MITの留学中である あかりは、秋休み(サンクスギビング前後の休暇)を利用して一時帰国していました。東日本大震災から半年以上経ち、街はやっと落ち着きを取り戻しつつありました。ボストンの厳しい冬に備えるあかりのために、私たちは買物に出かけます。銀座・有楽町エリアへ。
14:00 文房具の聖地で「円」の強さを知る
まずは有楽町の大型ロフトへ。あかりの目が、ペン売り場で鋭く光ります。
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高性能ボールペン(ジェットストリーム等): 1本 105円
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消せるボールペン(フリクション): 1本 189円
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高品質なノート: 1冊 200円〜
あかり:「お母さん、これ見て。MITの生協で買うペンより、書き味が10倍良くて、価格は3分の1以下だよ。アメリカの友達に『最高!』って言われてるフリクション、この値段なら100本買っても1万8千円ちょっとでしょ? 信じられない!ノートの質も最高。やっぱりコクヨが一番!」
私(美咲):「どんどんカゴに入れなさい。今のうちに『日本の技術力』を買い占めておきましょう」
あかりは、まるでお菓子を選ぶ子供のように、色とりどりの文房具を次々とカゴに放り込んでいきました。
15:30 ドラッグストアは「1,000円以下」の宝庫
続いて、銀座の路地裏にあるドラッグストアへ。ここはまさにデフレの最前線でした。
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高級なシートマスク(7枚入り): 398円
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日焼け止め(SPF50+ PA+++): 798円
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蒸気のアイマスク: 880円
あかり:「ボストンでこれと同じクオリティのスキンケアを買おうとしたら、セフォラで30ドルは取られるよ。今の日本は、女の子にとって天国すぎる。……お母さん、これ、本当に利益出てるのかな?」
私(美咲):「それがこの時代の不思議なところね。企業は必死にコストを削って、私たちはその恩恵を享受している。でも、この『安さ』に慣れすぎると、外の世界に出た時に驚くことになるわよ」
あかりは「ボストンの冬は乾燥がひどいから」と言い訳しながら、棚にある在庫をすべて買い取る勢いでカゴを埋めていきました。
17:00 ユニクロ銀座店
最後は、当時はまだ珍しかった「世界最大級」のユニクロへ。
あかり:「お母さん、ヒートテックが期間限定で 790円 になってる! 1,000円切るなんて……。これ、MITの友達全員分買っていっても、私の1ヶ月の食費より安いよ。うわあ。ジーンズも1000円台だ!!もう留学中の分の服、全部買ってく!!」
私(美咲):「ボストンのチャールズ川から吹く風は冷たいものね。今のうちに、一番温かくて、一番安い『日本』を詰め込んでおきなさい」
世界で最も物価の安い先進国となった日本で、娘が「安さ」に驚きながら買い物をしている姿をみて、あらためてデフレのすさまじさを実感しました。
私(美咲):「さてと。じゃあ、夕飯はどこで食べようか。イタリアンレストランにでも行く?」
あかり:「お母さん、最後はね、あそこに行きたい。……ううん、テイクアウトして、この景色を見ながら家で食べたいな」
あかりが行きたがったのは、豊洲駅のすぐそばにある、オレンジ色の看板の牛丼チェーン店でした。
あかり:「ボストンで日本食レストランに行くと、薄いお肉が乗っただけの牛丼が、チップと税金込みで2,000円以上するの。でも、ここは250円でしょ? 最後にこの『日本の奇跡』を胃袋に刻んでおきたいんだ」
私たちは、2003年には影も形もなかった(あの頃はサンクスくらいしかなかった!)便利な駅前を歩き、牛丼を二つ買ってマンションに戻りました。
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牛丼(並): 250円
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コンビニのサラダ: 150円
一人前、わずか400円。
20:00 PM 42階で味わう、牛丼。
窓の外には、冬の気配を帯びた東京湾が広がっています。 2006年にあかりと映画を見たららぽーとの屋根、その向こうには、建設中の東京スカイツリーがかすかに見えます。
あかり:「(一口食べて)……はぁ、美味しい。お母さん、これだよ、これ。このクオリティでこの値段って、やっぱりこの国はすごすぎる!!」
私(美咲):「そうね。この『250円』には、企業の血の滲むような合理化と、デフレという時代の空気が詰まってる。アメリカから見れば、これはもうほとんどボランティアみたいなものね」
あかり:「ボストンに戻ったら、図書館のカフェテリアでカピカピのベーグルを800円で買う生活が待ってる。……そう思うと、この牛丼が高級フレンチより輝いて見えるよ」
あかりは、250円の牛丼を、まるで一生忘れない宝物のように大切に食べていました。
デザートは「150円の革命」
食後、あかりが冷蔵庫から出してきたのは、2009年頃から日本中で大ブームになっていた「ローソンのプレミアムロールケーキ」でした。
あかり:「これも、150円。アメリカの甘すぎるケーキに疲れたら、いつもこれを思い出してた。日本って、100円玉数枚で世界一の幸せが買える、不思議な場所だね」
私(美咲):「コンビニスイーツの進化はすごいわよね。でも、この『安すぎる日本』を、いつか胸を張って『価値のある日本』に変えられるようにしないとね~。」
移ろいゆく物価の波を乗り越え、逞しく成長したあかりの横顔を見つめながら、私はかつてのどんな「安さ」よりも甘く、そして重みの増したこの愛おしい時間を、最後の一口まで丁寧に噛みしめました。