海を渡ればー悲願のオセアニア 第10話ー | ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

海外生活28年、現地でのオモロ苦労話や、時々する旅話をつぶやいています。

1月下旬、すんばらしい真夏のニュージーランドぉ~!!

 

祝 海外生活25周年

 

を記念しまして、移住までの道のりをお送りしております(^O^)/

 

弱くて海外生活は無理だと言われていた私の、

語学力もスキルもない私の、

海外移住物語です。

 

初回からはこちら↓をご覧ください。

 

 

ニュージーランドで初めからビザを貰えるという待遇で飛び上がる勢いの私に、日本に帰る前日、予約していたAir NZから1通のメールが届きました。

 

「名古屋便はフライトキャンセルになったので大阪便で帰ってね」

 

なぬっ

(/・ω・)/

 

 

慌ててAir NZのオフィスに駆け込むと、大阪から名古屋に帰る費用は日本で払い戻しを受けて下さいとの事。

 

ココは一秒でも早く帰りたかった。

「ビザが貰える!」

その事を早く両親や友人たちに伝えたかった。

 

金メダルを取り、その喜びを「今まで見守ってくれた人たちに伝えたいです」と泣いてインタビューに答えるオリンピック選手のような気持ちなのです。

 

 

関西空港に着きインフォメーションセンターで「はるかと新幹線」で帰る方法を教えてもらい、まずははるかに乗ります。

が、特急のくせに各駅に停車し続けるのです。

次第に不安が募り目の前のおっさんに聞くと「はるかではない」

 

乗り間違えたぁ(T_T)

 

パニックになり次に止まった駅で降りようとするのですが荷物が重くてなかなか運べません。

日本の電車、ドアの開閉早すぎるっ( ゚Д゚)

 

次の駅でドアが開いた瞬間大声で叫びます。

 

「駅員さーん、助けて~」

 

笑われようと知ったこっちゃない。

というより、周りは関わりたくないから知らん顔( *´艸`)

 

結局予約した新幹線にも乗れず、名古屋駅に着いた時にはへとへとになっていました。

 

だけどこれから始まる新しい人生に心は弾みまくっていたのです。

 

 

翌日払い戻しを受ける為AirNZの事務所に行きました。

あちこちにニュージーランドの美しい風景の写真が飾ってあります。

 

私はここに行くんだ、

この国でガイドをするんだ!

 

 

よく考えたら不思議な縁です。

1996年、初めてワーキングホリデーに行くと決めた時、最初はニュージーランドに行く予定だったのです。

(というより、年齢の関係でNZしか行けなかった)

 

そこをお願いしていたエージェントさんが

「ワーホリはくせになるからカナダのワーホリが終わっても、もう1か国行ける国があった方がいい。」

カナダにも特例申請があり、まだいけるからとおススメしてくれて先にカナダへ行きました。

 

31歳でもワーホリで過ごせる唯一の国ニュージーランドは、ギリホリ(ギリギリの年齢でワーホリする人)最後の砦でもあります。

(今はわかりませんので各自ご確認を)

 

残念ながら私はカナダで全世界のワーホリが取れない年齢まで過ごしてしまいましたが、この道のりをたった1度のワーキングホリデービザを取ったのみで進んできたのは少々自慢です(笑)

 

もしあの時カナダではなくニュージーランドに行っていたら。

もし、2回目に海を渡った先がカナダではなくニュージーランドだったら。(年齢的にまだ間に合ってた!)
 

それでも私はまたカナダから始まる同じ道を歩きたい。

 

 

回り回ってニュージーランドに行くことになった自分になにやら運命のいたずらのようなものを感じながら、東京にある大使館にワークビザ申請をしました。

 

 

埼玉の妹の家で結果を待ち続けていると、ある日妹が「書留来とるよ」と封筒を差し出しました。

カメレオンが虫を捕まえるより素早く、私は封筒を受け取ります。

 

ニュージーランド大使館からでした。

 

ビザについて今まで全くいい思いをした事がありません。

カナダ大使館からはビザではなく「面接要請」の手紙が来たし、韓国のビザ延長でも入国管理局で毎回押し問答がありました。

オーストラリアに至ってはビザすら手にしてないのです。

 

封筒を開けると、パスポートが入っていました。

(NZなぜかビザ申請でパスポートを預ける)

 

恐る恐る開くと、そこにはワークビザが貼られていました。

 

ビザだ〜!

(^o^)/

 

ビザだ!ビザビザ!ビザきたぁ~。

 

と踊り狂う私の隣で甥っ子も踊り出します。

 

カナダを引き上げて来た時に立会い出産し、この世に生まれて来た瞬間から見守り続けている甥っ子。

私の人差し指をキュっと握るだけだった小さな手が今はパスポートをしっかり握り、しっかり踊り、しっかり「ビザ」と話せるまでに大きくなっていました。

 

初めて海を渡ってから8年目、私は再び新たな世界への切符を手に入れました。

 

ぴー子(本名ティア)も元気。

 

つづく。