ビデオゲーム機のパイオニアでありトップメーカーだった米国ATARI社は、1976年11月にピンボール機「The Atarians」を発売しました。多くのメカを伴うピンボール機の開発に要する技術はビデオゲーム機とはずいぶん異なるはずですが、IPDBで調べると、The AtariansのメカニックにはかつてBallyでゲームデザインをした「Bob Jonesi」が起用されているとあります。

 

ATARIのピンボール機の最大の特徴は、その筐体にありました。以前のピンボール機では、プレイフィールドの幅は20.5インチ(約52センチ)が一般的だったのですが、ATARIは何を考えたのかそれを従来比約1.3倍の27インチ(約68.6センチ)に拡張してしまいました。それは一般に「ワイドボディ」と称され(ATARI自身はフライヤーの中で「ワイダー・プレイフィード」と言っている)ました。

 

▲The Atarians (ATARI, 1976)の、二つ折り4ページのフライヤーのうち表紙部分。

 

この新しい波に最初に追随したのはWilliamsで、1978年5月に発売した「Contact」が同社初のワイドボディ機になります(IPDB調べ)。ATARIの「The Atarians」発売の1年半後ですが、御三家の他二社、BallyGottliebが初めてワイドボディ機を発売するのはさらにその翌年の1979年になってからのことですから、かなり早い反応だったと言えるでしょう。

 

ところで、当時のセガも独自にピンボール機(SS機)を開発していました。そしてWilliamsに遅れることわずか4か月の1978年9月には初のワイドボディ機「Cha-Cha-Cha」を発売しています。もともと機を見るに敏なるところがあるセガですが、こちらもかなり素早い対応です。

 

 

▲「Cha-Cha-Cha」のフライヤーの表(上)と裏(下)。

 

筐体が大きくなればより多くの仕掛けを仕込むことができますが、それは製造コストを上げるだけでなく、より広い設置面積を要することでもあり、経済効率という点では悪くなるはずです。しかしプレイヤーはこの変化を拒否せずあっさりと受容し、他社も続々と追随することで、「ワイドボディ」は「ピンボールの新たなもう一つのスタンダード」として定着しました。

 

セガは翌1979年に、2機種目のワイドボディ機「Adventure」を発売しました。

 

 

▲「Adventure」のフライヤーの表(上)と裏(下)。

 

ただ、日本のピンボール市場においてセガのシェアは低く、ワタシはこのセガの二つのワイドボディ機を、遊ぶどころか見たことすらありません。セガ自身が運営するか、またはセガの息がかかったロケにでも行けば見られたのかもしれませんが、不運なことにこの時期のワタシの通常の活動域にはそのようなロケはあまりありませんでした。


そしてセガは、この「Adventure」を最後にピンボールの開発から手を引いてしまいました。セガがピンボール市場に戻るのは、1994年に「データイースト・ピンボール(Data East Pinball)」社を買収して「セガ・ピンボール(Sega Pinball)」社としてからですが、以前のようにセガの叩き上げが開発販売したわけではありませんでした。そして「セガ・ピンボール」も、1999年にはゲイリー・スターンに売却し、セガは再びピンボールメーカーではなくなりました。売却された会社は、「スターン・ピンボール(Stern Pinball)」社として、2026年現在もピンボールの灯を絶やすことなく活躍しています。

▲米国の業界誌「Cash Box」1961年4月15日号に掲載された、当時の日本のゲームセンター事情の記事。詳細は過去記事「日本のゲーセンはいつから始まったのか?」を参照されたし。画像提供は拙ブログではお馴染みのCaitlyn。

 

【歴史】AM業界

本記事では、拙ブログの過去記事のうち、AM業界の歴史に関する記事を、以下の5つの小分類に分けてまとめています。

 

(1)業界団体と業界紙誌の変遷

(2)日本のゲームセンターの歴史

(3)関連法令に関する記事

(4)一般マスコミから見たAM業界

(5)業界のコンベンション

 

本記事は、今後更新されることがあります。最終更新日:2026年3月15日

 

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(1)業界団体と業界紙誌の変遷

 AM産業と業界誌の謎(1) 2022.05.01

業界誌「アミューズメント産業(アミューズメント)」、「アミューズメント」、「全日本遊園」など、AM業界団体と業界紙誌の変遷の謎についての序章。

 

 AM産業と業界誌の謎(2) 2022.05.08

日本のAM産業界の成り立ちを戦前にさかのぼって記録。

 

 AM産業と業界誌の謎(3) 2022.05.15

1941年に初めて結成された日本のAM業界団体から、2018年結成のJAIAまでの業界団体の推移と、発行されていた業界紙誌のまとめ。。

 

【追加・訂正】AM産業と業界誌の謎(延長戦):ゲームマシン紙誕生の秘密判明 2022.05.22

2022年までweb版として継続していた業界紙「ゲームマシン」ができた経緯。

 

2日本のゲーセンの歴史

 日本のゲーセンはいつから始まったのか? 2024.09.01

米国の業界誌「Cash Box1961年4月15日号に掲載された、当時の日本のゲーセンに関する記事と、日本初のゲーセン「日比谷ガンコーナー」について。

 

 デイビッド・ローゼン伝:前編 2025.07.06

後に「セガ・エンタープライゼス」の母体の一つとなった企業「ローゼン・エンタープライゼス」を興した米国人「デイビッド・ローゼン」の物語前半。スピード写真で成功するが模倣者が現れ、次の一手を考えなければならなくなった。

 

 デイビッド・ローゼン伝:後編 2025.07.13

デイビッド・ローゼンの物語後編。日本初の「ゲームアーケード」を興した後、セガと合併して社長となり、更には日本初のAM機メーカーの業界団体「NAMA」の会長まで務めた。

 

(3)関連法令に関する記事

 ゲーセンと法律の話(1):まずは風適法の解説から 2020.01.26

風適法の概要とAM業界が風俗営業となる経緯について。

 

 ゲーセンと法律の話(2):風俗第5号営業(ゲーセン)の要件と制約 2020.02.02

2016年の法改正と風俗5号営業となる遊戯設備の説明と風俗営業であることによる制約。

 

 ゲーセンと法律の話(3):新概念「特定遊興飲食店」をゲーム業界に活かせないものか 2020.02.16

2016年の法改正によって新設された新概念「特定遊興飲食店」と、衰退の一途を辿るゲーセン産業復興のために現行の風営5号の枠から外せないのかという提案。

 

 プライズの上限価格、21年ぶりに改訂 2022.3.05

プライズ機で扱う景品の上限価格の歴史的推移と、「おおむね800円」とされていた当時時点の上限が「おおむね1000円」に改訂された件。

 

(4)一般マスコミから見たAM業界

 TV報道番組に見る1978年のAM業界(1)メダルゲーム 2019.02.23

1978年10月に放映されたTV報道番組「ビジネスナウ!」で組まれた特集「大流行・ゲームマシン」より、1978年のAMショウのレポート前半と、業界誌アミューズメント産業の編集長も務めていた故中藤保則氏による当時のAM業界の解説。

 

 TV報道番組に見る1978年のAM業界(2)アーケードゲーム 2019.03.01

1978年に開催されたAMショウのレポートの後半、アーケードゲームについての様子と、ショウ実行委員長で中村製作所(後のナムコ)の社長、中村雅也氏へのインタビュー。

 

 TV報道番組に見る1978年のAM業界(3) 当時の参加者意識とAMの歴史 2019.03.08

当時の一般人の娯楽に対する意識調査とAM業界がこれまでに至る経緯の解説。

 

 TV報道番組に見る1978年のAM業界(4) 1978年のゲーセンルポと(なぜか)メダルゲームの 2019.03.15

当時のゲーセン市場の広がりとゲームファンタジア・リトルサーカス店長へのインタビュー。

 

 TV報道番組に見る1978年のAM業界(5):インベーダーブーム直前とテーブル筐体の台頭 2019.03.19

「インベーダーブーム」の言葉ができる直前の1978年10月時点でのAM市場の様子とテーブルの筐体を導入した飲食店へのインタビュー。

 

 ポパイ@1979年(1):AMゲームは「カッコいい」ものだった(らしい) 2020.11.29

ファッション雑誌「ポパイ1979年4月25日号の特集記事「ゲームのことしか頭にないのだ! POPEYE GAME BOOK」より、アーケードゲームに関する部分の概要。

 

 ポパイ@1979年(2):その1・ビデオゲーム 2020.12.06

当時のビデオゲーム機の紹介。

 

 ポパイ@1979年(3):その2・フリッパー・ピンボール 2020.12.13

当時のピンボール機の紹介。

 

 ポパイ@1979年(4):その3・ビンゴ・ピンボール 2020.12.20

「ピンボール・ビンゴ」機の紹介。

 

 ポパイ@1979年(5・最終回):その4・スロットマシン 2020.12.27

sigmaのフリーペーパーからのパクリが多いと疑われる、「ポパイ」が見るところのスロットマシンの認識。アンティークマシンにも言及。

 

(5)AM業界のコンベンション

 1970年の第九回アミューズメントマシンショウ(1) 2022.06.19

業界誌「全日本遊園70年11月号より、1970年に開催された「第9回アミューズメントマシンショウ」の出展社と出展機種のリスト。

 

 1970年の第九回アミューズメントマシンショウ(2) 出展機種画像1 2022.06.26

同じくオリエンタル興業、関西精機、コパルマシン、サニックコーポレーション、三共遊園設備(後の三共)、三精輸送機、児童遊園設備各社の出展機種画像。

 

 1970年の第九回アミューズメントマシンショウ(3) 出展機種画像2 2022.07.03

同じくセガ、タイトー、東光遊園設備、中村製作所(後のナムコ)各社の出展機種画像。中村製作所は「こまや」の代理出展も行なっている。

 

 1970年の第九回アミューズメントマシンショウ(4) 出展機種画像3 2022.07.10

同じく日本自動販売機、日本展望娯楽、ホープ、さとみ(後のサミー)他各社の出展機種画像。

 

 JAEPOショウ2018で気になったこと3つ 2018.02.11

2018年に開催されたJAEPOショウの様子。

 

 (今週も予定変更)JAEPOショウ2019に異変! 2019.01.27

2019年に開催されたJAEPOショウの様子。複数社がピンボール機を出展。

 

 【予定変更】JAEPOショウ2020メモ 2020.02.09

2020年に開催されたJAEPOショウの様子。台湾のメーカーが開発したピンボールのビンゴ機を出展(但し少なくとも日本では普及しなかった)。

本記事では、拙ブログの過去記事のうち、シグマ(sigma)社(及び富士電子工業社)に関連する記事を、以下の5つの小分類に分けてまとめています。

 

(1)sigmaの歴史に関連する記事

(2)sigmaのロケーションに関連する記事

(3)sigma製のゲーム機に関連する記事

(4)富士電子工業に関連する記事

(5)その他

 

本記事は、今後更新されることがあります。最終更新日:2026年3月8日

 

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(1)sigmaの歴史に関連する記事

「メダルゲーム」の曙を見た記憶 2016.03.02

sigmaが1970年頃に渋谷のボウリング場で展開していた実験店舗を見た記憶。

 

「メダル」と「メダルゲーム」という呼称についての備忘録(1) 2017.01.14

初のメダルゲーム場「ゲームファンタジア・ミラノ」開業時の業界事情に言及。

 

「メダル」と「メダルゲーム」という呼称についての備忘録(3)メダルの種類 2017.01.15

sigmaのロケで使用されていたメダルと、他のメダルとの比較。

 

ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(1) 2017.02.19

sigmaが1978年に発売した日本初のビデオポーカー機「TV POKER」とその続編で1979年に発売したカラーの「TV-POKER」に言及。

 

ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(2)それ以前のビデオポーカー 2017.02.19

sigmaが発売したビデオポーカー機と、過去に米国で発売されていたリアプロジェクターによるビデオポーカー機の比較。

 

ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(3)米国内の動き 2017.02.25

ビデオポーカー機を積極的に推進した米国SIRCOMA社(後のIGT社)とsigmaとの繋がりに言及。

 

ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(5) sigma、ネバダのゲーミング市場に参入 2017.03.12

sigmaがスロットマシン類の製造に取り掛かり、さらには米国ネバダ州でのメーカーライセンス取得に言及。

 

ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(6) 90年代のビデオポーカーとsigmaの終焉 2017.03.20

ビデオゲーム機の発達に伴うsigma社のビデオポーカーの発展と、アルゼによる吸収に言及。

 

【備忘録】sigmaとIGTの間に何かがあった 2024.05.12

「ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(3)米国内の動き」で言及した「sigma」と「SIRCOMA」の両方のロゴが入った筐体について、米国「Loose Change Magazine」がSIRCOMAの社長サイ・レッドに話を聞いた記事の紹介。

 

(2)sigmaのロケーションに関連する記事

新宿・ゲームファンタジア・リトルサーカス&ビンゴイン・サブナードの記憶 2017.09.09

新宿地下街「サブナード」にあったロケーション「ゲームファンタジア・リトルサーカス」と「ビンゴイン・サブナード」を報じる業界紙の記事。

 

ゲームファンタジア・ミラノ:メダルゲーム発祥の地 2017.09.26

日本初のメダルゲーム専門店「ゲームファンタジア・ミラノ」とその開店時初期の店内の様子。

 

ゲーム場チェーン「マジックランド」の記憶 2020.11.15

ワタシの自宅にほど近い東横線都立大学駅前に、1979年にオープンしたロケ「マジックランド」の記憶。

 

ロンゴロンゴ(sigma, 1993):最もバブリーなロケーション 2021.09.19

1993年、渋谷道玄坂にオープンしたロケ「ロンゴロンゴ」の記憶。

 

新年お年玉企画 2021.01.09

1975~8年頃に頒布されたsigmaのフリーペーパー「How to Play Bingo」の紹介(記事中で募集しているプレゼント企画は終了しています)。

 

【続報】「HOW TO PLAY BINGO」頒布時期探求メモ 2022.01.16

1977年秋に頒布されたsigmaのフリーペーパー「GF」に見る、当時のsigmaのロケの数々。

 

sigmaのフリーペーパー「ビンゴゲーム入門」(1985) 2021.07.18

1985年に頒布したフリーペーパー「ビンゴゲーム入門」の紹介(記事中で募集しているプレゼント企画は終了しています)。

 

(3)sigma製のゲーム機に関連する記事

NASAが発明したゲーム機「ウィナーズ・サークル」 2017.04.23

米国Bally社が開発したメカ式の競馬ゲーム「ウィナーズ・サークル」と、sigma初の自社製メダル機「The Derby Mark φ」について。

 

sigma「THE DERBY」シリーズの系譜メモ (と、GWに伴う更新スケジュール変更のお知ら 2019.04.28

sigmaの看板タイトルとなった「The Derby」シリーズの発売年等の情報を年代順にまとめた。

 

「マジックトッパ―ズ (Magic Toppers)」の謎 2022.03.20

sigmaが1981年に製造した「マジック・トパ―ズ」と、それ以前のルーツとなった機械について。

 

(4)富士電子工業に関連する記事

富士電子工業(FDEK)のダイスゲームとその後 2021.10.17

長くsigmaの下請けとしてメダル機を製造してきた富士電子工業が、(おそらく)初めて自社ブランドとして発売したメダル機

 

富士電子工業製品の製造年に関する自分用メモ 2021.10.24

sigmaから離れ、独自に商品展開していった富士電子工業の数々の製品のフライヤー。

 

(5)その他

1981年の新日本企画 2022.06.12 

sigmaのビデオゲーム「レッドタンク」の記述あり。

拙ブログはこの2月に10周年を迎えることができました。これも皆さまのご支援、ご声援あってのことです。どうもありがとうございます。今後もできる限り継続していく所存ですので、変わらずのご指導、ご鞭撻をいただけますようお願い申し上げる次第です。

 

ただ、困ったことに、10年に渡り総計500を超える記事を掲載していると、以前に何を述べたか、あるいはあの話はどの記事で述べたかなどの記憶がずいぶんと薄れてきており、その確認に手間取るケースが増えてまいりました。

 

Amebaブログにも記事をテーマ別に分類する機能はありますが、複数のテーマを含む記事でもどれか一つのテーマに押し込まなければならず、分類としては不完全でした。そこでブログ設立10年を機に、過去記事を独自の基準で分類した「過去記事検索リンク集」を作成して、今後発生する確認作業を容易にしようと考えました。

 

本来ならば、分類のストラクチャーは現時点ですでに確定されているべきですが、ワタシの能力では追い付かず、未完成です。とりあえず、記事のタイトル冒頭の【】で囲んだ部分でその記事の大分類を示し、続く部分で中分類を示します。小分類が必要な場合は、各記事の中で適宜行うことにいたします。大分類は、現時点で以下の8 個を考えておりますが、今後追加または変更する可能性があります。

 

過去記事検索リンク集の分類構造 (暫定・最終更新日202639日)

凡例

【XXXXX】 ←大分類(記事タイトルの冒頭)

   ◎◎◎◎◎ ←中分類(記事タイトルの大分類に続く部分)

(小分類は記事ごとに適宜定め、記事内で見出しとして使用する)

 

1:【歴史】

   AM業界

   メダルゲーム

   ビデオゲーム

   ピンボール/メカ

   スロットマシン

   風営7号(4号)

2:【ゲーム】

   メダルゲーム

   ビデオゲーム

   ピンボール/メカ

   スロットマシン

   ギャンブルゲーム

3:【AM関連企業】

   シグマ&富士電子

   セガ

   タイトー

   ユニバーサル

   Bally

   SEGASA

   その他

4:【ロケーション】

   東京・関東

   大阪・関西

5:【海外カジノ】

   ラスベガス

   リノ/カーソンシティ

   その他

6:【博物館関連】

   海外

   国内

7:【コンベンション】

   海外

   国内

8:【Caitlyn関連記事】

 

今回はその第一弾として、「【AM関連企業】シグマ(sigma)&富士電子」をアップしました。これにより、拙ブログが過去に述べたシグマ(sigma)社の歴史、製品、ロケーション、そしてシグマと密接な関係にあった富士電子工業に関する過去記事を検索することができるはずです。

 

「過去記事検索リンク集」は、今後も様々な基準で分類したリンク集を折々に追加していく予定です。

拙ブログをご高覧下さる皆様にも、「この件についてもっと突っ込んだ情報はないか」などと思われたときにご活用いただければ幸いです。

拙ブログもおかげさまで開設から10年が経ちました。かつてのプラットフォームでサービスを終了したgooブログからの引っ越しの際に、原因不明の理由で何本かの記事が失われてしまいましたが、それ以外の約500本の記事が今も閲覧が可能です。

 

さて、拙ブログでは、毎回の記事のテーマはその都度思いつくままテキトーに決めています。しかしそれが10年も続いてきた結果、関連する情報が不規則に散らばり、ワタシ自身、いつ、何を述べたかの記憶が怪しくなってまいりました。

 

Amebaブログでは、記事を任意のテーマ別に分けることができるようになっていますが、複数のテーマを含む記事であっても一つのテーマに押し込まなければならず、分類として十分とは言えませんでした。そこでブログ開設10年を機会に、過去500本の記事をテーマごとにまとめたリンク集を作成することを考えています

 

作成したリンク集は、新設するテーマ「過去記事リンク集」に分類し、今後特定のテーマについて過去にどんな記事があったかを知りたい場合に、当該のリンク集を見れば参照できるようにしておくことを目的とします。

 

現在、過去記事の分類を鋭意進めているところですが、10年分の記事ともなるとなかなか作業が終わりません。そこで今週は予告に留め、来週以降、通常の記事更新と前後しながら随時更新していきたいと思います。ご高覧くださる皆さまの中に、もし「こんなテーマでまとめたリンク集が欲しい」とのご要望がございましたら、コメント欄にてぜひお知らせください。よろしくお願いいたします。

 

▲拙ブログを開設した10年前、ワタシはラスベガスのダウンタウンにある「メインストリート・ステーション」で、出現確率1/649,740のパットロイヤルを出していたのだった。撮影は2016年10月。

2016年2月28日に開始した拙ブログは、今週末、遂に開設10周年を迎えます

 

▲調子に乗って10周年記念エンブレムを作成してみた。

 

昨年には拙ブログのプラットフォームだったGooブログサービスを停止するという想定外のトラブルもありましたが、ご高覧くださる皆さまのご声援のおかげで何とか灯を絶やすことなく続けることができました。本当にありがとうございます。

 

つきましては、感謝の気持ちを込めて、ワタシが所有するアーケードゲームフライヤーのうち、セガ1966年に頒布した「値段表」をスキャンしPDFにまとめたファイルを、ご応募いただいた方全員にお頒けしたいと思います。この「値段表」は、セガ・エンタープライゼスが頒布したフライヤーのうち、ワタシが持つものの中で最も古いものです。

 

▲セガ・エンタープライゼスが昭和41年(1966年)4月1日に発行した値段表の表紙。

 

表紙冒頭には、「お待たせいたしました セガの新しい値段表です!」と謳われています。また、ドキュメントの題名の部分には「P.L.#2-41」と書かれていて、これはおそらく「Price List No.2昭和41年」の意味と思われます。セガ・エンタープライゼスが設立されたのは1965年7月の事(関連記事:デイビッド・ローゼン伝 後編)ですので、おそらくその時点で「プライスリストNo.1」が作成されたものと思われますが、残念ながらその存在は確認できていません。

 

▲値段表の表紙の一部分。「昭和41年4月1日発行」とあり、おそらくこのカタログの型番と思われる「P.L.#2-41」との記載がある。

 

今回お分けする値段表は、過去記事「セガ・エンタープライゼス@1966」に掲載したものと同じものです。ブログ掲載の際はプラットフォームが推奨する画像サイズに従って縮小したため、解像度が十分ではありませんでした。そこで今回は、2526*3243ピクセルでスキャンしたオリジナルのファイルをPDFにまとめたものをご提供いたします。ご希望の方は、以下の「お申し込み方法」に従ってご応募ください。

 

【お申し込み方法】

お申し込みはeメールでのみ受け付けます(そのメールに、プレゼントのPDFファイルを添付して返信します)。

 

①  ・宛先: nazox2016@yahoo.co.jp (@は半角に書き換えてください)

  ・タイトルに「セガ1966値段表希望」と記入してください。

  ・本文に、拙ブログへのご意見、ご要望、ご感想など(必須ではありません)。

②  お申し込みはお一人さま1通でお願いいたします。複数必要な場合は複製してください。

③  受付期間は、2026年3月24日(土)必着といたします。

④  返信は順次行いますが、場合によっては最大で2週間ほどお待ちいただく可能性があります。

⑤  ルールに従っていただけない場合はお分けできないことがあります。ご了承ください。

 

たくさんのご応募をお待ちしています。

1月下旬より約2週間、入院のためブログの更新を休ませていただいておりました。退院後もまだしばらくは手術創の養生が続きますが、日々の活動には支障はないため、本日よりブログの更新を再開いたします。

 

*SAPPORO

ただいまミラノ・コルチナで冬季五輪が絶賛開催中です。スポーツ観戦オタク(関連記事:RIO五輪に因んだ(こじつけた)スロットマシンの話)であるワタシも、入院中から熱心に観戦しています。

 

・ウィンタースポーツに因んだ国産のアーケードゲームとして最初に思い出されるのは、セガが1971年に発売したピンボール機「サッポロ(SAPPORO)」です。1972年に開催される札幌冬季五輪にぶつけたタイトルで、アルペンスキーの回転(スラローム)や、スキージャンプがフィーチャーに採り入れられました(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール機:サッポロ(セガ、1971))。

 

*ALPINE SKI

80年代前半のタイトー製ビデオゲームのグラフィックは、他社との比較の上ではかなりお粗末だったように思います(個人の感想です)。1982年にタイトーが発売した「アルペンスキー(ALPINE SKI)」もそんなゲームの一つでした。

 

 

▲アルペンスキー(タイトー、1982)のフライヤーの表裏。

 

「アルペンスキー」は、第一ステージはアルペン競技の滑降(風)、第二ステージに同じくアルペン競技の回転(風)、第三ステージは何故かノルディック競技のスキージャンプと、3つのステージをループする構成となっていました。

 

二つのアルペン種目は、持ち時間が0になるまでにコースをフィニッシュすることが目的ですが、コース途中に設置されている旗門を通過すればさらに高得点が得られ、一定得点ごとに持ち時間が延長されるというゲームシステムでした(ジャンプはボーナスステージ扱い)。

 

アルペンスキー」は、グラフィックはお粗末だしゲーム性には何のひねりもありませんでしたが、それでもワタシはなぜか熱心に遊んでいて、今でも時々滑降(風)ステージで流れるBGM(白銀は招くよ)がBGM・オブ・ザ・モーメントとして脳内に浮かびます。そして「ALPINE SKI」が提示したゲーム性は、翌1983年IREMが発売した「ジッピーレース(ZIPPY RACE)」でより面白く洗練、発達したように思います。

 

*Winter Heat

・ウィンタースポーツを扱ったゲームは他にもいくつか思いつきますが、殆ど遊んでいないので言及できるだけのネタになりません。ひとつ例外的に、セガが長野冬季五輪にぶつけて1997年に発売した「ウィンターヒート(Winter Heat)」は強く記憶に残っています。

 

ウィンターヒートは、セガが前年の1996年に発売した陸上10種競技をゲーム化した「デカスリート(DecAthlete)」の冬季競技版との位置づけのタイトルで、クレイジーなキャラクターや演出を継承しており、良くも悪くもセガらしいゲームだったと思います。

 

▲ウィンターヒート(セガ、1997)のフライヤー。片面のみ。

 

ウィンターヒートで採用された種目は、アルペン競技2種目、ノルディック競技2種目、スケート競技2種目、そり競技(ボブスレー)1種目、それに1992年のアルベールビル五輪で公開競技として実施されたスピードスキーの全8種目でしたが、コンシューマへの移植版ではこれにスノーボード、エアリアル、スケルトン(そり競技)の3種目が追加されました。

 

冬季競技には陸上競技の競争要素「走、投、跳」とは異なる要素があるので、ウィンターヒートには従来の同種のスポーツゲームとはちょっと違った楽しみ方があったと思います。そのせいか、大ヒットとまでは言えませんでしたが、特に米国では好意的な評価を得たと聞いています。

 

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【次回予告】

2016年の2月28日に始まった拙ブログは次回の更新で(概ね)満10周年を迎えます。これもひとえに応援してくださる皆さんのおかげと心より感謝しております。つきましては、次回の更新では久しぶりに昔のフライヤーのファイルプレゼント企画を考えております。もし、ご高覧くださっている皆様の中で、拙ブログでこれまで掲載してきたフライヤー類の中でこのフライヤーのファイルが欲しいというものがございましたら、本記事のコメント欄、もしくはX(Twitter)でのDMなどでお知らせください。

 

・今回の巡礼最後の日は、現地時間10月11日(土)となる。これまでの例では、最後の日は未明に空港に向かい早朝に出発し、日本時間で翌日(今回の例では12日(日))の夕方頃に日本に到着するので、最終日は飛行機に乗るだけの日になるのが通例だった。

 

ところが、今回は出発が未明ではなく夜の7時だ。空港への到着が夕方5時として、多少余裕を見て4時にレンタカーを返却するにしても、日中はほぼまるまる活動可能となる。さあどうしようかと悩みながら午前10時、ホテルをチェックアウトする。

 

・最後のひとときをまずカジノで過ごすのは当然であるが、ラスベガス到着の翌日に多少の大当たりが出てはいるがその後の展開が思わしくないため、収支はマイナス傾向にある。これからの調子がよほど良くない限りカジノで過ごす時間は抑え目にしておきたい。

 

・とりあえず荷物を車に積んでカジノに戻り、VPのBPトリプルプレイを遊ぶが、今回も冴えない。思えば、今回の巡礼では4ロイヤルは1度しか配られていないので、最後の勝負で1回くらいは出てくれるのではないかと根拠のない期待もしたが、やはり最後までツイていなかった。2時間ほど遊んで出たクワッズは僅かに5回。うち2回がボーナスの付くローカードであった点はせめてもの慰めになる。

 

・最後に一発逆転を期待してクラップスに手を出してみたが、$200が10ゲームほどで無くなり、ついに心が折れた。今回はもうゲームはやめて、残る時間はPHoF(Pinball Hall of Fame)で過ごすことに決めて駐車場に向かった。

 

・今日が土曜日だからか、PhoFの駐車場は9割ほども埋まっている。ラスベガスにもアーケードゲームが遊べる場所はたくさんあるが、殆どピンボール一本でこれだけ集客できていることに、ピンボールの未来に希望が持てる気がするのは楽観的過ぎるだろうか。

 

▲10月11日(土)午後1時半頃のPHoFの駐車場。かなり埋まっている。

 

・しかし、ウカツにもこの時のワタシの財布の中には小額紙幣は僅かしかなく、あとは全部$100札だった。しまった、気づいていればカジノを出る前に両替機で崩しておいたのにと後悔したが遅い。仕方なく物販を兼ねるカウンターに行き、「$100札の両替はしてくれるか」と尋ねたところ、「$10分は小銭に、残り$90分は全部$5札でならできる」と言われたのでその条件で崩してもらう。18枚の$5札は空港のスロットマシンで両替すればよい。

 

・両替してもらった$10分の25¢貨は、それから約2時間、70~80年代の、ランプレーンが発達していなかった頃の機械ばかり遊んで使い果たした。時計を見ればそろそろレンタカーの返却に向かっても良い頃合いになっている。もっと遊んでいたいのはやまやまだが、後ろ髪を引かれる思いでPHoFを出る。

 

・夕方4時、レンタカーセンターはガラガラに空いていた。愛想の良い太った黒人女性の係員に車をチェックしてもらって返却したのだが、空港行きのシャトルバスに向かう途中でスマホを車内に置き忘れていたことに気づいた。スマホが無ければ事前チェックインのQRコードも提示できない。慌ててガレージに取って返し、さっきの係員に「あの、さっき返した車の中にスマホ置き忘れちまっただが、どうすりゃええだか」と尋ねると、「ああ、さっきの白いKIAね。そこでちょっと待ってて」と言ってどこかに連絡をしてくれた。ほどなくして車庫からワタシが借りていた車が出て来て、中から出てきた中年の、これまた愛想の良い男性係員が、スマホと充電ケーブルを手渡してくれた。うむ、Dollarレンタカー、良き。

 

・冷や汗をかきながらシャトルバスに乗り込み、空港に到着。さっさと荷物を預けてセキュリティを通り、エアサイドに入る。搭乗まではまだ小一時間あるが、この間にPHoFで両替した18枚の$5札をビデオポーカーの機械に全部突っ込み、ゲームをせずにバウチャーに替えた。

 

▲$90分の$5札を替えたバウチャー。

 

・バウチャーをスロットアテンダントに渡して換金したら、$20札4枚と$5札2枚になった。そうか、ビデオポーカーに入れる札は$80分だけで良かったのかと、自分の頭の悪さに小さな後悔をした。

 

・ところで、両替に使用したビデオポーカー機は、JoB10/7だった。さらにストレートは5倍(通常は4倍)になっている。普通、JoBのフルペイは9/6、ストレートは4倍とされているのに、そしてここはP/Oが悪いと言われる空港の機械なのにこれはどういうことか、設定間違いか、やらなきゃソンなのかと思いかけたが、よくよく見るとそこには2ペアが1倍という罠が仕掛けられていた。ビデオポーカーの情報サイト「vp FREE2」を調べてもこの配当は出ておらず正確なP/Oはわからないが、おそらく91%前後くらいかと思われる。これではVPを知っているプレイヤーは手を出すまい。(2026年1月27日追記:ご高覧くださった方より、SNSを通じてこのP/Oは90.09514%であることをご教示いただきました。どうもありがとうございます!)

 

▲ラスベガスのハリー・リード空港に設置されていたJoB10/7のビデオポーカー機。しかし2ペアの配当が1倍という罠が潜んでいる。

 

・ロサンゼルスでの乗り継ぎは4時間弱あるので、ラウンジで夕ごはんをいただく。ここでも普段は飲まないビールを1本いただいた。

 

 

▲ラウンジでいただいた夕ごはん。フォー、鶏肉とほうれんそうのシチュー、ハムサンドイッチ、それに何かよくわからないもの(上)と、おデザ(下)。他にコーヒーをいただいている。

 

・国際便ではあまり良く眠れず、飛行中に提供される2回の機内食は全部いただいた。

 

 

▲提供された機内食。離陸直後のスナック(上)と、その8時間後に提供された天丼+そうめん(下)。さすがに日本の航空会社らしい。

 

・羽田空港に到着したのは早朝5時。いつも利用する蒲田駅行きバスの始発が出るまで1時間以上ある。ひょっとしてとモノレールを見ると、こちらは15分ほども待てば行けそうだ。という事で、モノレールで浜松町を経由して帰ることにする。モノレールには他に乗客がいなかった。

 

▲他に乗客のいないモノレールの車内。

 

今回の巡礼ではお金は減った。しかしその額をラスベガス仲間に言うと、「そんなの負けのうちに入らぬ」と怒られた。

 

(このシリーズおわり)

 

★重要なお知らせ

加療のため、明後日1月27日より約2週間、病院に入院します。入院中も可能であれば拙ブログの更新を続けていきたいとは思いますが、最悪の場合、2週間のお休みとなる可能性もありますので、その際はなにとぞご了承ください。

 

来月末は拙ブログ10周年記念として、久しぶりに日本初(おそらく)のメダルゲーム機総合フライヤーのPDFファイルプレゼント企画でもやろうかと考えております。この件について、もし何かご意見がありましたらコメント欄にてお知らせください。では、病院に行ってきます。

 

しまった。今回のラスベガス巡礼は通例と違って、ラスベガスを発つのが明日の夜7時(いつもは未明)なので、明日の日中も行動できることを忘れていた。というわけでこの記録は今回の他にあと1回続く予定。

 

************************************これより本題

・初日以降何度か行動を共にした元同僚一行も、今日の午後にはラスベガスを発つので、今日と明日は全くのフリーになる。そうとなれば、今回はまだ訪れていない「PLAYER 1」(関連記事:新ラスベガス半生中継2024年(3) DAY 3:例によって(主に)ゲーセン巡り+Sphere)を覗かねばなるまい。

 

「PLAYER 1」は、店内に入るとまず受付カウンターがあり、入場料を払ってから通路を進みフロアに出るつくりになっている。受付カウンター及びその左右はショウウィンドウになっており、古い家庭用ゲーム機や電子おもちゃなどが展示されていているのだが、これまでは主目的のレトロゲームに気がはやってこの部分のチェックが疎かになっていた。今回初めてまじまじと見てみたが、値札が付いているものもあり、これらが売り物だったことを知った。値段は数十ドルから数百ドルと幅広いが、総じて結構お高いと思わせられるものだった。

 

▲ショウウィンドウの一部。昔を懐かしみたいマニアが見ればそれなりにうれしいものが並んでいるものと思われる。

 

▲ショウウィンドウに展示されていた、アップルコンピューターのフロッピーディスクユニット。$700は高いのか安いのか。筐体に書かれている文字をワタシは「clisk 2」と読んだが、「disk II」と読むのが正しいらしい。調べると、ワタシと同じように誤読する人はほかにもいることがうかがわれた。これはアップルのレタリングが悪いと思う。「インド人を右へ」みたいな。

 

・「PLAYER 1」に設置されているビデオゲームのラインナップは前回と変わっていないようだが、前回は問題なく動いたものでも、操作系に難が出てきた機械が増えているように思う。これだけ機械があればいちいちチェックなどしていられないとは思うが、ショットボタンが利かないシューティングジョイスティックが利かないビデオゲームは、いかにプレイ料金がタダであっても悲しい。

 

・「PLAYER 1」を出ると大雨が降っていた。このところラスベガスは時々こんなことがあり、水害被害のニュースを見かけることがある。今回も一部の路面がプチ冠水状態になった。

 

▲プチ冠水している路面。ラスベガスは砂漠地帯とは言え「ラスベガス・バレー」と言われる谷になるので、大雨が降ると水害に襲われるところもあるそうだ。

 

・本日の夕ごはん

 オーリーンズのフードコートにあるハンバーガーショップ「Fuddruckers」で1/2ポンドハンバーガーをいただく。以前はトッピングの野菜類はセルフサービスでいくらでも盛ることができたが、今は店員に欲しいものを注文して乗せてもらうようになっていた。「レタスとトマトとハラペーニョ載せて頂戴」とお願いしたら、何かと過剰に盛ってくれようとする。気持ちは嬉しいが、いかにワタシでも適量と言うものがある。でもハラペーニョは少し過剰気味になった。

 

▲Fuddruckersでの1/2ポンドバーガー。$13くらいだったか。最後の夜だと思って少し気が大きくなっていた。

 

・食後、オーリーンズ併設のボウリング場を覗く。かつてワタシがラスベガスで結婚式を挙げた時にここで参列者の皆さんとささやかなボウリング大会を行った想い出のセンターでもある。今回はリーグだか大会だかが行われていて盛況なのは、さすがテンピンボウリング発祥の地、米国である。

 

▲盛況のオーリーンズのボウリング場(上)と、フロントに掲げられている料金表(下)。ボウリングもずいぶん高くなった。

 

【本日のゲーム】

トリプルプレイのビデオポーカーで、トリップスから2つの手がクワッズに発展するという今までに経験したことが無いナイスな手が2回も出た。トリプルプレイでトリップスがディールされ、複数の手がクワッズになる確率は概算で1/580くらい(たぶん)。しょっちゅう出るとまでは言わないが、今まで一度も出たことが無かったことが不思議なくらいの確率ではある。

 

▲トリプルプレイで、トリップスから複数の手がクワッズに発展した二つの手。

 

だがしかし、お金は増えず、むしろ少し減り気味であった。

 

(次回、最終回につづく)

★本題に入る前にお知らせ

 

本年初の更新ということで、当初は新年のご挨拶をと思っていたのですが、7日、X(Twitter)のセガ公式アカウントより、「セガ」創始者のひとりであるデイビッド・ローゼン氏が亡くなったことが発表されました。95歳。

 

つきましては新年のご挨拶は省略いたします。このために作っていた画像は12年後に再利用しようと思います(それまで拙ブログが継続していれば)。

 

なお、拙ブログでは、過去に氏に関する以下の記事を掲載していますので、よろしければこの機会にご参照いただき、氏が為した偉業について思いを及ばせていただければと思います。

 

 

・ローゼン・エンタープライゼス1961(1)~(5)

  (1)アーケードゲーム(掲載日:2024年5月26日)

 

  (2)ガンゲーム(掲載日:2024年6月2日)

 

  (3)ピンボール(掲載日:2024年6月9日)

 

  (4)ベンディングマシン(掲載日:2024年6月16日)

 

  (5)ジュークボックスとキディライド(掲載日:2024年6月23日)

 

日本のゲーセンはいつから始まったのか?(掲載日:2024年9月1日)

 

デイビッド・ローゼン伝:前編(掲載日:2025年7月6日)

 

デイビッド・ローゼン伝:後編(掲載日:2025年7月13日)

 

 

************************************ これより本題

 

・今日はホテルをストリップの西にある「Orleans」に移すので、荷物のパッキングは昨夜のうちにあらかた済ませてある。例によってスーパーで買ってきた食材で簡単な朝食を済ませる。

 

・朝10時前、ホテルをチェックアウト。G2E初日に「最終日はクローズド展示だったメーカーもオープン展示になる(かも)」との情報を得ていたので会場に向かう。確かに一昨年はAristocratが最終日のみオープン展示をしていたのでありうることだと期待してのだが、入場してみればオープン展示をしていたところは一つもなかった

 

・せっかく来たのに全くの無駄足となるのも癪なので、初日にはあまり注意を払っていなかった小規模な展示ブースを回ってみる。すると、日本のゲーセンでも見たことがあるスロットマシンを展示する小さなブースを発見した。よくよく見ると、そこは初日にロボットディーラーを展示していることを発見していた「LT Game」のブースで、スロットマシンは日本の人気ビデオゲーム「鉄拳」をテーマとしたビデオスロットだった。

 

スロットマシン「鉄拳」は、筐体内にギミックを仕込み、メカによる予兆演出を行う。これは昨今のパチンコ、パチスロで見られる演出で、日本では既に陳腐化している手法ではあるが、海外ではまだ馴染みがないのでそれなりに効くのかもしれない。しかし、4K、8Kの大画面で、更にホールド・アンド・スピンフィーチャーとミステリー・ボーナス・フィーチャーが主流である現在のビデオスロットの潮流に乗るものではないせいか、格別注目を集めているというわけでもない。やはり流行のゲームスタイルでないと難しいのだろうか。

 

▲LT Gameが出店していたスロットマシン「鉄拳」。同じギミックを備えた筐体を使用したシリーズのタイトルもあった。

 

・ところで、過去記事「新ラスベガス半生中継2025年10月(2):Day 2/5」で「10年位前にIGTに出展されていた」と述べているロボットディーラーについて帰国後に確認してみたところ、IGTで出展されたのは2016年の事だった。しかし、それから9年の間にロボットの技術はとんでもなく進んでおり、もはやこのレベルでは客寄せにはならないのではないかと心配になった。

 

 

▲2016年にIGTのブースで出展されていたロボットディーラー。続報はついぞ聞かなかったが、アジア圏を根城とする企業なので、ひょっとしてマカオやマレーシアなどアジアのカジノでは稼働しているのだろうか。

 

・初日に合流した元同僚からLINEで連絡があり、「現同僚がタコスを食べたいと言っているので連れて行ってくれ」と言ってきたので迎えに行き、Gold Coastの向かいにある「Del Taco」に行く。タコスを食べたいと言った本人はなぜかこの店のオンラインクーポンを持っていたので、それを使ってコンボメニューを注文する。内容は豆のブリトーダブルチーズバーガー、それにフレンチフライドリンクが付いて約$10。物価高の昨今においては大変お買い得に思える。パッケージを持つとずっしりと重く、かなりの満腹感を得た。もともとメキシカンは好物と言うわけでもなかったのでタコス屋に入ったことはなかったのだが、今後は一考に値すると思った。

 

 

▲Del Tacoで注文したコンボの箱を開ける我々(上)と、ダブルチーズバーガー(下)。大きく重く、TEX-MEXらしい味がした豆のブリトーは不覚にも写真を撮り忘れてしまった。

 

・この日、元同僚たちはオフだったようで、食後に「クラーク・カウンティ・ミュージアムに連れて行ってくれ」と言うので行くことにする。ここは過去に3回か4回行っているが、博物館は好きなので何度行っても良い。現地に着くと、以前は$3ドルほどだった入場料が全て無料になっていた。素晴らしい。

 

 

 

▲クラーク・カウンティ・ミュージアムの、ゲーミング関連の展示の一部。下の写真上部に見えるファロテーブル(関連記事:「FARO」に関する備忘録は、以前来た時とは展示場所が変わっていた。

 

・クラーク・カウンティ・ミュージアムを出てから、ヘンダーソンのカジノをいくつか覗いた後、夕ごはんとしてDecatur通り沿いにある和食バフェイレストラン「MAKINO」に向かう。ここは2000年代に何度か来たことがあるきりで、大変久しぶりだ。

 

メニューは寿司、天ぷら、シーフードがメインだが、焼き肉、ステーキなど肉系もそこそこ充実していて、料金は1人約$45(税・チップ別)。昔に比べると倍くらいになってしまったが、今のご時勢では格別高くもない。

 

店の奥の方ではG2Eに出展していた会社と思しき団体が貸し切りパーティーをしており、沖縄サウンドに乗ったエイサーも聞こえてきた。

 

▲今回MAKINOで食べたもの。せっかく海外に来たのに日本食が食べたいなどと言い出す唐変木にもお勧めできる。最後の写真はG2E出展社が開いていたパーティーの一部。エイサーの装束を着たアトラクションの演者が見える。

 

・MAKINOを出て元同僚たちをフラミンゴまで送る。フラミンゴへの車での入り方もすっかり覚えたので、次回、何かの用でストリップから拾うことになったらフラミンゴで拾うことにしよう。

 

・今夜の宿となるThe Orleansに向かい、チェックイン。部屋は低層階を選んだところ、プール際の部屋だった。

 

▲部屋の窓から見えるプール。カジノの天井や遠くの岩山しか見えないような風景よりはマシかもしれない。

 

◆本日のゲーム

・これまではゲームに費やす費用を抑えるためにシングルプレイを主に遊んでいたが、旅も終盤に入ったのでゲーム単価が高いトリプルプレイに移す。ただし、分散の大きいDDBではなく、ツーペアで2倍となるBPをする。

 

・この日のクワッズ以上の手は9回、うちボーナスに関わる手が4回であったことは喜ばしいことではある。

 

▲A、及びボーナスに関わる2~4のクワッズ。

 

▲喜ぶべきなのだが素直に喜べないストレートフラッシュも出た。

 

(つづく)