・今回の巡礼最後の日は、現地時間10月11日(土)となる。これまでの例では、最後の日は未明に空港に向かい早朝に出発し、日本時間で翌日(今回の例では12日(日))の夕方頃に日本に到着するので、最終日は飛行機に乗るだけの日になるのが通例だった。

 

ところが、今回は出発が未明ではなく夜の7時だ。空港への到着が夕方5時として、多少余裕を見て4時にレンタカーを返却するにしても、日中はほぼまるまる活動可能となる。さあどうしようかと悩みながら午前10時、ホテルをチェックアウトする。

 

・最後のひとときをまずカジノで過ごすのは当然であるが、ラスベガス到着の翌日に多少の大当たりが出てはいるがその後の展開が思わしくないため、収支はマイナス傾向にある。これからの調子がよほど良くない限りカジノで過ごす時間は抑え目にしておきたい。

 

・とりあえず荷物を車に積んでカジノに戻り、VPのBPトリプルプレイを遊ぶが、今回も冴えない。思えば、今回の巡礼では4ロイヤルは1度しか配られていないので、最後の勝負で1回くらいは出てくれるのではないかと根拠のない期待もしたが、やはり最後までツイていなかった。2時間ほど遊んで出たクワッズは僅かに5回。うち2回がボーナスの付くローカードであった点はせめてもの慰めになる。

 

・最後に一発逆転を期待してクラップスに手を出してみたが、$200が10ゲームほどで無くなり、ついに心が折れた。今回はもうゲームはやめて、残る時間はPHoF(Pinball Hall of Fame)で過ごすことに決めて駐車場に向かった。

 

・今日が土曜日だからか、PhoFの駐車場は9割ほども埋まっている。ラスベガスにもアーケードゲームが遊べる場所はたくさんあるが、殆どピンボール一本でこれだけ集客できていることに、ピンボールの未来に希望が持てる気がするのは楽観的過ぎるだろうか。

 

▲10月11日(土)午後1時半頃のPHoFの駐車場。かなり埋まっている。

 

・しかし、ウカツにもこの時のワタシの財布の中には小額紙幣は僅かしかなく、あとは全部$100札だった。しまった、気づいていればカジノを出る前に両替機で崩しておいたのにと後悔したが遅い。仕方なく物販を兼ねるカウンターに行き、「$100札の両替はしてくれるか」と尋ねたところ、「$10分は小銭に、残り$90分は全部$5札でならできる」と言われたのでその条件で崩してもらう。18枚の$5札は空港のスロットマシンで両替すればよい。

 

・両替してもらった$10分の25¢貨は、それから約2時間、70~80年代の、ランプレーンが発達していなかった頃の機械ばかり遊んで使い果たした。時計を見ればそろそろレンタカーの返却に向かっても良い頃合いになっている。もっと遊んでいたいのはやまやまだが、後ろ髪を引かれる思いでPHoFを出る。

 

・夕方4時、レンタカーセンターはガラガラに空いていた。愛想の良い太った黒人女性の係員に車をチェックしてもらって返却したのだが、空港行きのシャトルバスに向かう途中でスマホを車内に置き忘れていたことに気づいた。スマホが無ければ事前チェックインのQRコードも提示できない。慌ててガレージに取って返し、さっきの係員に「あの、さっき返した車の中にスマホ置き忘れちまっただが、どうすりゃええだか」と尋ねると、「ああ、さっきの白いKIAね。そこでちょっと待ってて」と言ってどこかに連絡をしてくれた。ほどなくして車庫からワタシが借りていた車が出て来て、中から出てきた中年の、これまた愛想の良い男性係員が、スマホと充電ケーブルを手渡してくれた。うむ、Dollarレンタカー、良き。

 

・冷や汗をかきながらシャトルバスに乗り込み、空港に到着。さっさと荷物を預けてセキュリティを通り、エアサイドに入る。搭乗まではまだ小一時間あるが、この間にPHoFで両替した18枚の$5札をビデオポーカーの機械に全部突っ込み、ゲームをせずにバウチャーに替えた。

 

▲$90分の$5札を替えたバウチャー。

 

・バウチャーをスロットアテンダントに渡して換金したら、$20札4枚と$5札2枚になった。そうか、ビデオポーカーに入れる札は$80分だけで良かったのかと、自分の頭の悪さに小さな後悔をした。

 

・ところで、両替に使用したビデオポーカー機は、JoB10/7だった。さらにストレートは5倍(通常は4倍)になっている。普通、JoBのフルペイは9/6、ストレートは4倍とされているのに、そしてここはP/Oが悪いと言われる空港の機械なのにこれはどういうことか、設定間違いか、やらなきゃソンなのかと思いかけたが、よくよく見るとそこには2ペアが1倍という罠が仕掛けられていた。ビデオポーカーの情報サイト「vp FREE2」を調べてもこの配当は出ておらず正確なP/Oはわからないが、おそらく91%前後くらいかと思われる。これではVPを知っているプレイヤーは手を出すまい。(2026年1月27日追記:ご高覧くださった方より、SNSを通じてこのP/Oは90.09514%であることをご教示いただきました。どうもありがとうございます!)

 

▲ラスベガスのハリー・リード空港に設置されていたJoB10/7のビデオポーカー機。しかし2ペアの配当が1倍という罠が潜んでいる。

 

・ロサンゼルスでの乗り継ぎは4時間弱あるので、ラウンジで夕ごはんをいただく。ここでも普段は飲まないビールを1本いただいた。

 

 

▲ラウンジでいただいた夕ごはん。フォー、鶏肉とほうれんそうのシチュー、ハムサンドイッチ、それに何かよくわからないもの(上)と、おデザ(下)。他にコーヒーをいただいている。

 

・国際便ではあまり良く眠れず、飛行中に提供される2回の機内食は全部いただいた。

 

 

▲提供された機内食。離陸直後のスナック(上)と、その8時間後に提供された天丼+そうめん(下)。さすがに日本の航空会社らしい。

 

・羽田空港に到着したのは早朝5時。いつも利用する蒲田駅行きバスの始発が出るまで1時間以上ある。ひょっとしてとモノレールを見ると、こちらは15分ほども待てば行けそうだ。という事で、モノレールで浜松町を経由して帰ることにする。モノレールには他に乗客がいなかった。

 

▲他に乗客のいないモノレールの車内。

 

今回の巡礼ではお金は減った。しかしその額をラスベガス仲間に言うと、「そんなの負けのうちに入らぬ」と怒られた。

 

(このシリーズおわり)

 

★重要なお知らせ

加療のため、明後日1月27日より約2週間、病院に入院します。入院中も可能であれば拙ブログの更新を続けていきたいとは思いますが、最悪の場合、2週間のお休みとなる可能性もありますので、その際はなにとぞご了承ください。

 

来月末は拙ブログ10周年記念として、久しぶりに日本初(おそらく)のメダルゲーム機総合フライヤーのPDFファイルプレゼント企画でもやろうかと考えております。この件について、もし何かご意見がありましたらコメント欄にてお知らせください。では、病院に行ってきます。

 

しまった。今回のラスベガス巡礼は通例と違って、ラスベガスを発つのが明日の夜7時(いつもは未明)なので、明日の日中も行動できることを忘れていた。というわけでこの記録は今回の他にあと1回続く予定。

 

************************************これより本題

・初日以降何度か行動を共にした元同僚一行も、今日の午後にはラスベガスを発つので、今日と明日は全くのフリーになる。そうとなれば、今回はまだ訪れていない「PLAYER 1」(関連記事:新ラスベガス半生中継2024年(3) DAY 3:例によって(主に)ゲーセン巡り+Sphere)を覗かねばなるまい。

 

「PLAYER 1」は、店内に入るとまず受付カウンターがあり、入場料を払ってから通路を進みフロアに出るつくりになっている。受付カウンター及びその左右はショウウィンドウになっており、古い家庭用ゲーム機や電子おもちゃなどが展示されていているのだが、これまでは主目的のレトロゲームに気がはやってこの部分のチェックが疎かになっていた。今回初めてまじまじと見てみたが、値札が付いているものもあり、これらが売り物だったことを知った。値段は数十ドルから数百ドルと幅広いが、総じて結構お高いと思わせられるものだった。

 

▲ショウウィンドウの一部。昔を懐かしみたいマニアが見ればそれなりにうれしいものが並んでいるものと思われる。

 

▲ショウウィンドウに展示されていた、アップルコンピューターのフロッピーディスクユニット。$700は高いのか安いのか。筐体に書かれている文字をワタシは「clisk 2」と読んだが、「disk II」と読むのが正しいらしい。調べると、ワタシと同じように誤読する人はほかにもいることがうかがわれた。これはアップルのレタリングが悪いと思う。「インド人を右へ」みたいな。

 

・「PLAYER 1」に設置されているビデオゲームのラインナップは前回と変わっていないようだが、前回は問題なく動いたものでも、操作系に難が出てきた機械が増えているように思う。これだけ機械があればいちいちチェックなどしていられないとは思うが、ショットボタンが利かないシューティングジョイスティックが利かないビデオゲームは、いかにプレイ料金がタダであっても悲しい。

 

・「PLAYER 1」を出ると大雨が降っていた。このところラスベガスは時々こんなことがあり、水害被害のニュースを見かけることがある。今回も一部の路面がプチ冠水状態になった。

 

▲プチ冠水している路面。ラスベガスは砂漠地帯とは言え「ラスベガス・バレー」と言われる谷になるので、大雨が降ると水害に襲われるところもあるそうだ。

 

・本日の夕ごはん

 オーリーンズのフードコートにあるハンバーガーショップ「Fuddruckers」で1/2ポンドハンバーガーをいただく。以前はトッピングの野菜類はセルフサービスでいくらでも盛ることができたが、今は店員に欲しいものを注文して乗せてもらうようになっていた。「レタスとトマトとハラペーニョ載せて頂戴」とお願いしたら、何かと過剰に盛ってくれようとする。気持ちは嬉しいが、いかにワタシでも適量と言うものがある。でもハラペーニョは少し過剰気味になった。

 

▲Fuddruckersでの1/2ポンドバーガー。$13くらいだったか。最後の夜だと思って少し気が大きくなっていた。

 

・食後、オーリーンズ併設のボウリング場を覗く。かつてワタシがラスベガスで結婚式を挙げた時にここで参列者の皆さんとささやかなボウリング大会を行った想い出のセンターでもある。今回はリーグだか大会だかが行われていて盛況なのは、さすがテンピンボウリング発祥の地、米国である。

 

▲盛況のオーリーンズのボウリング場(上)と、フロントに掲げられている料金表(下)。ボウリングもずいぶん高くなった。

 

【本日のゲーム】

トリプルプレイのビデオポーカーで、トリップスから2つの手がクワッズに発展するという今までに経験したことが無いナイスな手が2回も出た。トリプルプレイでトリップスがディールされ、複数の手がクワッズになる確率は概算で1/580くらい(たぶん)。しょっちゅう出るとまでは言わないが、今まで一度も出たことが無かったことが不思議なくらいの確率ではある。

 

▲トリプルプレイで、トリップスから複数の手がクワッズに発展した二つの手。

 

だがしかし、お金は増えず、むしろ少し減り気味であった。

 

(次回、最終回につづく)

★本題に入る前にお知らせ

 

本年初の更新ということで、当初は新年のご挨拶をと思っていたのですが、7日、X(Twitter)のセガ公式アカウントより、「セガ」創始者のひとりであるデイビッド・ローゼン氏が亡くなったことが発表されました。95歳。

 

つきましては新年のご挨拶は省略いたします。このために作っていた画像は12年後に再利用しようと思います(それまで拙ブログが継続していれば)。

 

なお、拙ブログでは、過去に氏に関する以下の記事を掲載していますので、よろしければこの機会にご参照いただき、氏が為した偉業について思いを及ばせていただければと思います。

 

 

・ローゼン・エンタープライゼス1961(1)~(5)

  (1)アーケードゲーム(掲載日:2024年5月26日)

 

  (2)ガンゲーム(掲載日:2024年6月2日)

 

  (3)ピンボール(掲載日:2024年6月9日)

 

  (4)ベンディングマシン(掲載日:2024年6月16日)

 

  (5)ジュークボックスとキディライド(掲載日:2024年6月23日)

 

日本のゲーセンはいつから始まったのか?(掲載日:2024年9月1日)

 

デイビッド・ローゼン伝:前編(掲載日:2025年7月6日)

 

デイビッド・ローゼン伝:後編(掲載日:2025年7月13日)

 

 

************************************ これより本題

 

・今日はホテルをストリップの西にある「Orleans」に移すので、荷物のパッキングは昨夜のうちにあらかた済ませてある。例によってスーパーで買ってきた食材で簡単な朝食を済ませる。

 

・朝10時前、ホテルをチェックアウト。G2E初日に「最終日はクローズド展示だったメーカーもオープン展示になる(かも)」との情報を得ていたので会場に向かう。確かに一昨年はAristocratが最終日のみオープン展示をしていたのでありうることだと期待してのだが、入場してみればオープン展示をしていたところは一つもなかった

 

・せっかく来たのに全くの無駄足となるのも癪なので、初日にはあまり注意を払っていなかった小規模な展示ブースを回ってみる。すると、日本のゲーセンでも見たことがあるスロットマシンを展示する小さなブースを発見した。よくよく見ると、そこは初日にロボットディーラーを展示していることを発見していた「LT Game」のブースで、スロットマシンは日本の人気ビデオゲーム「鉄拳」をテーマとしたビデオスロットだった。

 

スロットマシン「鉄拳」は、筐体内にギミックを仕込み、メカによる予兆演出を行う。これは昨今のパチンコ、パチスロで見られる演出で、日本では既に陳腐化している手法ではあるが、海外ではまだ馴染みがないのでそれなりに効くのかもしれない。しかし、4K、8Kの大画面で、更にホールド・アンド・スピンフィーチャーとミステリー・ボーナス・フィーチャーが主流である現在のビデオスロットの潮流に乗るものではないせいか、格別注目を集めているというわけでもない。やはり流行のゲームスタイルでないと難しいのだろうか。

 

▲LT Gameが出店していたスロットマシン「鉄拳」。同じギミックを備えた筐体を使用したシリーズのタイトルもあった。

 

・ところで、過去記事「新ラスベガス半生中継2025年10月(2):Day 2/5」で「10年位前にIGTに出展されていた」と述べているロボットディーラーについて帰国後に確認してみたところ、IGTで出展されたのは2016年の事だった。しかし、それから9年の間にロボットの技術はとんでもなく進んでおり、もはやこのレベルでは客寄せにはならないのではないかと心配になった。

 

 

▲2016年にIGTのブースで出展されていたロボットディーラー。続報はついぞ聞かなかったが、アジア圏を根城とする企業なので、ひょっとしてマカオやマレーシアなどアジアのカジノでは稼働しているのだろうか。

 

・初日に合流した元同僚からLINEで連絡があり、「現同僚がタコスを食べたいと言っているので連れて行ってくれ」と言ってきたので迎えに行き、Gold Coastの向かいにある「Del Taco」に行く。タコスを食べたいと言った本人はなぜかこの店のオンラインクーポンを持っていたので、それを使ってコンボメニューを注文する。内容は豆のブリトーダブルチーズバーガー、それにフレンチフライドリンクが付いて約$10。物価高の昨今においては大変お買い得に思える。パッケージを持つとずっしりと重く、かなりの満腹感を得た。もともとメキシカンは好物と言うわけでもなかったのでタコス屋に入ったことはなかったのだが、今後は一考に値すると思った。

 

 

▲Del Tacoで注文したコンボの箱を開ける我々(上)と、ダブルチーズバーガー(下)。大きく重く、TEX-MEXらしい味がした豆のブリトーは不覚にも写真を撮り忘れてしまった。

 

・この日、元同僚たちはオフだったようで、食後に「クラーク・カウンティ・ミュージアムに連れて行ってくれ」と言うので行くことにする。ここは過去に3回か4回行っているが、博物館は好きなので何度行っても良い。現地に着くと、以前は$3ドルほどだった入場料が全て無料になっていた。素晴らしい。

 

 

 

▲クラーク・カウンティ・ミュージアムの、ゲーミング関連の展示の一部。下の写真上部に見えるファロテーブル(関連記事:「FARO」に関する備忘録は、以前来た時とは展示場所が変わっていた。

 

・クラーク・カウンティ・ミュージアムを出てから、ヘンダーソンのカジノをいくつか覗いた後、夕ごはんとしてDecatur通り沿いにある和食バフェイレストラン「MAKINO」に向かう。ここは2000年代に何度か来たことがあるきりで、大変久しぶりだ。

 

メニューは寿司、天ぷら、シーフードがメインだが、焼き肉、ステーキなど肉系もそこそこ充実していて、料金は1人約$45(税・チップ別)。昔に比べると倍くらいになってしまったが、今のご時勢では格別高くもない。

 

店の奥の方ではG2Eに出展していた会社と思しき団体が貸し切りパーティーをしており、沖縄サウンドに乗ったエイサーも聞こえてきた。

 

▲今回MAKINOで食べたもの。せっかく海外に来たのに日本食が食べたいなどと言い出す唐変木にもお勧めできる。最後の写真はG2E出展社が開いていたパーティーの一部。エイサーの装束を着たアトラクションの演者が見える。

 

・MAKINOを出て元同僚たちをフラミンゴまで送る。フラミンゴへの車での入り方もすっかり覚えたので、次回、何かの用でストリップから拾うことになったらフラミンゴで拾うことにしよう。

 

・今夜の宿となるThe Orleansに向かい、チェックイン。部屋は低層階を選んだところ、プール際の部屋だった。

 

▲部屋の窓から見えるプール。カジノの天井や遠くの岩山しか見えないような風景よりはマシかもしれない。

 

◆本日のゲーム

・これまではゲームに費やす費用を抑えるためにシングルプレイを主に遊んでいたが、旅も終盤に入ったのでゲーム単価が高いトリプルプレイに移す。ただし、分散の大きいDDBではなく、ツーペアで2倍となるBPをする。

 

・この日のクワッズ以上の手は9回、うちボーナスに関わる手が4回であったことは喜ばしいことではある。

 

▲A、及びボーナスに関わる2~4のクワッズ。

 

▲喜ぶべきなのだが素直に喜べないストレートフラッシュも出た。

 

(つづく)

前回の更新時にウカツにも告知し忘れていましたが、この28日(日)の更新はお休みとさせていただきます。

ついでに年明け4日(日)もお休みし、次回更新は1月11日(日)を予定しております。、

 

もし、拙ブログを楽しみにされている方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げます。

 

ついでに近況を報告いたしますと、ワタシはこの週末、女房とともに大阪に来ており、現地の友人に案内されて、例えばこんなところをフラフラしていたりします。

 

▲かつて日本が夢と希望に満ちていた時代を象徴する建造物

 

実はワタシは1970年にもこの地を踏んでいるのですが、その時はあまりの混雑でこの塔に入ることはかないませんでした。あれから55年の歳月を経て、このたびやっと本懐を遂げることができて、感無量です。

 

以上、お休みのお知らせと近況報告でした。

◆本日の予定

・日中は完全にフリーなので、一人でPinball Hall of FamePHoF)に行って堪能しまくるつもり。

 

・夜、初日に合流した元同僚及びその現同僚二人を連れて、初めてのステーキレストラン「Montana Meat Co.」に行く。

 

以上。

 

*****************

・本日のメインイベントであるPHoF11時にオープンするので、普段より遅目の10時に起床。朝ごはんはコロナ禍以降恒例のスーパーで買ったパン、ソーセージ、チーズ、みかんとチョコレートミルク。以前のラスベガスでは部屋に冷蔵庫がないのが普通(「デラックス」と呼ぶことが多いスタンダードルームの場合)だったが、コロナ禍後は冷蔵庫を備えるホテルが増えた。このような変化はありがたい。

 

▲本日の朝ごはん。いつものメニュー。

 

・PHoFに到着したのは昼12時前。平日だというのに駐車場にはすでに多くの車が停まっている。今回は単にピンボールを遊ぶだけでなく、後々ブログで使えるかもしれない素材写真を撮ることも大きな目的としていた。

 

これまでも筐体全体やプレイフィールド、バックグラスの写真はさんざん記録しているが、それらはピンボールの基本的な構成要素を見る資料としては使いづらく、「ああ、あの部分をもっと細かく撮っておけばよかった」と後悔することが多々あった、その反省による。

 

ただ、撮影機材はスマホのみなので画像に傾きや歪みが出るし、照明や電飾がガラスに映り込んだり影ができたりなどで欲しい部分が明瞭に撮れないことも多い。その場で画像の確認はするが、大きなPCの画面で見て初めて気づく瑕疵もある。それでもなんとか工夫しながら撮影に精を出した。

 

▲スピナー。上の、天井の照明の映り込みが邪魔。また、スピナー下の影も邪魔。

 

▲オールドスタイルのロールオーバーボタン。ガラスの映り込みのため全体の明瞭さに欠ける。また右下の影が邪魔。

 

▲パッシブ・バンパーと6個のフリッパーで構成されているピンボール、「Lady Robin Hood(Gottlieb、 1947)のプレイフィールド。

 

▲パッシブ・バンパー、ポップ・バンパー、それにトラップ・ホール。PHoFに設置されている個体にはなぜかバックボックスが無いので機種の特定に苦労したが、帰国後に調べたところGottliebの「Crossroads」(1952)であることが判明した。

 

▲、ロールオーバーレーンにボタンスイッチが使われている例。機種はBallyの「RockMakers」(1968)。

 

*****************

◆本日の夕ごはん

・初日に合流した元同僚及びその現同僚と、これまでまだ行ったことがないステーキレストラン「Montana Meat Co.」へ。ラスベガス在住の日系の友人がしばしば利用すると言うので、この機会に行ってみた。店内に入ると右手はビデオポーカーを設置したバー、左手がステーキレストランとなっている。ワタシは「モンタナ・リブアイ20オンス($33.99)」を注文。

 

▲モンタナ・リブアイ20オンス(1ポンド4オンス=約580g)。下はその断面を示す。注文通りばっちりのミディアムレア。

 

この店のステーキメニューは10オンスだの12オンスだのが多く、1ポンドのメニューがないためこの選択となった。だが物価高のラスベガスでこの値段なら、ストリップエリアの高級を標榜するカジノのカフェよりずっと満足できる。場所はザ・ストリップの西を南北に走るDurango通り沿いにあり、この5km ほど北には一昨年に新築オープンしたステーションカジノ系列の三つ目の旗艦店「Durango &Resort」がある。

 

*****************

◆本日のゲーム

 

・クワッズが2回出ただけで全くツイてない。せめてもの救いは、2回目のクワッズは最後の5クレジットで出てくれたことか。

 

▲1回目(上)はデルトクワッズ、2回目はその25分後に出現した1ペアからの発展クワッズ。どちらも7のクワッズ+5であるが、だからと言って何かあるわけではないのがなんとなく悔しい気もする。

 

(つづく)

今日は、昨日とは異なる元同僚とその仲間二人の四人で、今回の巡礼のメインイベントであるG2Eを見物に行き、その後一緒にヘンダーソンで食事したついでに周辺のカジノに行く予定。

 

元同僚のグループも車があるので、今回はワタシの車は出さず、便乗させてもらう。元同僚たち3人とは、彼らが宿泊している「4クィーンズ」で朝9時に待ち合わせしていたが、少し早く到着したので一昨年に4クィーンズで唯一発見していたフルペイ25¢DDB(10/6)でもやって待っていようと思ったが、その台はよくある「9/6」に変更されてしまっていた。ちっ、気づかれたか。4クィーンズの看板ともいうべきフルペイの$1DBも1台しかなくなっていた。ただし25¢は3台くらいあった。やはりダウンタウンから良いVPが減少している

 

*****************

・元同僚たちと落ち合い、G2E会場に向かう。会場のパラッソは駐車場が有料である上にコンベンション終了時には駐車場から出る時にひどい渋滞になるので、向かいにあるtiに車を停める。ここなら駐車場代も無料だ。

 

・G2Eの入場証は、通例ならば前日に入手しておくのだが、今回はその前日に現地入りしているので、ショウ当日の手続きとなった。列は長く、うんざりしかけたが、登録を行うキヨスクがたくさんあり、案外すんなり手続きを終えることができた。

・ショウは5時で閉まるが、終わりが近くなると退場者が多く大混雑するので、早めの3時半に待ち合わせすることにして、一旦散開する。

 

*****************

・G2Eへの期待の8割9割は、広義のスロットマシンの新製品を見ることにある。スロットマシンのメーカーは世界中にあるが、ゲームのスタイルは北米/豪州と欧州では少し異なるところがあり、ワタシの興味は主に北米(の、さらに言えばクラスIII=商業カジノで稼働するゲーム)なので、注目するメーカーはIGT、ARISTOCRAT、LIGHT AND WONDERの「御三家」と、KONAMI、EVERI、BLUBERI GAMING、ARUZE GAMING GLOBAL等米国の中堅メーカーが主となる。しかし、一昨年はARISTOCRATが、昨年はARISTOCRAT、IGT、KONAMIが、そして今年は昨年の三社に加えてIGTに買収され同じブースに吸収されたEVERIまでもがクローズド展示となり、バイヤーかカジノビジネス関係者以外の来場者は入場できなくなった。ショウ期間は3日あり、最終日は一般公開されるとのうわさも聞いたので再来してみたが、やはり入れなかった。

 

▲クローズド展示のIGT、ARISTOCRAT、それにKONAMIのブース。IGTのブースには「EVERI」の名も掲げられた。

 

これじゃG2Eに来る意味が殆どないじゃん!

 

もう来年は来なくてもいいかとさえ思われるくらい腹立たしいことだが、そうは言ってもまだ見ておくべきものが全く無いこともないので来られるものなら来なくてはならないであろう。

 

◆SEGA SAMMY CREATION (SSC)

▲SSCはオンラインゲーミングの会社を買収したこともあり、今回は前回以前の2倍のスペースを取っての出展となった。

 

・大手メーカーが軒並みクローズド展示とした中で、SEGA SAMMY CREATION(SSC)は今回の数少ないハイライトの一つになった。昨年発表された「Rail Road Riches」は新興のマイナーメーカーであるにも拘らず、その普及率は目覚ましい上に客付きも良く、全く快挙と言える大ヒット作となった。今年はその続編を発表しており、コンパネのSPINボタンのトップをソフトなパッド仕様とする細かい工夫が施され、意気込みを感じた。

 

▲Rail Load Richesの新バージョンと新筐体。

 

・それと並び、これから発売が予定される新製品として「ボナンザ・ブラザーズ (Bonanza Brothers)」が展示されていた。ビデオゲームをテーマにしたスロットマシンは、これまでにもビデオゲームの歴史に名を遺すビッグネームがいくつもあったが、ボナンザ・ブラザーズはそれらほどの知名度もなく、意図がよくわからない。悪いことに、過去のビデオゲームテーマの機械はどれもたいして普及せず(普及どころか製品化されずに終わった物もある)、寿命も短かったことを思うと、ひょっとして、知られていないからこそ新規キャラとして通用すると踏んだのだろうか。

 

▲SSCが出展したボナンザ・ブラザーズ。ゲームがウケければキャラクターは何でもいいとは言えるが、果たして結果は?

 

◆LIGHT AND WONDER

▲LIGHT AND WONDERのブース。今回、大手三社の中で唯一オープン展示だった。

 

・大手三社の中で唯一オープン展示としていたところは褒めたい。ビデオスロットはやはり今の主流のミステリー・ボーナスを主とするものが多いが、旧Ballyや旧WMSの血を受け継ぐタイトルも残っており、今後の推しとして行きたい。

 

・LIGHT AND WONDERはかねてよりテーブルゲームも提案してきているが、今回は2個のダイスを使用する「Path to Victory」と言う名の、クラップスによく似たゲームテーブルを出展していた。概要は、2個のダイスを振り、2個のダイスの目の差の数だけテーブル上のマーカーを移動させ、マーカーが一定以上まで進むか、ぞろ目が出たところでゲームは終了する。賭け目によっては80倍と言う高配当もある。ペイアウト率は良くなさそうだが、カジノに設置されれば一回くらいはやってみたいかもしれない。

 

▲「Path to Victory」のテーブル。

 

◆ARUZE GAMING GLOBAL

▲ARUZE GAMING GLOBALのブース。買収された後は出店規模が小さくなった。

 

・アルゼが買収されてからどう変わるかと観察を続けてきたARUZE GAMING GLOBALだが、筐体のデザインセンスには今もパチンコ、パチスロ台の影響が残っているように思える。今回も「MUSO(無双)」と名付けた筐体を出展していた。

 

▲アルゼのMUSO(無双)筐体。日本語(漢字)がクールだった時代はもう過去の事だと思うのだが・・・

 

◆その他

・昨年は出展していなかった、日本のトランプメーカー「エンゼル・トランプ」が親会社となっている、カードやチップなどカジノイクイップメントのメーカーのグループ「GPI」は、今年は出展していた。いろいろお話を伺って、サンプルのチップやダイスの見本をいただいた。

▲GPIのブース。

 

・マカオに本拠地を置く「LT Game」が、10年位前にIGTのブースで出展されていた「ロボットディーラー」を出展していた。個人的にはギミックで驚かせようとするゲーミング機はコケると思っているのだが、日本でも「LT Game Japan」が頑張っているので、これからも発展していっていただきたい。

 

▲LT Gameが出展したロボットディーラー。10年位前にIGTのブースで出展された時はそこそこに注目を集めていたが、今回はほとんど顧みられていなかったように思う。

 

・他社のIPを使用したゲームはたくさんあるが、盤ゲームの「モノポリー」は、長くWMS(現LIGHT AND WONDER)がおさえて数々のシリーズ機種を出しており、「モノポリーと言えばWMS」だった。しかし今回はARISTOCRATが版権を取ったらしく、会場外の広告看板でこの事実を知った。ARISTOCRATはクローズド展示だったのでその機械を見ることはできなかった。

 

▲ARISTOCRATが掲示した「モノポリー」のスロットマシンの看板。

 

◆本日の夕ごはん

・ヘンダーソンのBBQレストラン、「Lucille’s」で、同行した3人とともにビーフリブをいただく。昨年10月と今年の3月に続いて3回連続の来店。ラスベガスに来たら一度は寄りたい店の一つなのでこうなる。物価高の昨今において、このレベルが飲み物も込みで$50未満で済むのもありがたい。

 

▲ビーフの大きなあばら骨4本+サイド2種。これだけで結構腹いっぱいになれる。

 

◆本日のゲーム

・夕食後、ヘンダーソンのステーション系列のカジノ「グリーン・バレー・ランチ」を視察。同行者3人がカジノを見て回っている間、ワタシはステーション系列のカジノでよく見かけるフルペイのVPに興じる。今回は25¢DDBをやっていたところ、あっさり大当たりが出てくれた。ありがたいが、ステーション系列のVPはディール/ドローのスピードが速すぎる上に調整機能も切られていて少しつまらない。

 

▲DDBで4A+ローカード。これで$500になる。いつもこうだといいのに。

 

(つづく)

しまった。SEGASAの歴史の連載が長引くうちに、すっかり10月の聖地巡礼の記録を忘れてました。

 

毎週日曜更新を目指す拙ブログですが、今月の最終日曜日(12月28日)は旅行に出かけて不在のため更新をお休みする予定なので、今年は今回を含んであと3回しか更新できず、年内に完結することができません。年をまたいでの記録となりますが、どうぞご了承ください。

 

*****************

・今回の旅程は10月6日(月)出発、11日(土)現地発、13日(月)早朝に日本着の5泊8日。通例だと全日程は現地泊数+2日となるのだが、今回は飛行機代がやたら高く、少しでも安くなることを優先したら、帰りの便が夜7時発、ロサンゼルス経由で日本帰着は翌々日の早朝5時というスケジュールになった。それでも今回の飛行機代は、ワタシのこれまでの巡礼で最も高いものとなってしまった。

 

・5泊のうち最初の3泊はダウンタウンのメインストリート・ステーション。ここは1987年から1990年まで、「メダルゲーム」の発案者であるsigmaの真鍋勝紀氏が「Park Hotel and Casino」として運営していたところだ。残る2泊はストリップ西のオーリーンズ。どちらもコンプで取ることができた。コンプだとリゾートフィーがかからないので、これだけで$200近くの費用圧縮になる。円安の昨今においては特にありがたい。

 

・巡礼の最大の目的は世界のゲーミング業界の見本市「Grobal Gaming Expo(G2E)」の見物だが、かつての同僚グループをアテンドすることにもなっている。

 

*****************

・出発当日。昼過ぎに成田空港到着。まずwifi業者のロッカーから現地で使うwifi機器を受け取る。飛行機のチェックインはオンラインで済ませているので、キヨスクで預け荷物のタグを印刷してカウンターに渡す。最近は機内持ち込み荷物のリチウムイオン電池は頭上の荷物入れには入れられなくなったと聞いていたので確認してみたが、必ずしもそんなことはないとのことだった。

 

・さっさとセキュリティを通ってエアサイドに入る。出国手続きではもうパスポートにスタンプを捺すこともなくなり、手続きが早く簡単にはなったのはいいが、少し寂しい気がする。

 

・ラウンジでごはんをいただく。朝からろくなものを食べていなかったのでありがたい。マイル修行の甲斐があったというものだ。酒を飲む習慣はないが、せっかくなのでビールも一杯だけいただき、あとはコーヒーで出発前の時間をくつろぐ。

 

 

▲ラウンジはANA。成田のラウンジはJAL系の方が高評価のようだが、隣の芝生と言うものに違いない。

 

・飛行機の中ではほとんど寝られず。映画もろくなものが無く、一つか二つチラ見したような気もするが覚えていない。あとはタブレットでひたすらマンガを読んで過ごす。およそ10時間のフライトで2回出る機内食は全ていただく。ANAだけあって、UAよりもずっとマシだ(と言うか、UAがひどいのか)。

 

 

▲今回の機内食。上は離陸直後のごはん。赤いソースの下はハンバーグ。小鉢類が案外おいしい。下がロサンゼルス着陸前に出て来る朝食。魚が出るのはやはり日系だからか。

 

・昼前にロサンゼルス到着。およそ3時間の乗り継ぎの間、ユナイテッドラウンジで朝ごはんとしパン、チーズといくらかのフルーツをいただく。ここにはたいした飲食物はない。

 

・ラスベガス到着。飛行機の搭乗券はもうスマホで済ませる時代だが、逆に言えばスマホをなくしたりバッテリーが切れたりしたら人生詰むと思うと少し恐い。

 

・空港からレンタカーセンターへの送迎バスに乗る。今回は大の男5人が乗ることが多いので、少し大きめの車を借りた。今日はこれからこの車で、すでにラスベガス入りしてフラミンゴに宿泊しているかつての同僚を含む4人のダウンタウン視察をアテンドし、夕食を共にすることになっている。

 

▲今回借りた車。たいていは「あのエリアの好きなの持ってけ」という感じなのだが、今回は「グリッド110の車」と指定された。

 

・レンタカーセンターを出る前に、フラミンゴで待つ元同僚に、車の画像とともにこれからそちらに向かうと連絡する。ストリップエリアのホテルは、車でピックアップできる場所がわかりにくいところが多い。事前にGoogleマップで調べておいてアテにしていたストリップ側の入り口がなぜかバリケードで閉鎖されていて、裏通りから入らざるを得なくなる。裏通りに入るには、ストリップをそのまま南下して、リンク、ハラーズ、ヴィニーシャンの前を素通りしたところで右折し、裏通りのコーヴァル通りで右折するのだが、ただでさえそこそこ距離がある上に信号が多く、フラミンゴに到着するまでに10分ほども要した。やはりストリップは車では近づきたくない。

 

・フラミンゴの車寄せ付近はタクシー、ウーバー、一般の車で渋滞の様相を呈しているが、むしろそれが幸いしてゆっくりと元同僚とその現同僚3人を拾い上げることができた。周辺道路の広さや車寄せの構造は昔から大して変わっておらず、現状に追い付いていないのだろう。

 

・行先はワタシが宿泊するダウンタウンのメインストリート・ステーション。道中でスーパーに寄って水や食料を買いこむ。元同僚はラスベガスに住んでいたこともあるので現地の様子はよく承知しているが、その現同僚3人は初めてのラスベガスとのことで、大きなスーパーでの食料品の買い出しを楽しんでいたようだ。確かに外国のスーパーの、特に食料品売り場はいつも楽しい。

 

・今日の夕食は、元同僚とメインストリート・ステーションの「777(トリプルセブン)」にしようと事前に決めていた。ワタシがホテルにチェックインしている間に先に店に入っていてもらおうとしたが、部屋に荷物を置いて店の前に来るとまだ入り口で入店を待たされているところだった。

 

 

・席に着き、元同僚の現同僚たちにここのお勧めは何かと聞かれたので、ここに来たらビールの飲み比べができるサンプラーを注文しない手はないと答える。

 

▲777(トリプルセブン)のビールのサンプラー。以前は円形だったラックは、今は直線になっている。

 

▲みんなでシェアしようと注文したバッファロー・ウィング。

 

▲ワタシが注文したナントカ(忘れた)バーガー。バーガーというがパンは食パン。後で気づいたが、期間限定の特別メニューだったらしい。この画像ではわかりづらいが、ボリュームもあり、おいしい。次回もあれば注文してもいいと思える。

 

・初ラスベガスの3人には「777」はウケたようだ。良かった。食後、元同僚の一団はダウンタウンを見て、帰りはタクシーで帰るというのでそこで別れる。彼らとは明後日の夕食も一緒に行くことになっている。

 

・元同僚たちと別れ、ワタシはメインストリート・ステーションのカジノで軽く遊ぶことにする。ここはコロナ禍の時に長く店を閉めており、やっと営業再開したと思ったら、以前と同じ稼働にはならなかった。テーブルゲームは週末のみのオープンだし、かなりの数スロットマシンやビデオポーカーを撤去し、代わりにETG(Electric Table Game)を多く導入した。777も24時間営業ではなくなり、おまけに休業日まで設定された。ビデオポーカーでクワッズ以上が出るともらえたスクラッチくじが電子化されたのはいいが、マルチプレイ機は対象外となってしまって、以前の「マイ・フェイバリット」の姿から大きく変わってしまった。

 

・ビデオポーカーのマルチプレイ機という選択肢は失ったが、ならばと、シングルプレイで分散の大きいDDBで遊ぶことにするが、あまりツイているとは言えず、苦労したあげくボーナスの付かない平クワッズが4回出たが、収支は増えない。投入した何枚目かの$20札の最後の5クレジットのゲームで、4ロイヤルがディールされた。

 

▲ディールされた4ロイヤル。フラッシュができている。「CREDIT」の表示は「0」。

 

4ロイヤルがディールされる時はたいてい何かしらの役が成立していることが多いように思う。今回は最後のクレジットでのディールなのでついついフラッシュのまま確定させたくなるが、正しい選択肢はあくまでもロイヤル狙いなので、泣き泣きハートの5を捨ててドローしたところ。

 

▲4ロイヤルを残してドローした結果。フラッシュは無役に降格した。

 

寝る。明日は今日とは異なる別の元同僚3人と、この巡礼のメインイベントであるG2Eの見物だ。

 

(つづく)

前回に引き続き「パチンコ・パチスロ産業フェア2002(以下、PPフェア)で公開されていた「パチンコのルーツを探る」と言うパネル展示から、今回は戦前の昭和7年のパチンコ事情を記録していきます。

 

パチンコはコリントゲームから発展した」という説をちょいちょい聞きますが、「ものと人間の文化史186 パチンコ」(関連記事:法政大学出版局「ものと人間の文化史 186 パチンコ」のご紹介)によれば、コリントゲームが日本で発売されたのは昭和7年(1932年)のことで、パチンコはと言うと、それ以前の昭和4年(1929年)に既にパチンコに関する特許が出願されている事実から、明らかに誤りです。

 

ついでに言うと、「コリントゲームの名の由来は発売元だった小林脳行の『小林』を『コリン』と読んだ」という風説も誤りだそうです。小林脳行がコリントゲームを扱っていたことは事実のようですが、日本で流行ったコリントゲームの元ネタは昭和7年(1932年)にその特許が日本に上陸した英国製の「Corinthian 10 (コリンシアン10)」と言うゲームです。小林脳行は、この商品名と盤面に立つ釘から古代ギリシャの建築様式であるコリント式を連想して、そのコリント式を象った商標を用いた「コリント商会」として、昭和8年にコリントゲームの実用新案を出願しています。この辺の詳細は例によって原典の「ものと人間の文化史186 パチンコ」をご参照ください。第5章と第7章にこの辺の詳しい話が記述されています。

 

さて、長々とコリントゲームについて述べましたが、コリントゲームが発売された昭和7年時点のパチンコ事情が窺い知れる、「中川式遊技機製作所」と題する写真が、PPフェアの展示にありました。

 

昭和7年時点の「中川式遊技機製作所」の様子。ごく小規模なマニュファクチュアで、7人の男性が手分けしてパチンコ機を組み立てている様子が見える。

 

写真の説明には、

 

富貴屋、OM商会など大阪が独占していた遊技機づくりを下請けしていた中川清氏が独立、続いた才田商会とともに金沢メーカー時代を築いた。

 

とあります。説明文中の「OM商会」はパチンコの歴史を語る文中でよく見かける名前ですが、実は「オーエヌ商会」が正しいようです。それはさておき、この写真に写る7人の男性のうち、左の二人はレールを作っているようです。中央の眼鏡の男性は曲尺を当てて板状の何かを測っています。その右の男性は今まさにレールを盤面に取り付けているように見えます。その上のカメラ目線の男性と、手前の咥えたばこの男性は、手にペンチのような工具を持って組み立て作業をしているようです。最も右の鉢巻きの男性は、立てたパチンコ台の裏側に何かを施しているようです。戦前のこの時代、パチンコ台は、このようなマニュファクチュアで製造されていたことがわかります。

 

つまるところ、コリントゲームが日本で発売された時点で、既にパチンコは一つの産業として確立されていたことがこの写真からもわかります。「パチンコ=コリントゲーム起源説」は、釘が打たれた盤面に玉を投入するという共通点のみで結びつけられた、単なる「風説」であるようです。

 

(つづく)

たいていのピンボール機のプレイフィールドには「ロールオーバーRollover)」があります。省略せずに言えば「ロールオーバー・スイッチ」であり、その名の通りボールがその上を転がっていったことを検知するスイッチです。

 

その形状は大きく分けて針金ボタン型の二通りがあります。近年はプレイフィールド下に埋め込まれている非接触型のロールオーバー・スイッチも見られますが、多用はされていません。

 

今回はこの二つのロールオーバー・スイッチのうち、ボタン型のスイッチについて語りたいのですが、その前にまず、針金のロールオーバー・スイッチについてちゃちゃっと片付けておこうと思います。

 

◆針金のロールオーバー・スイッチ

 

針金のスイッチは、「ロールオーバー・レーン(または単にレーン)」と呼ばれるボールの通り道に取り付けられます。スイッチとなる針金は勾配をもってプレイフィールド上に突き出ており、この上を通過するボールによって押し下げられた針金は、プレイフィールド下にあるリーフスイッチ、もしくはマイクロスイッチに作用します。

 

突き出る針金は、ボールがレーンの双方向から来る可能性があるところでは山型もしくは円弧型を呈し、一方向からしか来る可能性がないレーンでは一直線に突き出すのみであることが多いですが、全部が山型であるケースもあります。

 

針金のスイッチは、変形、もしくは取り付けの不具合などで針金が十分に押し下がらず、ボールをせき止めてしまうトラブルがたまにありました。多くは台を揺すって衝撃を与えることで解決しましたが、なかなか解決しないため揺すりすぎてTILTペナルティを食らった経験も何度かあります。

 

少数ですが、ロールオーバー・レーンに、今回の本題で後述するロールオーバー・ボタンが採用されている例もあります。

 

▲ロールオーバー・レーンと針金のロールオーバー・スイッチの例。真ん中のレーンは下からボールが上ってくる可能性があるのでスイッチは山型だが、その左右のレーンはボールが上からしか来ないので、針金は山の頂点で切れる直線型になっている。

 

***************

◆ボタン型のロールオーバー・スイッチ

 

さて、いよいよ今回の本題であるボタン型ロールオーバー・スイッチです。このフィーチャー自体はピンボールにフリッパーが発明された直後の1940年代末頃の機械から見られますが、「ランプ・レーン」が幅を利かせるようになる1990年前後あたりから見かける機会が少なくなり、今では殆ど絶滅が危惧されるフィーチャーとなってしまっているように思います。

 

ボタンの形状や特徴には区別が可能な違いが何種類かあるのですが、それぞれに特定の名称があるわけではないようで、IPDBでも単に「ロールオーバー・ボタン」にまとめています(IPDBのピンボール用語集より「Rollover button」の項)。

 

・初期型ロールオーバー・ボタン

初期のロールオーバー・ボタンは、プレイフィールド上にあまり突き出ていないものだったようです。オランダのピンボール関連webサイト「Pinside」で、「Jerry Kelley

が発明したと述べられている『スムーズ・ナイロンボタン』とはこれのことかと思っているのですが(関連記事:ピンボールのアートワークの話(4):ジェリーとクリスのその他の仕事&資料・その2)、確証は得られていません。ボタンの周囲が照光タイプのインサート(プレイフィールドに埋め込まれる、透光性のあるプラスチック部品)で囲われているものも多いです。

 

このタイプは60年代までの特にWilliamsとGottliebの機械に多いように思います(Ballyは40年代末から55年まで、ビンゴ・ピンボール、もしくは類似のペイアウトのあるピンゲームばかり製造していた)。

 

▲「初期型」のロールオーバー・ボタン(矢印)。1950年代から使われ、70年代の早い時期の機械まで使用されていた。ワタシは上記関連記事で、「ボールがこの付近を通過するとボタン部分がプルプルと震えるが、スイッチが反応しているのかどうかがよくわからず、ワタシ個人としては歯がゆい印象を持った」と述べている。

 

・球冠型ロールオーバー・ボタン

「球冠」とは、平面で切り取った球の一部の形状のことで、ドーム型と言ってもよいと思います。このロールオーバー・ボタンは1950年代からのBallyの機械に多く見られます。ボタンの縁が低いので、ボールがボタン上に乗り上げることを妨げないようになっていますが、実際にはボールが完全に乗り上げずとも、ある程度押下されれば反応はしました。

 

▲球冠状のロールオーバー・ボタン。Ballyのマジック・スクリーン付きのビンゴ・ピンボール機でもお馴染みだった関連記事:「スキル・ボール」と「アポロ・ボール」の謎(2))。

 

・円柱型ロールオーバー・ボタン

初期型及び球冠状のロールオーバー・ボタンは次第にあまり見なくなり、代わりに、と言えるのかどうかわかりませんが、次に出てきたのは円柱型の、見るからにボタンらしいボタンでした。

この円柱型ボタン自体もいくつかに細分化できそうです。まず一つ目は単純な円柱形で、白色、もしくは黄色であることが多いです。

 

▲単純な円柱型のロールオーバー・ボタン。ここでは白色1個、黄色2個のロールオーバー・ボタンが見える。

 

次に、透明な円柱型のロールオーバー・ボタンです。このタイプは、たいてい(おそらく全て?)ボタン自体が照光し、ボールが踏むことで点灯、もしくは消灯して、フィーチャーの進行具合を表示する機能に使うことができました。

 

▲透明の円柱型のロールオーバー・ボタン。ボタン自体が照光する。

 

三つめは、ネット上のピンボール用パーツショップが「5/16インチ」と呼んでいるボタンです。径が小さく、ボールがちゃんと踏んでくれるのかと不安になりますが、結構踏むものです。あまり多用はされていなかったように思います。

 

▲横に円弧状に10個並ぶ、5/16インチの円柱型のロールオーバー・ボタン。この画像の上中央と右下に通常の円柱型のオールオーバー・ボタンが見えて、サイズの違いが比較できる。

 

・星型ロールオーバー・ボタン(スター・ロールオーバー)

最後は「スター・ロールオーバー(Star Rollover)」と呼ばれるボタンです。なぜかこればかりはIPDBも他のロールオーバー・ボタンとは区別して、固有の名称で呼んでいます。

 

スター・ロールオーバーのボタン本体(動作する部分)の形状は放射状で、インサートを兼ねる基部からプレイフィールド上に、周縁から中央に向かって高くなるように露出していて、「球冠型」の改良版とも言えそうです。1970年に登場し、当初はGottliebが多用していたように思います。

 

また、ATARIの初期のピンボール機は、このスター・ロールオーバーを針金のロールオーバー・スイッチの代わりにロールオーバー・レーンに採用しており、目新しいワイドボディに電子音と相まって、たいへん未来的に見えたものでした。

 

スター・ロールオーバーは基部が照光し、形も華やかなこともあるせいか、ロールオーバー・ボタンが珍しくなった昨今の機種でもたまに見かけることができます。

 

▲三連のスター・ロールオーバー。この機種の場合、踏むと通常は10点を獲得するだけだが、条件を満たし点灯させると100点獲得+ボーナス加算(1000点 or 2000点)になる。他のタイプのロールオーバー・ボタンではこのような使い方は少し苦しい。

 

並んで配置されているロールオーバー・ボタンをワンアクションで全部踏み潰した時はかなり気持ちの良いものだったのですが、今の機械ではその快感が得られる機種が見られなくなってしまって、マニアとしては寂しいことです。

 

▲この画像のように並んでいるロールオーバー・ボタンを、ワンアクションで全部踏ませるのは大変に気持ちの良いものだったのに・・・

 

(おわり)

 

スペインのゲーム機メーカー、SEGASA(Sonic)の歴史を綴った記事「La historia de Segasa Sonic」の抜粋と要約は前回で終了です。本連載の第1回目でも申し上げましたが、拙ブログではかなりの部分を割愛しておりますので、お時間がありましたら是非オリジナル記事もご参照いただければと思います(オリジナルはスペイン語で記述されていますので機械翻訳の環境をお勧めします)。

 

今回は本連載の締めくくりとして、長年の謎が判明した感動を忘れないように所感を記録しておこうと思います。

 

**********************

本連載の予告「【予告編】スペインのゲーム機メーカー「SEGASA」の話」で述べたことの繰り返しになりますが、ワタシがSEGASAを知ったのはおそらく1990年前後に入手していたフライヤーからでした。その時点では、日本のSEGAと似た名称であること、カンパニーロゴも古いSEGAのロゴと字体がそっくりな理由については全くの謎でした。

 

以来、ワタシのSEGASAの正体を探求する旅が始まるのですが、長い年月をかけてかろうじてわかったことと言えば、SEGASAは日本のSEGAの黒幕、マーティン(マーティ)・ブロムリーが立ち上げたことや、ATARIやWilliamsとも何らかの関係を持っていたなどくらいの僅かなものでした。それらの備忘録として、2020年8月に「【小ネタ】SEGASA (AKA Sonic)とSEGAの関係メモ」を残しましたが、以降それ以上の進展を見ることはありませんでした。

 

 

そこに先日、コインマシン業界の歴史を知る貴重な資料をかねてよりご提供くださっていたフレディ(関連記事:【続報】セガのMills機は海賊版などではなかった?)から、今回の連載の元ネタとなるweb記事をお知らせいただき、SEGASAの詳細が飛躍的に明らかになりました。そして、この情報を日本で紹介しても良いかと尋ねると、快く承諾してくださいました。本当にありがたいことです。

 

なお、本連載の本文はGoogle翻訳で出てきた日本文をベースにしているため、段落の切り取り方によって翻訳内容が変わったり、時々意味が分からなかったりすることがありました。

 

また、ワタシの従来からの理解とは異なる部分もありましたが、本連載ではプロダクトの製造年などを除き、情報の追加や改変は避け、必要と考えた場合は注釈で述べることにしています。

 

**********************

1970年代半ば以降からしばらくの間、スペインやイタリアなど欧州製のピンボール機の結構な数のタイトルが日本にも入ってきていることなどから、欧州にもアーケードゲームがあるらしいことは察せられました。しかし、日本では欧州のAM産業の情報はほとんど見聞する機会がなく、欧州での業態や社会での位置づけなどは全く不明で、同時にSEGASAの事業規模や地域的、世界的な業界への影響力についてもまるで想像が付きませんでした。

 

従って今回フレディから教えていただいた記事に書かれている内容は驚きの連続でした。SEGASAができる以前のスペインの様子まではわからないのは残念ですが、SEGASAがスペインのAM市場をリードする大手企業であったことがわかったのは大きな収穫でした。

 

収穫と言えば、ピンボール機でのWilliamsとの繋がりがSeeburg社を通じてのものだったこと(同時に、WilliamsがSeeburgの子会社であったことが確認できたこと)もそうでした。これによりSEGASAがWilliamsのピンボールをコピー/改変していた経緯が明らかになり、長年抱えていた心中の引っ掛かりが無くなりました。

 

**********************

SEGASAのピンボールでは、一つ強く印象に残っている機種があります。それは1978年にリリースされた「ハイ-アライ...(Jai-Alai...)」と言う機種です。ワタシはこの機種をリアルタイムで、おそらく新宿で見ています。女房に言わせればスポーツ観戦オタクのワタシは、その時点で「ハイ・アライ」というスポーツの存在自体は知っていました。手に付ける、「セスタ」と呼ばれる湾曲した珍妙な形のグラブを使って投げるボールの速度は、あらゆるスポーツの中で最も高速と言われています。当時のワタシは、この異国の珍しいスポーツに強い興味を持ったものでした。

 

▲SEGASAの「Jai-Alai...(1978)」のバックグラス。画像はIPDBより拝借

 

▲ハイ・アライで使用するセスタ。画像のオリジナルであるウィキペディアでは「システラ」としているが、これはバスク語、もしくはフランス語で、「セスタ」はスペイン語。

 

しかし、インターネットが発達した時代になってから、世界のピンボール機の詳細情報を網羅するウェブサイト「Internet Pinball DataBase (IPDB)」を知り、記憶に残る「ハイ・アライ」を調べてみたところ、実はWilliams1977年に「ハイ・アライ(Jai Alai)」というピンボール機を開発しようとしていたことを知りました。それによれば、Williamsのハイ・アライは、セスタをモチーフとする湾曲した新型フリッパーを備えるはずだったところ、ハイ・アライは知名度が低いとの理由でテーマの変更を迫られ、既に大量に発注していた新型フリッパーは「ディスコ・フィーバー(Disco Fever, 1978)」に流用せざるを得なかったとのことです。この特殊な新型フリッパーは「バナナ・フリッパー」と呼ばれ、翌1979年にリリースされた「タイム・ワープ(Time Warp)」にも再び採用されましたが、それを最後に以降採用されることはありませんでした。

 

▲「ディスコ・フィーバー(Williams, 1978)」で採用されたバナナ・フリッパー。この画像もIPDBより拝借。この形状が実はハイ・アライの「セスタ」に由来すると言われてみれば、おおいに納得できる。

 

 

ほぼ同時期に同じテーマ、同じタイトルのピンボール機がSEGASAとWilliamsの両社で作られていたのは果たして偶然でしょうか。1977年から1978年と言うと、SEGASAはSeeburgを通じて得ていたWilliamsのピンボール機のデザインの使用ライセンスを失っていたはずです(関連記事:スペインのゲーム機メーカー「SEGASA」の歴史(3):ピンボールメーカー(前編))。ひょっとして、Williamsの開発状況がSEGASAに流れていたという可能性はないでしょうか。そう思ってSEGASAの「ハイ-アライ...」と「ディスコ・フィーバー」を見比べると、そのプレイフィールドの構成が僅かながら似ているように見えないこともありません。しかし、だとしても、SEGASAの「ハイ-アライ...」で採用されたフリッパーが通常の3インチであったことは、SEGASAとSeeburgの断絶を想像させるものです。

 

**********************

セガの黒幕(マーティン・ブロムリー)やWilliamsの親玉(Seeburg=ルイス・ニカストロ)の支配下にあって、早い段階ではエレメカ機とピンボールで、ビデオゲームの時代にはATARIの盟友となって、更には汎用筐体を開発して欧州のAM業界を牽引し、やがて独立はするものの結局は欧州の大手スロットマシンメーカーNovomaticに身売りしたSEGASA。それは、ワタシが想像していたよりもはるかに大規模で世界的にも大きな影響力を持っていた一大企業でした。

 

実は今回の連載中、ワタシなりに裏を取ろうといろいろ調べているうちに、SEGASAの初期からのメンバーで、晩期のCEOであるエドゥアルド・モラレス・エルモ(関連記事:スペインのゲーム機メーカー「SEGASA」の歴史(4):ピンボールメーカー 後編)のインタビュー記事を発見しました。それは2022年10月に公開されたもので、今回の連載の確認だけでなく、当事者ならではの情報もあり、理解を深める資料として大変貴重なものと思われます。こちらもいずれ機会を改めてご紹介したいと思いましたが、どうしてもすぐに知りたいという方は、「Interview: Eduardo Morales Hermo (CEO Sega S.A.)」を参照してください。記述は英語で少々長いですが、きっと満足できることと思います。

 

**********************

長々と続いた本連載も今回で終了です。今後も異なる立場の方からの異なる見解が出てくる可能性もありますが、それはそれとして、長年の謎が多少なりとも解明したことは全く嬉しいことです。この感動のために、今後も(ほとんどの人にはどうでもいい些末な)謎に関する情報を集めて行こうと思います。

 

(このシリーズ・終わり)