.3%のハウスエッジでは満足できず、7.7%に引き上げたのです。ひどいことにごく最近には「0000(クアドラプル・ゼロ)」を導入したホイールも登場していると聞きます(この場合のハウスエッジは10%)。

 

実はタイトーが施した工夫はもう一つあって、回転盤上に「」のポケットを新設し、ここに球が落ちると「LOST OR JACKPOT GAME」となり「大量メダル獲得のチャンス」と言っています。しかし、実はワタシはこれについては覚えがありません。★のポケットが盤面にいくつあったのか、それによって発生する特別なゲームがどういうものであったのかは不明なため、エメラルドホールの正確なペイアウト率は算出できません。しかし、いずれにしてもトリプルゼロ・ルーレットのペイアウト率である92.3%よりも高くなるものではなかったであろうと推察します。

 

ペイアウト率はともかくとして、表面上はよくできたように見えるエメラルドホールでしたが、ボール射出時の回転盤の状況からゲームの結果がある程度予測できるという欠陥がありました。ワタシもこれで結構メダルを稼がせてもらったものですが、おそらくオペレーターから苦情が多く来たものと思われ、タイトーはかなり早い段階で対策を講じました。その対策とは、ベット締め切り後に盤速(回転盤の回転速度)を不規則に変化させるというものでした。

 

回転盤の制御をどうやっているのかはわかりませんが、回転開始と停止をソフト制御している以上、プログラム次第で盤速を制御することはできるはずです。そしてそれは、新たな機構を追加せず、プログラムの変更だけでできるので、コストの面では最善と言えるかもしれません。しかしワタシは、これはゲームを台無しにしてしまう愚策だと思いました。

 

ルーレットは出目を当てるゲームであり、プレイヤーは自分なりの根拠を以て出目を予想します。球投入のタイミングと盤速はその有力な根拠となるものですが、それが使えないとなれば、自分のラッキーナンバーとか、それこそ本当にデタラメ、無作為に選ぶ人でなければ楽しめません。ワタシはこれを機にエメラルドホールを遊ぶことはきっぱりとやめました。やるならもう少しバレにくいやり方はなかったものかと思います。

 

((3)カジノビーナスにつづく)

 

お詫び

前回記事のタイトルには「前半」と付け加えられていて、本記事はあたかも前・後半の2回シリーズであるかのように見えましたが、実際に書き進んでみると後半が長くなりすぎてしまうことに気づき、当初の目論見を見直して全4回のシリーズとしたいと思います。これに合わせて前回記事のタイトルは修正しています。ご高覧いただいている皆様には不手際をお詫び申し上げます。

ルーレット(Roulette)」は別名「カジノの女王」とも呼ばれる優雅な印象のギャンブルゲームで、日本でもよく知られていますが、ルーレットには回転盤に球を投入するという共通点を持つバリエーションも多数あります。

 

ゲーム性がわかりやすいので、コインマシン業界でも歴史上早い時期からルーレットをモチーフとするゲーム機が作られてきました。日本でもメダルゲームという概念が生じる以前からプライズ機(中には的中すると10円硬貨を払い出す、G機転用目的と思われるゲーム機もあった)としていろいろと作られています。

 

なにしろ非常にポピュラーなゲームなので語ろうと思えばネタは尽きないのですが、今回はタイトーが作ったルーレットゲームに絞って記録しておこうと思います。

 

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ワタシが把握しているタイトー初のルーレットゲームは、1980年に発売された「マジックルーレットMagic Rourette)」というメダルゲーム機です

 

▲マジックルーレットのフライヤー。上段にはタイトーの社内でメダルゲームを意味する用語「mi-mo (ミモ)」が謳われている(関連記事:「メダル」と「メダルゲーム」という呼称についての備忘録(2))。

 

マジックルーレットは回転盤が回るのではなく、球がプレイフィールドの外周に沿って周回し、やがて勢いが弱まった球が、20分割された盤の何処かに落ちるというものでした。20のパーティションには0~19の番号が振られ、更にパーティションは赤色9ヵ所、黒色9ヵ所、緑色2ヵ所に色分けされています。

 

▲マジックルーレットの盤面の拡大図。盤面への数字の振り分け方に法則はないように見える。

 

遊び方は、数字1目賭けと、赤もしくは黒の色への賭け2種類しかありません。1目賭けが的中すると賭けたメダルは18倍、色の賭けが的中すると2倍となり、ペイアウト率は90%です。これは、この時代のゲーム機としては高い方だと思います。1目賭けのオッズを17倍、ペイアウト率を85%とすることもできたはずですが、色への賭けのオッズもこれに合わせようとすると1.89倍程度にすることになりますが、当時はオッズは整数倍が当然で小数点以下のオッズは現実的ではなかったのと、賭け方の違いでペイアウト率に差があると賭け控えが起きてインカムに悪影響を及ぼす可能性があることを恐れたのだと思います。

 

▲マジックルーレットの筐体の拡大図。わずかに見えるコンパネには、1目賭け20箇所分と、色への賭け2種のベットボタンが見える。

 

実を言うと、ワタシはこの「マジックルーレット」を実際に見た記憶がほとんどありません。1回くらいはどこかで見ているはずとは思うのですが、機械の動作が思い出せないのです。しかし、次に述べる「ニューマジックルーレットNew Magic Roulette)」は比較的良く覚えています。

 

▲ニューマジックルーレットのフライヤー。上段の「mi-mo」と記述していた部分は「MEDAL GAME」に変更されている。

 

ニューマジックルーレットは、前作が売り出された翌々年の1982年に発売されました。盤面は25分割となり、ポケットは5個増えました。そして旧作では1目賭けと色への賭けの2種類の賭け方しかなかったものが、新作ではこれらの他に、オリジナルのルーレットのダズン賭け(前半、中半、後半のいずれかへの賭け)およびコラム賭け(1列目、2列目、3列目のいずれかへの賭け)を独自にアレンジした賭け方が加わり、遊び方のバリエーションが増えたのみならず、メダルを99枚までクレジットしておけるクレジット機能が新たに加わりました。

 

▲ニューマジックルーレットの盤面とコンパネの拡大図。前作と比較すると、本来のルーレットにずいぶん近づいた印象を得る。

 

この新たな賭け方のペイアウト率は、ダズン賭けをアレンジした「1st 9」、「2nd 6」、「3rd 9」の3つと「赤/黒」への賭けはほぼ90%と前作に引き続き甘い(あくまでも当時の水準との比較の上で)ですが、72%と、お話にならないレベルの最低級です(2026年6月11日修正)。1目賭けとコラム賭けのアレンジ賭けはオペレーターがオッズを設定できるようになりました。設定は、1目賭けは19倍(76%)から23倍(92%)の5段階(デフォルトは22倍(88%))、コラムの変形賭けは4倍(64%)から6倍(96%)の3段階(デフォルトは5倍(80%))だったと推察します。

 

ところで、タイトルの「マジックルーレット」が「マジック」と名乗る所以は、球の打ち出し方にありました。旧作は前述の通り記憶にありませんが、「ニュー」の場合は、各ポケットの下にはボールを弾き出すピンがあり、これによって排出されたボールはプレイフィールドの外周に沿って勝手に勢いよく回り始めたのです。これは、外周の裏側に配したいくつもの電磁石を順次ON/OFFすることによってリニアモーターカーに似た原理で金属の球を引っ張っているものと推察されます。故障の多い機械動作部分を最小限に抑えるこの機構は画期的と言うべきです。

 

タイトーは「カラービンゴ(関連記事:カラービンゴ(タイトー)の発売年の謎)や「THE DIE IS CAST」(関連記事:メダルゲーム機「THE DIE IS CAST」(TAITO、1987?)の記憶)などにも見られるように、時々こういう一見地味だけど結構革新的なハイテクを見せてくれるのですが、肝心の機械は正当な評価を受ける前に消えてしまうことを繰り返しているのが残念です。

 

また、1980年代初頭という時代は、78年発売のスペースインベーダーに端を発するビデオゲームブームの影響で、メダルゲームの新製品開発の勢いが各社ともたいへん鈍くなった時代でもありました。そんな中でもタイトーはメダルゲームを作り続けていてくれたことには(それが残念ながら歴史上語り継がれるようなヒット作ではなかったとしても)大いに感謝したいものです。

 

(次回(2)エメラルド・ホールにつづく)

毎週日曜日の更新を目標としている拙ブログですが、今度の日曜日(5/31)は日本を離れていて更新ができないため、今のうちに軽いネタで更新しておこうと思います。何卒ご了承ください。

 

去る5月23日、山形県の山形ファミリーボウルというボウリング場で、「Glicoセブンティーンアイス杯」というボウリング競技のトーナメントが行われました。これは、その名の通り食品メーカーのグリコがメインスポンサーとなっている、プロアマ混合のトーナメントです。このトーナメントに、女子プロボウラーの根本遥(ねもと・はるか)選手が出場しました。

 

根本プロは昨年プロテストに合格したばかりの新鋭で、まだこれと言った実績はありませんが、その所属はなんとあのタイトーとなっています。

 

▲根本遥プロのプロフィール。JPBA(日本プロボウリング協会)の公式ページより。上から2段目の「所属」欄に「(株)タイトー」とある。

 

タイトーがボウリング事業なんてやっていたのかと思って調べると、「X-BOWL」というボウリング場を、少なくとも小田原仙台でオペレートしている事がわかりました。根本プロはその仙台に勤務しているようです。

 

なぜ「少なくとも」なんて留保をつけているかと言うと、実は東大阪にも同名のボウリング場があるのですが、ここはタイトーとは関係があるのかないのかどうにもよくわからないのです。

 

そして、「株式会社タイトー」の公式ページを調べても、トップページから「X-BOWL」の関連ページにたどり着く道筋が全く見えません。更に「taito x-bowl」のキーワードでググっても、小田原はヒットしますが仙台は出てこないなど、実にけしからんことになっています。タイトーはこの事態を猛省し、今後、自分らのボウリング事業に関する情報に簡単・手軽にアクセスできるよう改善すべきです。

 

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ところで、60年代半ばから70年代初頭までのボウリングブームは、日本のAM業界発展の原動力となりました。しかし、AM業界がボウリング競技の発展に貢献したアクションと言うと、90年代半ばにSNKが「SNKネオジオカップ」なるトーナメントを主催したくらいしか記憶にありません。SNKネオジオカップの優勝賞金1千万円はボウリングトーナメントの中でも破格で、当時すでに斜陽であったボウリング業界にとっては明るい材料だったはずですが、残念ながら1994年と1995年の2回しか行われませんでした。

 

その後SNKは経営が傾き、アルゼに買収されましたが、いろいろあって両者の関係は拗れに拗れ、泥沼の訴訟合戦に陥って、結局SNK(その時はSNKプレイモアを名乗っていた)はアルゼと袂を分かちました。この件についてはいずれ言及したいとかねがね思ってはいるのですが、問題が多岐にわたっていてなかなかまとめきれず、実現できていません。

 

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ともかく、タイトーの看板を背負う根本プロには今後大いに頑張っていただきたいものです。期待しています(根本プロのインスタグラムはこちら)。

 

セガが1970年に頒布した会社案内の紹介シリーズ最終回は、前回とはページ順が前後しますが、4~5ページ目の「セガの事業内容」です。

 

▲セガが1970年10月に頒布した会社案内の4ページ目と5ページ目。中央の「本社ショールーム」の画像が両ページに跨っている。

 

まず最も目に付くのは、両ページに跨る「本社ショールーム」の画像です。

 

▲本社ショールームの画像。

 

ショールーム画像の一番奥の中央右に見える「Derby Day」を、現在のSEGAの公式ウェブページ「SEGA ARCADE GAME HISTORY」ではその「稼働年月日」を「1971/12」としていますが、それが1970年10月に頒布された会社案内に見られるということはどういうことでしょうか。まさか1年以上塩漬けになっていた、なんてことは考えにくいのですが、セガは何を以て「1971/12」としているのでしょうか。

 

ページの冒頭では「セガの事業内容」として、直営のアミューズメントセンターの画像と、「セガの事業内容」が紹介されています。

 

▲セガ直営のアミューズメントセンター(注・ナカグロが抜けている)の画像2枚と、セガの事業内容の紹介。

 

当時のセガは、AM機の製造、販売、賃貸及び輸出入と、アミューズメント・センターやスポーツ・センターの経営をしていたとのことです。ここで言う「スポーツ・センター」が何を指しているのかわかりませんが、ひょっとしてボウリング場のことでしょうか。しかし、セガがボウリング場の経営をしていたという話は聞いたことがありません。

 

2枚の画像は、一つがゲームセンター、もう一つが「オリンピア・センター」のようです。

 

 

▲「セガの事業内容」に添付されている2枚の画像の拡大図。上がゲームセンター、下がオリンピア・センター。

 

以前、このゲームセンターの画像に見えるピンボール機の機種を特定したことがあったのですが、その記録が見当たりません。今すぐに分かるセガの1968年製のエレメカ機「Moto Polo」のマーキーや、Williamsのやはり1968年製のピンボール機「Ding Dong」が見えることから、1968年よりも古い時期のものではないことはわかります。

 

また、オリンピア・センターの画像に写る機種は二世代目の「ニュー・オリンピア」です。オリンピアは初代、ニュー・オリンピア、オリンピア・マークIIIとシリーズ化されていますが、私の手元にある資料で「マークIII」が登場する最も古いものは1971年5月に頒布された価格表で、これより古い資料はほとんどないため、その代替わりの年代は今ひとつ特定できていません。

 

続いて4ページ左上段の「営業部活動」と「販売部活動」の拡大画像です。

 

 

▲「営業部活動」(上)と、「販売部活動」(下)の拡大画像。

 

この説明によると、営業部としてはこの時点のセガは全国に31の直営アミューズメント・センターを経営し、販売部としては全国270有余のオペレーターに機器を納入しているそうです。当時これに対抗し得た企業は太東貿易(後のタイトー)くらいしかなかったはずで、セガが国内最大規模のAM関連企業だったとは言えましょう。しかし、1993年には全国のゲームセンターは8万7千軒あったそうですから、当時のAM産業がまだいかに小さいものであったかも窺われます。

 

次は「サービス活動」の画像です。

 

 

▲「サービス活動」の拡大画像。

 

ここでは全国58ヵ所の営業網、300台を超えるサービス・カーで、「完全・迅速なサービス」を提供していたと言っています。この時代よりもう少し古い話になりますが、セガの従業員の中には「車の運転ができるのでセガに入った」という人もいたという話を何かで聞いたか読んだかしたことがあります。当時のセガはそれだけ先進的な企業だったということなのでしょう。

 

さて、最後の5ページ目ですが、ここには当時のセガが扱うAM機16機種が「陳列」されています。

 

▲5ページ目の画像。セガが扱う16機種が掲載されている。

 

この16機種の中には、1970年に発売された、当時としては最新鋭の機種「JET ROCKET」(上から2段目、左から2番目)も見えますが、同時に1966年に発売された「Basketball」(最下段右から2番目)など古い機械も掲載されていて、当時の製品寿命の長さが窺われます。

 

16機種中、セガ製でないものとしては、ジュークボックス2機種、ピンボール機が3機種が掲げられています。ジュークボックスについては前回記事で触れているので、ここではピンボール3機種の拡大画像を掲載してこのシリーズを終えたいと思います。

 

 

 

▲5ページ目に掲載されているピンボール機3機種の拡大図。上から順に「Strike Zone (Williams, 1970)」、「Aces &Kings (Williams, 1970)」、「Bowl-O (Bally, 1970)」。

 

いずれも1970年発売の最新機種ですが、3機種中2機種がボウリングテーマというところが当時の日本のボウリングブームを偲ばせます。また、1970年という年代はまだスコア表示が4桁のピンボール機がずいぶん残っていたことが窺われます。

 

(このシリーズおわり)

セガが1970年に頒布した会社案内の紹介シリーズ3回目は、本来のページ順から行けば4~5ページ目となるのですが、諸般の事情によりそれは次回として、今回は次の6~7ページ目のディテールから先に述べます。

 

▲セガが1970年10月に頒布した会社案内の6ページ目(上)と7ページ目(下)。

 

この2ページでは、セガの現業部門と、セガの輸出入の相手先が紹介されています。以下に、上記各ページを部分ごとに拡大してディテールをご紹介しますが、この2ページは前回(2~3ページ目)と異なりレイアウトが若干不規則であるため、周囲の余白は極力削った上で適宜妥当と思われるパートに切り出して拡大します。

 

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6ページ目の冒頭には「製造部門」が挙がっています。「世界に誇る近代設備の工場で、セガ・マシンが、ライン毎に続々と生産されて行きます。」として、当時のセガの主力商品であったジュークボックスアミューズメント(つまりエレメカ機)、それにフリッパーと3種のAM機器の製造ライン画像が掲載されています。

 

▲「製造部門」の部分。3枚の画像がある。

 

▲ジュークボックス・ライン。少なくとも3種類の機種が見える。左列手前とその一つ奥は米国Rock-Ola社の「443」(1969)。更にその奥は同じくRock-Ola社の「442」(1969)。当時の価格で70万円から86万円もするものだった。右列は手前が左列手前と同じ「443」、その奥2台はRock-Ola社の「441」(1969)と思われる。

 

▲アミューズメント・ライン。ずらりと並ぶゲーム機の側面のアートワークはカーレースゲーム「Grand Prix」 (1969)に見えるが、コンパネが異なる上にアクセルが見当たらず、機種が特定できない謎のゲーム機になっている。

 

▲フリッパー・ライン。右列の手前4台は機種が特定できないが、その奥に続く機種はWilliams社の「4 Aces」(1970)なので、同年10月に頒布される会社案内に載ったという事はかなり最近撮影されたものらしいことがわかる。右列の最も奥にあるガンゲームは不明。左列の最も手前にあるのは側面のアートワークからWilliams社の「Daffie」(1968)と思われるが、ここに並ぶには少し古い気がする。中古品の整備だろうか。手前から4番目及び6番目に見える機械は機種特定ができそうでできなくて悔しい。

 

次の「研究開発部門」には2枚の画像があります。

 

 

▲研究開発部門の画像。

 

▲研究開発部門の画像のうち、研究開発部門の紹介文。

 

▲研究開発部門として掲載される画像2枚のうちの一つ、おそらくチームメンバーにこれから開発しようとしているゲーム機の電気回路の説明をしている図のように見える(なんとなくヤラセっぽいが)。

 

▲研究開発部門の画像の2つ目。製図台の上で製図でもしているのだろうか。この時代、AM産業は世間から注目されることは殆どなく、されたとしても賤業として蔑まれる存在だったように思う。でも中の人は高度な専門知識と技術で製品を開発していた。

 

続く「品質管理部門」では、自らが生産したゲーム機だけでなく、納入部品のチェックまで行うと言っています。

 

▲品質管理部門の画像。

 

最も手前には電気テスターでチェックをしていると思しき人、その後ろでは何やらメカをチェックしている人が見えますが、これらがどんな機械のどの機構部分なのかは見当がつきません。

 

6ページ目の最後は「パーツルーム」です。50万個の部品が確保されているそうです。

 

▲パーツルームの画像。

 

夥しい棚の一つ一つに、星の数ほどある種類ごとに分類されたネジやナット、その他パーツが入っているものと思われます。

 

次の7ページ目の左半分は、前ページからの各部門の紹介の続きです。その一つ目は「レコードルーム」です。

 

▲レコードルームの画像。

 

セガはジュークボックス本体だけでなく、中に入れるレコードも取り扱っていました。当時の芸能界にとってジュークボックスも重要な市場だったため、TVで良く見る芸能人がしばしばセガ詣でをしたそうです。また、公然の秘密として芸能界は反社組織と無視できないつながりがあったので、レコードの扱いについて不満を持ったその筋の人間がセガに怒鳴り込んでくるトラブルもあったと聞いています。

 

7ページ左半分二つ目は「電子計算機」です。

 

▲電子計算機の画像。

 

「電子計算機」は部門名ではないと思うのですがそれは措くとして、「電子計算機」とはいかにも時代を感じさせる呼称です。当時「コンピューター」という言葉も一般に認知されてはいましたが、いずれにしろコンピューターは一般市民にはまだ身近な存在ではなかった(関連記事:TRON(Bally/MIDWAY, 1982))せいか、どちらの言葉も並行して使われていました。

 

部門紹介の最後は「第二工場」です。

 

▲第二工場。

 

これがどこなのか、ちょっと見当が付きません。屋上に「SEGA」の看板が見える建物は、セガ羽田時代の別館(元は本社だったが、80年代前半に本社を環状八号線を挟んだ向かいに移し、旧本社は別館となった)のようにも見えますが、その隣にこれだけ大きな工場が建つだけのスペースなんてなかったように思います。

 

今回の最後は、8ページ目の右半分、「世界に飛躍するセガ・ブランド」です。

 

▲8ページ目の右半分、「世界に飛躍するセガ・ブランド」の画像。

 

世界地図上に、日本(セガ)と取引のある各国とを線で結んでいます。しかしよくよく見ると、取引のあるすべての国と線で結んでいるわけではないようです。例えばアフリカ大陸には線が1本伸びていますが、下段の「海外輸出先国」には、アフリカ大陸の国として「ガーナ」、「ナイジェリア」、「ザンビア」の三つが記載されています。まあ、もともとそれほど精密に作るつもりがあったわけではなかったと思いますが、もっと線を増やした方がハッタリとしては強くなったんじゃないかな、などと思いました。

 

(つづく・次回こそ4-5ページの予定)