海を渡ればー悲願のオセアニア 第11話ー | ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

海外生活28年、現地でのオモロ苦労話や、時々する旅話をつぶやいています。

1月下旬、夏だよ!ニュージーランドっ!!

 

 

祝 海外生活25周年

 

を勝手に記念し、移住までの道のりをお送りしております(^O^)/

 

弱くて海外生活は無理だと言われていた私の、

語学力もスキルもない私の、

海外移住物語です。

 

初回からはこちら↓をご覧ください。

 

2003年7月10日、とにかくお金を貯めようと昼夜アルバイトし続けた約2か月の日本滞在を終え、シンガポール航空に乗ってオークランドに向かいました。

 

前回も泊まったACBバックパッカーズを拠点に会社で研修を受ながら家を探し、最初に住んだフラット(シェアハウス)は、

 

過去記事↓ にあるように

 

 

ミャンマー出身のナチュマさんが住む家。

 

 

過去記事↓の

 

 

ミャンマー旅にも登場する彼女は10年ほど故郷に帰っていない(帰れなかった)海外放浪生活の大先輩で、よき理解者でした。

3か月しか暮らせませんでしたが、彼女のお陰で研修は受けているもののSARSで大打撃を受け全く仕事のない時間を楽しく過ごせ、また学ぶ事も多かった最高のフラットメイトです。

 

 

8月、お盆になり少しづつ客足が戻り始めいよいよ私がガイドとしてデビューする時がやってきました。

 

初めてカナダでガイドデビューした日が蘇ります。

言葉は震え、目は泳ぎ、勉強不足だとマイクを取り上げられた事もありました。

 

もう大丈夫。

 

面接をしてくれたマネージャーが大切にちょっぴり厳しくガイドとして育ててくれます。

人情派の社長がやさしく見守ってくれます。

会社の先輩たちも、年上の経験者なのに新人という扱いずらいであろう私をしっかり指導してくれます。

 

3か国目、現地ガイド生活6年目の幕開け。

 

ガイドになれば、なってしまえば送れると思っていた生活がココにありました。

 

カナダでは1年の半分しか働けなかったけれど、ニュージーランドは多少のシーズンオフ、オンはありますが、留学生や修学旅行も沢山あり1年中仕事があります。

 

面接のとき「日本に対して有名な国ではない」と言われていましたが、お休みのない月もあるほど忙しかったです。

お客様は世界の有名所はすでに行ってしまい「そういえばNZってあったな」で訪れる方も多く、私自身がナイアガラと比べてしまい満足されているのか気にはなっていたのに「こんな素敵な国だって思わなかった」と喜んでくださいました。

 

現地ガイド=お金がない

 

これはもう定番なので朝から晩までフル活動しても生活はいつも苦しかったですが、それを超えるやりがい、楽しさがあります。

ニュージーランドは再訪される方も多く、再会したり好物の日本食の差し入れは嬉しかったです。

 

オークランドにはトロントのような空を突き抜けるように聳え立つ威厳のある高層ビル群はなかったけど、空をちょんちょんとつつくようなビルが立ち並び、その間に突然歴史ある建物がひょっこり現れる。

当時は中心部にも空き地が多く、ここ数年で急速に発展してきたので最新と最古が入り乱れる街並みは何年経っても飽きません。

洒落たスーツを着た人が颯爽と歩くというより、よくわからんセンスの服を着た人がのんびり、でも楽しそうに歩いています。(今はお洒落さんも少々いますっ!!)

 

 

カナダ以来久しぶりに味わう朝から晩まで息もつけないような、でも充実した日々。

 

仕事終わり、目を開けていられないほどの眩しい夕日が街をオレンジ色で包み、上っては下り下っては上りの坂道を人込みに紛れながら歩いていると、ふっと地図のない迷路に迷い込んだような気持ちになる時があります。

 

この毎日は夢なのか?現実なのか?

 

沢山の涙を流し、沢山の人に助けてもらいながら、ひたすら彷徨いたどり着いたニュージーランド。

私はもうビザについてウソをつく事も、捕まるかもしれない恐怖におびえる事もなく、堂々と「現地ガイド」として生きていられる。

 

 

それだけで、本当に、本当に、

 

本当に幸せでした。

 

 

ナチュマさん。

 

 

つづく。