夏休みが始まったばかりの週末、多摩センターの駅前は、いつも以上の熱気に包まれていました。
この年の日本の子どもたちを熱狂させていたのは、間違いなく「ポケモン」です。前年のアニメ休止騒動を乗り越え、満を持して公開された初の劇場版『ミュウツーの逆襲』。小学2年生になったあかりにせがまれ、私(美咲)は映画館へと向かっていました。
多摩センターの映画館のロビーは、人、人、人で溢れかえっていました。
あかりは、大事そうに抱えたゲームボーイポケット(もちろんピカチュウイエロー)の画面をチラチラと見ながら、私の服の裾を引っぱります。
あかり:「ママ、早く並ぼう! 先着でもらえる『ミュウ』のカード、まだ残ってるかなあ……」
私(美咲):「大丈夫よ、あかり。ちゃんと前売り券を買って、公開第1週の土曜日の朝イチを選んだんだから。ほら、あかりの筆箱のミュウと同じカード、ちゃんともらえるわよ」
あかりのランドセルの中身は、1学期の間にすっかりポケモン一色になっていました。
三越で買ったあの赤いランドセルを開けると、飛び出してくるのはピカチュウの筆箱に、裏面にタイプ相性表が書かれた下敷き。ゲームも、赤・緑だけでなく、青バージョンまでお小遣いと進級祝いをはたいてコンプリートし、レベル100の「リザードン」を自慢げに見せてくれるほどのめり込んでいます。
あかり:「あかりのミュウツーはね、レベル70でハナダの洞窟で捕まえたんだよ。でも、映画のミュウツーはすっごく強いんだよね? 悪者なのかな……」
私(美咲):「悪者、か……。映画を見たら、あかりはどう思うかな。ただ戦うだけのゲームとは、少し違うかもしれないわよ」
ミュウツーの悲痛な叫び――「私はなぜ生まれたのか」という問いを反芻していました。バブルが崩壊し、クローン技術などの科学が急速に進歩する1998年。この映画は、まさにその時代の空気を映し出しているのです。
シアター内が暗転し、いよいよ上映が始まりました。
大画面に映し出される、人間に作られた最強のポケモン・ミュウツーの苦悩。そして、本物とコピー(レプリカ)が、命をかけて激突するシーン。 あかりは、いつもゲームで見ているお馴染みのポケモンたちが、傷つき、涙を流しながら殴り合う姿を、言葉を失って見つめていました。
あかり:「……みんな、泣いてる。なんで戦わなきゃいけないの?」
隣の席のあかりが、小さな声で呟きました。普段、ゲームの通信対戦で「いけ!10万ボルト!」と無邪気に叫んでいる小学生のあかりにとって、画面の向こうの「命の尊厳」をかけた戦いは、小さな胸を強く締め付けたようでした。
サトシが石化し、ピカチュウが涙を流すクライマックス。 あかりの目からも、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていました。私はそっとあかりの手を握り、自分のハンカチでその頬を拭ってあげました。
13:00 PM | パルテノン多摩の階段で
映画が終わり、興奮と切なさが入り混じった表情のあかりを連れて、私たちはパルテノン多摩の大きな階段に座って、買ってきたサンドイッチを食べました。
あかりは、もらったばかりの「古代ミュウのカード」をじっと見つめながら、ぽつりと言いました。
あかり:「ママ、あかり、ゲームのポケモンも、もっと大事にする。コピーも本物も、みんな生きてるんだもんね」
私(美咲):「そうね。あかりがそう感じられたなら、この映画を観に来て本当によかった。世界には、目に見える強さだけじゃなくて、目に見えない大切な命や心がたくさんあるのよ」
あかり:「うん……。あかり、なんだかちょっと胸がギューってなった。でも、すごく面白かった!」
そう言って、あかりは再びゲームボーイの電源を入れました。画面の中のドット絵のポケモンたちを見る彼女の目は、映画を観る前よりも、どこか優しく、慈愛に満ちているように見えました。
あかりは映画を通して「命の深さ」に触れたのです。
やがて、ポケモンは海を越え、世界の主要コンテンツとなっていきます。このときの日本人にはまさかポケモンがトヨタと並ぶような日本の代名詞になるとは思いもしないのでした。