海を渡ればー悲願のオセアニア 第12話ー | ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

海外生活26年、現地でのオモロ苦労話や、時々する旅話をつぶやいています。

1月下旬、夏のニュージーランドは素晴らしすぎる!!

 

祝 海外生活25周年

 

を記念しまして、移住までの道のりをお送りしております(^O^)/

 

弱くて海外生活は無理だと言われていた私の、

語学力もスキルもない私の

海外移住物語です。

 

初回からはこちら↓をご覧ください。

 

 

2004年、ニュージーランドガイド生活2年目。

(当時ニュージーランドのワークビザは日本人のみ2年間有効でした。)

 

充実したガイド生活が1年を過ぎる頃、私は永住権取得に向かって動き出しました。

 

2004,2005年の2年間ニュージーランドでは‘移民キャンペーン‘のようなものを実施していました。

永住権取得には条件があり(随時変わるのでご確認下さい)簡単に言うと自分の人生を点数にして提出しニュージーランド政府に合格させてもらう、というようなイメージです。

 

このキャンペーンにより合格点はかなり低くなっていました。

また‘特殊技能移民‘という特別なカテゴリーを作り、すでに何かの技術を持っている人を優先して受け入れ始めていたのです。

 

その情報を聞き、ニュージーランドガイド生活のチャンスをくれたマネージャーに教えてもらった弁護士事務所に行きました。

 

一刻も早く申請したほうがいい。

 

観光専門学校から観光業と私の経歴は一貫しており、職種のポイントは満点でこれ以上何年努めても点数は上がりません。

しかーし、悲しいかな年齢のポイントが下がってしまう(どこも若い子がいいわな(笑)

 

そこで

 

社長に直談判。

 

永住権を取得するには会社からの推薦状はかなり高いポイントになるのでどうしても出してもらいたい。

 

 

ワークビザが貰えたからと言ってすぐに永住権申請をさせてくれるわけではなく、当時はまず2年間ワークビザを全うし勤めあげてから会社に改めて話をして、推薦状を頂く。

 

ワークビザでしばらく働いてもらうつもりで育てたのに、さっさと永住権を取って出ていく、という恩も礼儀もない非常識なやつもいますのでこういった決まりがありました。

 

 

私は「現地ガイド」をずっとやっていきたいから永住権が必要なのです。

2年を待たずしての図々しいお願いなのはわかっていますが、私には時間がない。

ぐずぐずしていたらキャンペーンは終わり、私は年を取り点数が下がり、どんどん永住権が遠ざかるっ。

 

決死のお願いでした。

 

のちに社長から私のこの直談判は迫力がありすぎて「泣きそうなくらい怖かった」と聞きました(笑

 

 

ガイド会社からの推薦状が出ました!

 

ここから私の海外移住への道はジェットコースターのように始まります。

 

2005年2月、弁護士を通して申請すると2週間でいくつかの工程(通常1次2次みたいに通過ステップがあります)をすっ飛ばしてニュージーランド政府から「移民してください」という招待状が来ました。

 

カナダで一度申請した時の資料を残していたので、あとはこれを提出して結果を待つだけです。

 

当時必要だった英語能力やインタビューは「英語圏で2年以上就労した人は免除」で特に語学力は問われず、カナダでのガイド生活が見事に役にたちました。

 

また2005年にはニュージーランド観光局が日本に熱烈「NZへおいでませ」キャンペーンを行っていたので「日本語で日本の方にNZを案内出来る」というのはスキルとなりました。(めっさポイント低いけど)

 

語学力もスキルもない私に巡ってきた、最高のチャンス。

 

今までの人生で無駄な時間は1秒もなかったと、この時に実感しました。

 

ワークビザの期限が切れる前に永住権を取っておかねばっ。

(申請時とビザの種類が変わると点数が下がるのです)

 

 

がっ!

 

お願いしていた弁護士事務所内で紛争があり、私の資料が担当ではない弁護士にとられたまま戻ってこない。

資料を取り戻す裁判をします。

無事戻ってきた所で、今度は資料に落ち度が発覚。

1年以上住んでいた国での「無犯罪証明書」が必要だったのです。

 

7月、慌ててニュージーランド警察署からカナダに要請。

 

そして、、、、、。

 

カナダからの無犯罪証明書が届かないまま

 

ワークビザ、期限切れ。

 

仕事中に写真を撮る事はないので、お客様が撮って送ってくださる写真は貴重。

 

 

つづく。