秋の巡礼最大のイベントであるG2E(Global Gaming Expo)ですが、ここ数年最大手スロットマシンメーカー数社が軒並み入場者を限定するクローズド出展をするようになりました。それらのメーカーはラスベガスで高いシェアを持っているため、実際にカジノで見かける機械の多くが新旧がわからないようになってしまっています。

 

ただ、ラスベガスで見られる昨今のスロットマシンは各社ともヒットゲームの類似製品ばかりになって久しく、どれも同工異曲なので大きな害はないと言えないこともないですが、それでもやはり淋しいものです。こんなことならもうG2Eなんて行かなくてもいいか、とさえ思ってしまいます。

 

********************

そんな中、最大手の一つであるLIGHT & WONDER (以下L&W)社は、昨年に引き続き来場者を限定しないオープン展示でした。同社は、かつてはBallyの子会社だった「Scientific Games」が、Bally(と、その子会社のShuffle Master)とWMS(ピンボールで馴染み深いWilliamsの親会社)という最大手二社と、それに準大手だったBarcrestを併呑し(関連記事:新・ラスベガス半生中継 2016年9月(5) コンベンション初日)、その後現在の社名に変更して現在に至るメーカーです。

 

▲オープン展示を行っていたLIGHT & WONDERのブース入口。さすがに人が多い。

 

このことから、スロットマシンを遊ぶなら今後はL&Wの機械を贔屓にしてやろうとも思うのですが、しかし、先述の通り今のビデオスロットのゲーム内容はどの製品も大差がない状況でワタシはいいかげんビデオスロットに興味を失いつつあり、スロットマシンを遊ぶとしても10年以上前の機械ばかり選ぶようになっています。また同社製のEGT(Electronic Game Table)やテーブルゲームはあまり普及しておらず、贔屓する機会もありません。

 

********************

一昨年から、ビデオスロット「Railroad Riches」の大ヒットで一躍人気メーカーとなったSEGA SAMMY CREATIONは、昨年のショウで参考出展していた「Bonanza Brothers」を前面に押し出して展示してきました(関連記事:新ラスベガス半生中継2025年10月(2):Day 2/5)。

▲セガサミークリエイションのブース。昨年参考出展だった「Bonanza Brothers」がメインとして展示されているが、ブースの壁に描かれているのは大ヒット作「Railroad Riches」のキャラ。

 

長くアーケードゲームを見てきたワタシとしては、Bonanza Brothersにそれほどのネームバリュー(別な言い方をするなら歴史的価値)があるようには思えないのですが、米国では事情が異なるのでしょうか。まだカジノで実機を見ることはありませんでしたが、Railroad Richesにつづくヒットとなりますように(ー人ー)ナムー

 

********************

 VSR Industriesは、ラスベガスの南のヘンダーソンにある、主として筐体とその周辺(キャビネットのベースなど)の木工製品や鍵などを製造したり、筐体の設置やメンテナンスなどのサービスを提供したりする会社ですが、そんな会社が今回はなぜか「SIGMA DERBY (sigmaのザ・ダービーマークIIIのゲーミング仕様)」を出展していました。

 

▲VSR Industries社が出展していた「SIGMA DERBY」。

 

マーキーの白熱球はLEDに代わっているだけでなく、コンパネにはオリジナルには無かったLCDモニターと、さらにおそらくビルバリやカードリーダーが付くと思しきスペースが設けられていました。

 

▲「SIGMA DERBY」のコンパネ部分。ベットボタンの上の黒い部分にはビルバリやカードリーダーが入るものと思われる。モニターにマーキーのLED電飾が映り込んで見づらいのが残念。

 

製品名に「SIGMA」を名乗ってはいますが、係員に聞いたところ、「これはリプロダクトしたもので、権利問題については私はわからない」との答えでしたが、ただ、この開発者の中に元sigmaの人がいたとのことではありました。

 

ただ、まだ完成しているわけではなさそうで、ワタシが見ていたときはオッズがデタラメなレースが行われていました。

 

▲オッズがデタラメなレース。最低のオッズが11倍なので、全ての組み合わせに同じ数だけベットすれば必ず儲かる。すなわちこれは完成版でないことがわかる。

 

しかし今を去ること3年前、国内の某メーカーの開発部長が、ダウンタウンのカジノ「The D」で大人気のSIGMA DERBYを見て、「競馬ゲームは必ずしもリアルを追求しなくても、これでいいんだよなあ。ウチで検討してみようかなあ」と言っていたのですが、先を越されてしまいましたね。それはともかく、今もダウンタウンの「Golden Gate」カジノで大盛況の「SIGMA DERBY」をリプロダクトしたこれ、普及しますように(ー人ー)ナムー

 

********************

LT Game社は、香港に拠点を置くParadise Entertainment社の子会社で、昨年はその日本法人である「LT Game Japan」社が開発したバンダイナムコの「鉄拳」をテーマとしたスロットマシンとロボットディーラーをG2Eに出展していました。

 

昨年出展されたロボットディーラーは、実は10年前の2016年にもIGTのブースに出展されていたものだったことは過去記事「新ラスベガス半生中継2025年10月(4):Day 4/5」で言及しています。

 

▲昨年出展していたロボットディーラー。10年前に出展されたものと、少なくとも外見上の違いは見当たらない。

 

そしてLT Gameは今年もロボットディーラーを出展してきましたが、外見がずいぶんと洗練されていました。

 

▲今年出展されたロボットディーラー。

 

昨年のロボットは無表情な人間のようで薄気味悪いとさえ思われるものでしたが、今年出展されたロボットは、目をバイザーのようなもので覆って(無)表情を隠し、唇は赤く染め胸を膨らませた女性型に変化していました。さらに手にも人の手のような型が取り付けられ、より人間に近い印象を与えるようになっています。また、肩の関節も少し改良されているように見えます。

 

ただ、このロボットはバカラ専用のようですが、動作が遅く、実際のゲームでこの程度の動きではじれったくて長続きはしないでしょう。ロボットの発展はまさに秒進分歩の現代、スピードの問題はいずれ解決するとは思いますが、実用化するには少しまだ時間がかかると思います。

 

ロボットディーラーと言えばもう一つ、小さなベンチャー企業が積まれているフライヤーから1枚を取って来場者に手渡すロボットを出展していました。

 

▲ベンチャー企業が出展していたロボット。右手で積んであるフライヤーから1枚を取り、左手に持ち替えて向かいの人間に差し出す動作をする。

 

ワタシもそのフライヤーを受け取ったのですが、他の荷物に紛れて見つけることができず、社名がわかりません。聞けばロボット自体は中国製とのことですが、親指と2本のフィンガーで束ねてあるフライヤーの上から1枚を取り出すマニピュレーション(手指の動作)を行っており、これはLT Gameのロボットよりもずっと精巧な動きです。

 

しかし、その動作はLT Game以上に遅く、まるでナマケモノのようにゆっくりです。なお、ワタシはこれをショウの初日に見ていますが、ショウ3日目に再訪したときにはロボットは動いておらず、止まったまま展示されていました。

 

********************

最後に、日本のトランプメーカーであるエンゼルトランプが買収したカジノ用品メーカーのGPI社も言及しておきます。

 

GPIは、カジノのチップやカードなどのメーカーを統合した企業グループでしたが、2019年に日本のエンゼルトランプに買収されました(関連記事:新ラスベガス半生中継2019年G2Eショウ(4) DAY 2:G2Eショウその2)。グループに含まれる会社の中には人気の高いクレイチップのトップメーカーであるPaulson社も含まれていて、当時はカジノのない日本の企業がこんなことして大丈夫なのかと思ったものでした。

 

▲2019年のGPI社のブース。看板に大きく「ANGEL」の文字が見える。ブース自体は決して大きくはないが、同社グループが扱うチップやカードが華々しく展示されていた。

 

しかし今年のGPIは、小さなカウンターと僅かな椅子とテーブルがあるだけで具体的な展示品はなく、僅かにカタログとPaulson社のチップのサンプルをギブアウェイとして配布するだけでした。

 

▲今年のGPIのブース。2019年と比べると1/3程度の広さで、展示品はほとんどなく、フライヤーとギブアウェイが入ったビニールの小袋がカウンターに並べられているだけだった。

 

話を聞くと、プレイングカードは北米では大きな商いがないので、アピールはPaulsonのチップを中心にして出展規模を縮小しているとのことでした。ただし、G2Eアジア(マカオで開催されるG2Eショウ)ではおそらく最大規模のブースを出展しているそうです。アジア圏のカジノはバカラが盛んなのでカードの需要が大きいことは想像できます。こちらも頑張ってほしいものです。

 

((3)につづく)

①   Pinball Hall of Fame (PHoF)

 

ラスベガスに行ったら必ず一度は行きたいロケの一つがPinball Hall of Fame(PHoF)であることは、拙ブログをご高覧下さる皆様であれば同意いただけるものと思います。ワタシもこの巡礼では2回行って、$30を費やし合計6時間半ほどを過ごしました。

今回のPHoFには、前回来たときには無かった、初期のピンボールの歴史に関する展示が新設されていました。

 

▲初期のピンボールの歴史に関する展示。ピンボール機の始まりから、まだ電気を使用しない頃に一時代を築いた伝説のピンテーブルが、説明のパネルとともに展示されている。

 

展示の冒頭に掲げられているパネルでは、「1777年:バガテールの誕生」と題して、ピンボール機の起源と考えられているゲーム「バガテール」の説明がされています。それによると、「17世紀のフランス、ルイ14世の時代に宮廷の娯楽として考案された、ビリヤードを翻案したゲームが、バガテール城完成直後の1777年、ルイ16世とマリー・アントワネットを称える祝宴で行われ、これを国王の弟アルトワ伯爵が「バガテール」と名付け、その名は以降も使われ続けた」とのことです。

 

そして、「1819年、アメリカ独立戦争で英国軍と戦うためにやってきたフランス兵によってバガテールが北米大陸に持ち込まれ(注・フランスがアメリカ独立戦争に参戦するのは1778年で、戦争自体は1783年に終結しており、この「1819年」が何を指しているのかよくわからない)、それが大陸に定着して人気を博し、リンカーン大統領がバガテールに興じる有名な風刺画が描かれた」と述べ、最後に「初のコイン式ピンボールマシンは、フィンランドのコリンシアン社(Corinthian Company)が製造したアンティークのバガテールから着想されたと考えられている」と締めくくっています。

 

▲展示冒頭のパネル。なるべく大きく表示するために上下二分割してある。

 

このパネルの記述を超訳すると、こんな感じになります。

 

1777:バガテールの誕生

1777年、パリに完成したばかりのバガテール城の豪華な広間で、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットを称える盛大な祝宴が開かれた。華やかな夜のひととき、招待客たちはある目新しい娯楽を目にすることになる。それは、縁が持ち上がったビリヤード台のような小さなテーブルの上で行われる、ピンがいくつも立てられた傾斜面にキューで象牙の球を突くというものだった。このゲームを「バガテール」と名付けたのは国王の弟であるアルトワ伯爵で、その名はその後何世紀にもわたって娯楽の歴史の中に響き渡ることとなった。

 

バガテールの起源は、宮廷の娯楽が大きく発展したルイ14世(1643〜1715年)の時代にまで遡る。当時、ビリヤード台を改良し、一方の端に木製のピン(スキットル)を立て、反対側からキューで球を突くという遊びが行われていた。ボウリングとビリヤードの要素を組み合わせたこのゲームはしかし、倒れたピンをその都度立て直すのが面倒という課題があった。そこでピンを固定し、テーブルの表面に新たな標的として「穴」を設けるという巧みな解決策が考案された。プレイヤーは、ピンに球を当てて跳ね返らせ、狙いどころの難しい穴へと球を導く技術を磨くようになった。これこそが後に「バガテール」というゲームを特徴づけることになる仕組みの先駆けであった。

 

1819年、アメリカ独立戦争で英軍との戦いの加勢にアメリカへ渡ったフランスの兵たちが、愛用していたバガテール台を持ち込んできたものがアメリカでも広まり、たいへんな人気を博すようになった。1863年に描かれた政治風刺画では、アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンが、大統領選の対立候補ジョージ・B・マクレランを相手に、小型の卓上版バガテールで遊んでいる様子が描かれている。

 

初のコイン式ピンボールマシンは、フィンランドのコリンシアン社(Corinthian Company)が製造したアンティークのバガテールからインスパイアされたものと考えられている。

(超訳ここまで)

 

「バガテール」や「フィンランドのコリンシアン社」の名は、「パチンコ誕生博物館」の館長である杉山一夫さんが、自著「パチンコ」(関連記事:法政大学出版局「ものと人間の文化史 186 パチンコ」のご紹介)や、「コリントゲーム史」(関連記事:「パチンコ誕生博物館」館長杉山氏の新著「コリントゲーム史」のご紹介)で、パチンコの起源として言及しています。つまり、ピンボールとパチンコは同祖ということです。そう言えば、1992年に日本テレビ系列で放映された「TVムック謎学の旅・故郷は欧州 意外なパチンコ進化論」でも、パチンコ台を見た現代のアメリカ人が訝しげに「Pinball・・・?」と言うシーンがありましたが、それも道理というものだったのでした。

 

この展示については他にも述べておくべき事柄がまだまだあるのですが、長くなってしまうので、今回のシリーズとは別の機会に改めて述べようと思います。

 

PHoFに見られたもう一つの変化として、まだ全体の一部のみですが、その台の発表年やメーカー、開発者などの情報が統一されたフォーマットでバックボックスの上に掲示されるようになっていました。

 

 

▲バックボックスの上に掲示されている、その台の詳細情報(上)と、その設置状況(下)。発表年はピンボールのリール式スコア表示装置を模している。下画像では、左右の台のバックボックス上にも同様の掲示がされているところが確認できる。

 

PHoFは、これまでもその異名として「ピンボール博物館 (Pinball Museum)」と呼ばれることがありました。確かに古い機械が豊富に陳列されてはいましたが、各機に対する人文学的アプローチは乏しく(手書きの、非常に読みにくいメモが貼り付けられている台は多くあったが)、実態はゲームアーケードの域にとどまると言わざるを得ないものでした。しかし今回、そのルーツやどの時代にどんな機械がどこから発表されたかなどの情報を整備された状態で示すようになり、「博物館」と呼ぶに値するようになってきていると思いました。

 

******************************

②   Player 1

一昨年の2024年に初訪問して以来、PHoF同様ラスベガスに行けば必ず訪れていたバーケイド「Player 1」に、今回も行ってきました。

 

全体のシステムは殆ど変わりはないのですが、ただ、入場料がかつての$8から$14.09(税込み)に大幅値上げとなってしまっていました。ただし、入場時にIDを登録しておけば、当日に限り再入場が可となっているので、同日に2回以上行くのであれば、以前よりも割安になります。

 

Player 1については、前回の記録「新ラスベガス半生中継2025年10月(5):Day 5/6」からほとんど変わるところはないのですが、ただ一つ、セガが1982年に発表した「サブロック‐3D」が設置されていたことだけは記録しておかなければならないでしょう。この機械は、特殊な偏光フィルターを通して画面を覗くと絵が飛び出して見える、いわゆる「3D」効果をビデオゲームで初めて採り入れた、ランドマーク的なゲーム機です。

 

▲Player 1に新たに設置されていた「サブロック-3D」。下はコックピットの中からゲーム画面と偏光フィルターを見たところ。ブレて見える画面を偏光フィルターを通して見ることで立体的な映像に見えるようになる。

 

ワタシはこのゲームを発売直後当時に何度か遊んでいる(関連記事:サブロック-3D(Sega, 1982)と他の3Dビデオゲームの記憶)はずなのですが、その特殊な操作系統をすっかり忘れていてあまり上手にはできませんでした。そして大変残念なことには、画面表示と偏光フィルターのシンクロが不完全で、肝心の3D効果は余り感じられませんでした。

 

((2)につづく)

★前回更新(10月11日)では、次回以降しばらくはラスベガス巡礼の記録を掲載すると予告していましたが、AM業界に深く関わるショッキングなニュースが飛び込んできたので、急遽号外として更新します。

 

***********************

ラスベガス巡礼から帰国して早々、日本のAM業界誌「アミューズメント産業」が2026年8月末発行の9月号を以て終刊というショッキングなニュースが飛び込んできました。ソースは探せばいくらも出てくるでしょうが、ワタシは元sigma社員であり、現在は「株式会社フロック」の代表取締役社長である高倉章子さんから教えていただきました。

 

高倉さんは、先月29日に更新されたご自身のブログでこの詳細を伝えてらっしゃいます。それによれば、「アミューズメント産業」は1977年、当時の業界団体である 全日本遊園協会(JAA)(関連記事:AM産業と業界誌の謎(3))の出資により株式会社全日本遊園協会出版局として創業した、としています。

 

ただ、「アミューズメント産業」には「アミューズメント」と言う前身があります。ワタシの手元の資料では、1973年5月号ではその誌名を「アミューズメント」、同年12月号では現行の「アミューズメント産業」としています。この間の号は抜けているため実際にいつ変更されたかはわかりません。

 

▲1972年に発刊された「アミューズメント」の創刊号の表紙。この誌名が1973年の6月号から11月号のどこかで「アミューズメント産業」に変わる。

 

実はこの「アミューズメント」誌以前に、1967年に設立された業界団体「日本アミューズメント工業協会(NAMA)」が新聞形式の「アミューズメント」紙を発行しています。さらにこれと並行する期間に、1966年設立の「全日本遊園施設事業協同組合(JRE)」が「全日本遊園」という業界誌を発行しています(関連記事:AM産業と業界誌の謎(1))。

 

これらの業界誌紙が完全に継承する・される関係となっているわけではなそうですが、日本のAM業界団体はその発展に伴い再編を繰り返しており、略称を「JAA」とする団体も1971年設立の「全日本アミューズメント協会」と、1973年設立の「全日本遊園協会」の2つがあるなど複雑であるため、おそらく高倉さんにはいくらか混乱があるものと思われますので、拙ブログ更新後に高倉さんにお知らせしておこうと思います。

 

**********************

「アミューズメント産業」は、ローラーコースターや観覧車などの大型遊園設備についてもコインオペレーション分野と同等の熱量で伝える業界誌でした。これには、日本のAM業界の初期段階においては大型遊園設備とコインマシンが密接に関係し合いながら業界発展の礎を築いてきた歴史的経緯があります。これが終刊するということは・・・ いや、不吉なことは思いたくもありません。今はただ、AM業界は不滅であってほしいと強く願って、今後の経緯を見守っていきたいと思うばかりです。

 

9月24日より、恒例のラスベガス巡礼の旅に出て、昨日(10日)帰国しました。しかしながらひどい時差ボケで常に眠く、そしてまだ資料の整理が追いついていないため、すみませんが、今回は次回以降の予告でお茶を濁させていただきます。なにとぞご了承ください。

 

なお、従来の拙ブログでは、「半生中継」として、1回の更新で1日の出来事を記録する日記形式とするのが通例でしたが、今回は滞在日数が15日間と異例に長く、通例に従うと終了まで15週間を要してしまうので、今回は時系列には沿わずに特に記録しておきたいトピック単位で記録しておこうと思います。

現在予定しているトピックは、以下の通りです(ブログ更新順ではありません)。

1: G2Eショウ見物

2: ゲーム関連(Pinball Hall of Fame、Player 1などアーケード系)

3: ゲーム関連(ゲーミング)

4: ボウリングセンターにて

5: 観光・食べたもの

6: 巡礼の概要

 

更新がこれだけでは淋しいので、今後拙ブログで言及していこうと思うトピックの関連画像を幾つかを予告の一環として掲載してごまかします。済みません。

 

▲Pinball Hall of Fameに大変興味深い展示が新設されている!

 

▲SIGMA DERBY(ダービーマークIII)が意外なところに!

 

▲これが噂のロケットフィズ。

 

▲女房と何年ぶりかでオイスターバーに行く。高くなった。

 

▲ゴールドコーストのボウリング場。大盛況。

 

▲もはや幻になってしまったかと思われたビデオポーカーを発見!

 

▲アップルウォッチにこんな機能があることを、夜のダウンタウンで初めて知った。

9月26日

朝5時半に目覚める。12時間くらい寝たことになる。いつもの朝食を摂りビニオンズへビデオポーカーを打ちに行く。

 

さて、ビデオポーカーのダブルダブルボーナス9/6で、J一枚を残すほかないガベッジハンドが配られた。この時に予想する結末は以下のどれか。

 

1:ノーハンド

2:ジャックのペア、あわよくばトリップス、さらにあわよくばクワッズ。

3:ロイヤルフラッシュ。

4;エースのクワッズ

 

正解はこちら↓

▲Jの一枚残しからこんな手を期待する人は、ロイヤルへの発展を期待する人より少ないと思う。

 

確率は17万8365分の1(ただしAのクワッズに限る。他のクワッズも含めるとこの概算でこの8分の1)で、これは、ロイヤル様に発展する確率と同じだが、それに加えて、このゲームがゴールドコーストやオーリーンズなら必ずやっていたはずのAces & Facesでなかったことで、うれしいはずなのに悔しい(Aces & Facesなら配当は2.5倍になっていた)。

 

その後ダウンタウンの東側をうろついてみる。相変わらず半ば廃墟感のあるネオノポリスに来ると、閉店してしまっているハートアタックグリルの前で記念写真を撮っている人たちがいる。もはやダウンタウンの名所だったのに惜しいことだ。店頭の体重計はなぜかまた生きているらしい。

 

▲ずいぶん以前に閉店したハートアタックグリルの前にはいまだに人が記念写真を撮っている。これは行きのときで、帰りの時にも別の人が写真撮影していた。

 

その足でエル・コルテスに行き、もしかして最近ベネシアンを出禁になったというハイローラー「ベガス・マット」でもいないか(彼は良くこのカジノでの大勝負のショート動画をSNSにアップしている)と思ったが出会えなかった。ここはいまだにコインオペレーションのVPを置く一角があり、BPは8/5、DDBは9/6と、今のダウンタウンにしては悪くない。そしてブラックジャックテーブルは3:2と良心を残しているが、ルーレットはトリプルゼロ。それでも人がたくさん群がっている。

 

 

一旦部屋に戻り、ネットで明日合流する元会社のメンバーと行く道筋を確認したり記録を付けたりしているうちにまた眠くなってきたので寝る。まだ時差ぼけと寝不足は解消できていない。

 

目が覚めたら5時過ぎ。特にやることもないのでまたもやビデオポーカーをやりにビニオンズへ。楽なゲームではなかったが、ここぞというときにクワッズが出てくれてお金を使わずに遊べる。そのうちクワッズが短期間に2回出るストリークがあり、最終的に午前に失ったお金を取り返した上にプラスに転じた。いつもこうだといいのに。

朝からPHoFに行く。まだ一部ではあるが、各台の上にその台のリリース年とメーカー、特徴などを記した説明板が取り付けられるようになっていた。

 

▲台の説明板の例。タイトル、リリース年、メーカー、開発者、特筆すべき特徴などが書かれている。

 

▲説明板はこのようにバックボックスの上部に設置されている。

 

奥の一角では、ピンボールの歴史とごく初期の電気を使わない時代のピンボール機の展示が行われていた。詳細は帰国後に改めて記事にする。

 

▲EM機以前のピンボールの展示。有名な「BALLY HOO」の実機を始めてみた。

 

あくび、倦怠感など眠くなる兆候を感じ始めたので、居眠り運転の危険が出ないうちホテルに戻ることにする。ホテルに着いた後少しゲームをしたが滅法ついておらず、けっこうお金が減ってしまった。ダウンタウンは良いビデオポーカーがほとんどなくなってしまった。

今年も9/29-10/1までラスベガスで行われるG2E(Grobal Gaming Expo)の見物に行きます。今回の旅程は、9月24日(木)に出発、帰りは10月8日(木・帰国は翌日)までのおよそ2週間で、自己最長滞在となります。

 

これにより、毎週日曜更新を目指す拙ブログですが、9月27日と10月4日の2回の日曜日は更新をお休みとさせていただきたいと思います。なにとぞご了承ください。

 

ただ、2週間の長丁場、ずっとカジノに入り浸っていては資金が保たないことも考えられるので、特に前半はなるべくカジノで過ごす時間を少なく抑えようと考えています。その一環として、拙ブログの趣旨とは外れることもあるかも知れませんが、ラスベガス旅日記のようなものを随時拙ブログに掲載することでその代替とさせていただこうと考えております。

 

近年は、巡礼に行くたびにこれが最後となるかもとの思いがふとドタマをよぎります。せめて多少はいい思いをしておきたいものです。

 

*******************

事務的なお知らせだけでは淋しいので、拙ブログのネタとするには弱いが捨て置くには惜しい、ATARI社の珍しいピンボール機を一つご紹介しておきます。

 

 

▲ATARIの珍しいピンボール機、「4X4」のバックグラス(上)とプレイフィールド(下)。

 

「4X4」は、ATARIが1983年に製造しましたが、僅か2台しか製造されなかった、超レアなワイドボディのピンボール機です。その1台が、ラスベガスのPHoF(Pinball Hall of Fame)にあり、この画像もそこで撮影したものですが、このときは残念ながら稼働していませんでした。

 

今回もPHoFでは長い時間を過ごすことになると思いますが、新しい、懐かしい出会いがあることを今から期待しています。

今回は、前回記事「ユニバーサル(後のアルゼ)のピンボール」をご高覧くださったおにたまさんとCaitlynからいただいた貴重な追加情報です。お二方、いつもありがとうございます。

 

◆ユニバーサルのピンボール第一号機は「HARD ROCK」ではなかった

まず、レトロゲーム界隈のレジェンド(他にもインディーズゲームのパイオニアとかプログラミング言語開発とか何かとすごい)であるおにたまさんから、「HARD ROCKの前に『オリエンテーリング (ORIENTEERING)』が発表されている」とのご指摘をいただきました。

 

おにたまさんは、「オリエンテーリング」は1976年10月に開催された第14回アミューズメントマシンショウに試作品として出展されていたとおっしゃるので調べたところ、業界紙「ゲームマシン」1976年11月1日号の同ショウを報じる記事「各社出展内容一覧」において、ユニバーサルのブースの写真にオリエンテーリングの筐体が写っていました。ただし出展概要の文中では「試作機のフリッパー」と言うのみで、「オリエンテーリング」の名は述べていません。

 

▲「ゲームマシン」1976年11月1日号の記事「各社出展内容一覧」(P.17)より、ユニバーサルの出展内容を報じる部分。男性が寄りかかっているピンボール機が「オリエンテーリング」だが、「試作機のフリッパー」と言及するのみになっている。推奨サイズでなるべく大きく表示するために上下二分割している。

 

拙ブログではおなじみのカナダのCaitlynからも、彼女自身のブログ「外国人のためのエレメカアーケードゲームガイド」(ブログのタイトルで言っている「外国人」とは、「日本でない人」の意味)で「オリエンテーリング」のカラー画像を掲載していると教えてくれました。このブログは日本製のエレメカゲーム機を網羅することを目指しており、大変貴重な情報に溢れているので、この機会にぜひブックマークしておくことをお勧めします。

 

▲Caitlynのブログに掲載されている、「オリエンテーリング」のカラー画像。オリジナルは業界誌「アミューズメント産業」1977年2月号に出稿されたユニバーサルの広告と思われる。

 

この筐体画像を見ると、「オリエンテーリング」はスコア表示を7セグ(7セグメント)で行っているようです。これはSS機であれば然るべきことではありますが、やはり「CPU搭載」を謳っていた次作(HARD ROCK)及び次々作(HERCULES)のスコア表示をなぜEM機のようにリール式にしたのか、実に不思議です。

 

ユニバーサルは業界紙「ゲームマシン」の1977年1月1日号に同社の新製品を一挙に紹介する全面広告の中で(ゲームマシン紙では)初めて「オリエンテーリング」を「近日発売予定」として記載しました。

 

▲ゲームマシン紙1977年1月1日号に掲載されたユニバーサルの全面広告から、オリエンテーリングの部分(赤枠)。「近日発売予定」とある。

 

ユニバーサルはその後も月二回刊の「ゲームマシン」に1977年9月1日号まで17回に渡って「オリエンテーリング」を「近日発売予定」として記載し続けましたが、1977年9月15日号から記載されなくなり、そして10月5日に開催された第15回アミューズメントマシンショウで、ピンボール機の第二作目となる「HARD ROCK」を出展しています。

 

ワタシは1977年いっぱいの「ゲームマシン」を調べましたが、「オリエンテーリング」を紹介する新製品情報記事はありませんでした。果たして「オリエンテーリング」は量産されたのでしょうか。なお、ワタシ自身は市場で見た覚えはありません。

 

◆ユニバーサル最後のピンボール「ASTEROID KILLER」

前回記事の最後で、「スコア表示をCRTで行っていた機種がHAREM CAT以外にもう一つあったように思うが確信が持てずモヤる(趣旨)」と述べていますが、それが「ASTEROID KILLER」であったことを、やはりおにたまさんとCaitlynから教えていただきました。おにたまさんは、「1979年のAMOAショー(米国で行われるAM業界の見本市)に出展され、Playmeter 1979/12に掲載されている」と教えてくださり、Caitlynも同様にこの機種について、自身のブログでPlaymeter誌の記事の画像とともに述べていると知らせてくれました。

 

 

▲Caitlynは米国の業界誌「Playmeter」誌に掲載されていた「ASTEROID KILLER」の二つの画像を編集して自身のブログにも掲載している。ここではその画像を再編集して、推奨サイズでなるべく大きく表示するために上下に二分割している。

 

Playmeter誌は「ASTEROID KILLER」についてやや長い評論(レーティング)を行っています。それは原則として好意的には見えるものの、どうもフリッパーが弱いらしく、狙ったところにボールを弾き返すのが難しいと複数個所で指摘しています。また、中にはアドバイスめいた意見もあり、発展途上の新興メーカーに対するピンボール先進国の優越感のようなものが若干感じられる気もします。

 

(プレイメーター誌による評価の抜粋とその超訳)

・このショーにおいてピンボールを展示したわずか2社の海外メーカーのうちの1社として、同社は海外の主流市場に明るい希望の光を投げかける。

 

・興味深いショットやプレイが楽しめるマシンだが、フリッパーの挙動やパワーに関してはやはり物足りなさが残る。プレイフィールド上部を狙うロングショットを打とうとすると、反応の鈍さも気になる。

 

・レイアウトは左右のバランスが良く魅力的だが、結局のところピンボールはフリッパーが命でありパワーがなければ他の要素も意味をなさない。

 

・特筆すべき細かい点としては、ボールが一時的に留まるスペースが設けられたキックバック・キッカー周辺(かつてピンボールマシンを見て回った際、ハリー・ウィリアムズが好んでいた仕様)や、プラスチックのオーバーレイが施された金属製プレイフィールドなどが挙げられる。

 

・日本の色彩感覚や色使いは確実に向上しており、本機は(見た目において)多くの国内モデル(注・米国製品のこと)と遜色ないレベルに達している。

 

・得点を稼ぐのが難しいのは、盤面に得点要素がないからではなく、フリッパーの性能上、狙ったエリアにボールを運ぶのが困難だから。もし別の種類のコイルを使っていたらこのゲームはどれほど素晴らしいものになっていたことか。

 

・フリッパーに根本的な問題を抱えている点が、この『アステロイド・キラー』の最大の弱点と言える。(そのため)ゲーム展開の大部分は下部のドロップターゲットやロトスピン(回転ターゲット)周辺での近距離のやり取りに終始してしまう。

 

・より大きな問題は、横方向へのボールの動きが乏しいことで、ボールの転がりやリバウンドの動きが全体的に鈍い。実際、このゲームは業務用として設置するよりも、個人で楽しむためのマシンとして家庭に置く方が向いている気がする。

 

・エクストラボールやスペシャルが発生すると、得点表示エリアがちょっとしたビデオゲーム画面に変わる。ユニバーサル社の開発陣が、小さな画面に踊るキャラクターを登場させるなど、興味深いグラフィックを組み込んでいる。見た目のインパクトは抜群かもしないが、動作の「もたつき(スローダウン)」がアーケードゲームとして許しがたい。

 

これらの評論の全文は、こちらから読むことができます(英語)。

 

ワタシにはこれらユニバーサル製ピンボール機をゲーセンで見たとはっきり言える記憶が無く、ひょっとしたら一つくらい新宿のゲーセンで見たことがあったかも知れないが定かではないと言う程度です。結局のところ、ユニバーサルのピンボール機は広く普及することはなかったように思います。

 

ユニバーサルはそれから程なくしてAM機器メーカーであることをやめてパチスロの開発に注力するようになり、AM業界に対しては海外のカジノ向けに開発したスロットマシンをメダルゲームとして供給するくらいに変化していきました。ユニバーサルが再びAM機器メーカーとして名乗りを上げるようになったのは、社名を「アルゼ」に変更し、sigmaやSNKを買収した2000年以降になってからでした。

日本のAM業界で「ユニバーサル」と言えば、岡田和生氏が1969年(1967年とする資料もある)、28歳の時に栃木県小山市に創立した「ユニバーサルリース」から始まる(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(5) ユニバーサル その1・沿革)ゲーム機メーカーを指すのが一般的です。実は岡田氏はそれ以前からコインマシン業界と関わりがあったと言う話もあるのですが、確かなソースが無いためここでは無視します。

 

ユニバーサルは後にパチスロの最大手メーカーとなるのみならず、海外カジノ向けのゲーミング機器の製造も行うなど事業を拡大させ、社長の岡田氏は1999年には長者番付の筆頭に挙がる億万長者となりました。さらに岡田氏は、ラスベガスで最もハイエンドのカジノホテルの一つである「ウィン・ラスベガス」の建設に出資し、ラスベガスのレジェンドの一人であるスティーブ・ウィン氏と蜜月関係を築いて、念願のゲーミング業界での地歩を固めました。

 

岡田氏はこれでウィン・ラスベガスの運営会社である「ウィン・リゾーツ」社の大株主の一人となりますが、で、あるにもかかわらず、岡田氏は自らフィリピンでカジノホテルを建設しようと活動を始め、ウィン・リゾーツ社はそれを株主として不適切な利益相反行為と判断して、両者の関係は拗れに拗れました。結局岡田氏は自身が持つ同社の株式を強制的に買い上げられて、ウィン・リゾーツから追放されました(関連記事:アルゼゲーミング、消滅の危機)。

 

岡田氏がフィリピンに建設した高級カジノホテル「オカダ・マニラ」についても、賄賂だのマネロンだの逮捕だのと良くない話題に事欠きませんが、ことの善悪はともかく、岡田氏がグローバル企業を一代で築き上げたことは事実です。岡田氏のこの成功は当初から約束されていたものでは決してなく、弱小ゲーム機メーカーの頃から様々な苦労とチャレンジを繰り返してきた結果です。今回は、その過程の上に現れる、ユニバーサル製のピンボール機を取り上げておこうと思います。

 

**********************

ユニバーサル初のピンボール機は、1977年にリリースされた「HARD ROCK」でした。(実はその前年に別タイトルをAMショウに出展しているとの指摘があり削除。詳細は「ユニバーサル(後のアルゼ)のピンボールの追加情報」を参照されたし。訂正日:2026.09.14)

 

ユニバーサルのピンボール機「HARD ROCK」が発表された1977年と言う時代は、ピンボール機のゲームを制御する回路がEM(Electro-Mechanical)」からSS(Solid State)へと移行するさなかで、このHARD ROCKも「CPU搭載」を謳っています。

 

▲HARD ROCK (1977)のフライヤー。片面のみらしいが、現物が手元にないので確認できない。

 

HARD ROCKはしかし、スコア表示はEM時代と同じ機械式のリール(フライヤーでは「リングカウンター」と呼んでいる)で行っています。他社のSS機はおそらくすべて(未確認)得点表示を7セグメント(7セグ)で行っているのに、ここにどんな意味があるのか、テクニカルな方面に滅法暗いワタシには何ともわかりません。ひょっとすると、7セグの制御には一桁に付き最低7個(通常はドット1個を伴うので8個)のI/Oを要し、これが四桁分となると最低28個のI/Oが必要になるところ、一桁につき1個のI/Oで済むメカリールを採用したのかな、などと知ったかぶって想像しています。

 

ユニバーサルが次に発売したのは、1978年の「HERCULES 」です。米国ATARI社が翌年の1979年に破格に大型のピンボールを同名で発売していますが、タイトルに限って言えば、ユニバーサルはその先を越していました。この機械も「CPU搭載」を謳いながら、前作「HARD ROCK」同様スコア表示を機械式のリールで行っています。ただし表示桁数が一桁増えて10万の位まであります。

 

 

▲HERACLES (1978)のフライヤーの表(上)と裏(下)。

 

HERACLESはロールオーバースイッチ(関連記事:【ピンボール】失われゆくロールオーバー・ボタンへの偏愛)に「スター・ロールオーバー」を使用しているように見うけられ、IPDBもそのように述べているのですが、フライヤー画像を見る限りその形状は米国メーカーが使用していたモノとは少し異なっているようです。ひょっとしてユニバーサルはオリジナルのスターロールオーバーボタンを作ったのでしょうか。

 

ユニバーサルピンボールの3作目は、1979年にリリースされた「HAREM CAT」です。ユニバーサルはこの機械のために珍しく二つ折り4ページ構成のフライヤーを作成しています。

 

 

▲HAREM CAT (1978)のフライヤーの表紙側(上)と中側(下)。

 

このHAREM CATは、スコア表示を世界で初めてCRTで行うという快挙を成し遂げました。そしてこのモニターではゲーム中に(今から見ればプアではあるが)ダンスする女性を表示するなどの演出を行いました。

 

 

 

 

▲各ページの拡大図。上から順に表紙、2ページ目、3ページ目、裏表紙。2ページ目に、CRTモニタで行われる演出の一部が見られるが、元の解像度が低いため文字を読み取るのが難しい。

 

ユニバーサルはこの翌年の1980年に4作目となる「ASTEROID KILLER」をリリースしているというのですが、これに関する資料が私の手元になく、はっきりしたことがわかりません。頼りのIPDBでも、名前とリリース年は記載されているものの、フィーチャーの詳細や画像はなく、幻のような機械となっています。ユニバーサルが頒布した会社案内1982年版に掲載されている「製品リスト」にも、その名前はありません。

 

▲ユニバーサルが頒布した会社案内1982年版に掲載されている製品リストの一部。ハードロック、ヘラクレス、ハーレムキャットの3機種は記載されている(矢印)が、「ASTEROID KILLER」の名はない。

 

ワタシの記憶ではスコア表示をCRTで行っていた機種がHAREM CAT以外にもう一つあったように思うのですが、それは長い間をかけて記憶が歪んでしまったせいなのかもしれず、モヤります。

 

ユニバーサルは80年代に入るとアーケードから殆ど撤退し、もっぱらパチスロ(とカジノ向けスロットマシン)に傾注するようになります。これによりユニバーサルの短かったピンボールの時代は終焉を迎え、ピンボールメーカーとして業界に名を残すには至りませんでした。その後のユニバーサルの発展を見ればそれはそれで良かったと言うべきなのでしょうが、残念です。

 

前回記事「謎のBallyスロットマシン、10年半ぶりの追加情報」で、不覚にもワタシは2020年9月にこの謎のフライヤーについて追加情報を掲載していたことに言及し忘れていました。

 

それは「『謎のフライヤー』の追加情報」と言う記事で、斯界では有名な「ゲーム文化保存研究所(IGCC)」のキバンゲリオンさんという方がFacebookに上げてくださっていた画像を、許可をいただいて転載させていただき、考察したものです。

 

ただ、この記事は謎の解明とは到底言えるものではなく、むしろ混乱を助長させただけでなく、今読むと認識違いと疑うべき点もあって、あまり役に立つ内容ではありません。一つ意味があるとすれば、謎に迫ろうと苦闘する様子の記録にはなっているとは思います。

 

*****************

 

さて、前回記事をご高覧くださった、拙ブログではおなじみのカナダのCatlynから補足情報をいただきました。彼女は、「大変興味深い。実に面白いバリエーション」と言って、同じようにコインボウルのない筐体が写る他の画像を提供してくれました。

 

▲Caitlynが送ってきてくれた画像その1。

 

この画像は、米国Bally社とそのおそらく子会社か、少なくとも何らかの関連がある「ルックリン アミューズメント」社が、1973年に日本の業界紙に掲載したプライベートショウの告知のようです(2026年9月3日訂正)日本で開催したプライベートショウで頒布したフライヤーです。余談ですが、Ballyの日本法人である「バリー・ジャパン」が設立されたのは翌1974年の7月で、その社長が「J・ルックリン」と言う人でした。

 

この画像に写る筐体の上から2番目、「SUPER CONTINENTAL」は、まさに前回記事で述べた謎のスロットマシンと同じく、コインボウルがなく、返却コインを受ける小さな皿が付いているだけですが、採用されているシンボルは通常のフルーツ柄で、またハンドルも付いています。

 

▲上述の画像から、「SUPER CONTINENNTAL」部分を切り出した拡大図。確かにコインボウルがない。推奨サイズでなるべく大きく表示するため画像を上下二分割している。

 

さらに彼女は、ネットオークションで入手したという、Ballyが頒布した「SUPER CONTINENTAL」のフライヤー画像もシェアしてくれました。

 

▲Caitlynが送ってきてくれた画像その2。Ballyが頒布した「SUPER CONTINENTAL」のフライヤー。ここに見える筐体画像もコインボウルがない。

 

「SUPER CONTINENTAL」の型番は「891」ですが、他に二つのバリエーションがあり、一つは「891-1」、もう一つは「891-2」と枝番を付けて区別しています。このフライヤーには「3 Popular Models (3つの人気あるモデル)」として、それら三つのバージョンを説明しています。

 

▲SUPER CONTINENTALのフライヤーに記載されている三つのバリエーションに関する記述の拡大図。この画像もCaitlyn提供による。

 

これを超訳すると、こんな感じになろうかと思います。

 

MODEL 891:コインの払い出しがなく、全てのウィンはクレジットカウンターに記録され容易にリプレイできます。

 

MODEL 891-1:キースイッチにより、上記MODEL 891と同様のオペレートとするか、もしくはウィンをコインで払い出すかを切換えます(非常に大きなウィンはアテンダントによって支払われます)。

 

MODEL 891-2:全て自動的にコインを払い出します。ただし、全てのウィンはクレジットメーターに払い出されます。速いプレイを好むプレイヤーは、クレジットボタンを押し、ハンドルを引くという動作で素早いプレイができます。クレジットはいつでもコレクトボタンを押すことで、ホッパーからコインが滝の如く流れ出てきます。

 

ワタシが日本でメダルゲームとして見た「SUPER CONTINENTAL」は、おそらく全て「891-1」だと思うのですが、一度だけ、武蔵小杉にあったボウリング場でクレジットプレイの「SUPER CONTINENTAL」を遊んだことがあります。しかし、それが「891-1」だったのか「891-2」だったのかはわかりません。

 

クレジットプレイでは、筐体の左側面(向かって右)にあるボタンを押下することでクレジットをベットします。このボタンは、ピンボールのフリッパーボタンと同じか同等品と思われ、前回記事で述べた「PLAY CREDITS」ボタンのような使用感の悪いものではありませんでした。

 

▲SUPER CONTINENTALのベットボタン(矢印)。その右にはモードを切り替えるキースイッチ、左側(筐体正面側)にはクレジットカウンターが見える。

 

しかしながら、前回記事で採り上げた中国文化バージョンはこの三つのモデルのうちのどれに該当するのかがわかりません。コインの払い出しが無いなら891なのかなあとも思いますが、ベットボタンの仕様が異なりますし、何よりハンドルの有無という大きな相違点があるのに同じ型番なんてことがありうるのか、ひょっとして「891-3」とか、あるいはもっと別の型番があるのかとも疑っていますが、今のところ答えは見つかっていません。SNSで、リールに描かれるシンボルは中国文化柄だがハンドル有り、コインボウル有りのSUPER CONTINENTALが大阪のメダルゲーム場で稼働していたことがあると教えてくださった方もいらして、混乱はさらに深まっています。

 

ところで、前回記事で「(ハンドルが無く)コイン投入で自動的にリールが回転を始める機種があったが何という機種だったか特定できない(趣旨)」と述べていた機械のソースを発見しました。それはやはりBallyが1965年にリリースした「Model 794」という機種でした。

 

▲ハンドルがなく、コインを投入することで自動的にリールが回転を始める「Model 794」。

 

この画像は、マーシャル・フェイ氏の著書「Bally Slot Machines 1964-1987」の7ページ目です。加えられている説明文の超訳はこんな感じになります↓

 

腕がない片腕の追い剥ぎ

5¢貨を投入するとリールは自動的に回り始める。プレイヤーが好む、ハンドルが付いていてクレジットプレイができるスロットマシンが普及するのは1980年代になってからである。今は、素早いボタンによる操作を好む熱心なプレイヤーの間で、ハンドルが使われる頻度は減っている。1968年時点での価格は$1395(注・この本が出版されたのは2000年前後ころ)。

 

このページに添えられている図は、前回記事で掲載したリールを電気で駆動するメカ部分と良く似ており、謎のスロットマシンより少なくとも5年早い段階で既に存在していたということでしょう。しかし、リールの駆動がステッパーモーターとなり、ボタンで用が足りるようになった現在でも、アップライト筐体のメカリールマシンには相変わらずハンドルが装備されていることから、人の固定観念はそう簡単に変わるものではないのだなあと思わずにはいられません。

 

前回と今回の記事を総括して、現時点では以下を結論としておきたいと思います。

 

・コインボウルが無いバージョンは「謎のスロットマシン」だけの特別仕様というわけではない。

・ハンドルが無いスロットマシンは他にも存在したが、殆ど普及はしていないようだ。

・謎のスロットマシンの製作意図や対象地域など詳細は依然として不明。

 

(おわり)