1月中旬、夏のニュージーランドはステキがすぎるっ。
祝 海外生活25周年
を記念しまして、移住するまでの道のりをお送りしております(^O^)/
弱くて海外生活は無理だと言われていた私の、
語学力もスキルもない私の、
海外移住物語です。
初回からはこちら↓をご覧ください。
ケアンズで、ワークビザをもらうため試験期間として一切の給料をもらわず馬車馬のように働いて3か月が過ぎ、会社からは「もう少し働きぶりを見てから判断したい」と言われ、帰りのチケットを捨て馬車馬ガイド生活を延長中。
仕事は早朝から深夜まで続きます。
希望した観光ガイドになれたものの、爬虫類が苦手な私にとってツアー中にある「へびと記念写真」や「ワニの餌付けショー」には辟易しました。
マイクを持って案内するのは、「カエル」や「カメ」など見ると震えあがるようなもので、それをお客様に見せる為真っ先に見つけなければならないのです。
おえぇぇぇ~(>_<)
玄関先にデッカイカエルが座っていた時はどうしてもそこが通れず、部屋の窓から真っ暗な外に飛び降り泣きながら出勤した事もありました(笑)
ケアンズに雨季が近づいてきて猛烈なスコールが降り川の水は増水し、ワニが道に上がってくる事もあるといいます。
会社のミーティングでは「コアラ抱っこの写真撮影の時コアラのフンの始末の仕方」だとか「ワニが出るから空港まで自転車で行くのは禁止」とかそんなのばかり。
引き続きお給料は出ないので日々減っていく生活費。
これがなくなったら日本に帰らなければいけないので恐ろしいほどの節約生活をしていました。
ケアンズセンターの中にあるスーパーマーケットでは夕方になるとパンが50円ほど安くなるので仕事の合間に慌てて買いにいったり、シャンプーとコンディショナーのどちらを買うのか迷い体も洗えるからとシャンプーにして体中かぶれてしまったり(のちに両方買い水で薄めるという名案発見!)カナダ時代にもお世話になった一袋20セントのインスタントヌードルは相変わらず重宝していて昼は麺を頂き、夜はスープとして50円引きのパンを添えて。
ケアンズはアリが多く、残しておいたスープにアリがたかってしまった時は、
本気で泣きました(T_T)
家も3軒隣にもっと安い部屋を見つけ引っ越しもしました。
誰が名付けたかドラえもん部屋。
この時の暮らしぶりは過去記事↓ でどうぞ( *´艸`)
小さな電気スタンドが一個しかない、クローゼットに作られた部屋に住んでいました(笑)
でもこの時は美味しいゴハンを食べるより、ふかふかのベッドで眠るより、
ガイドでいたかったのです。
途方にくれていた私に虹の橋を架けてくれたオーストラリア。
日本から逃げ、韓国にも行けず、カナダにも戻れない私はこの国にすがるしかない。
行き場を失った私の張り裂けた心の間から流れ落ちる涙を止めたもの、それはガイドという仕事でした。
思ってたのと違う!で始まったケアンズガイド生活ですが、私にとって
ガイドは天職
過去記事↓ にもあるように
日本が生き苦しくて逃げてきたはずなのに、私に生きがいをくれたのは日本のお客様たちでした。
ガイドでいられるのなら、このうっとおしい熱帯性気候も、家の中をはい回るゲコ(やもり)や時々玄関にもやってくるカエルも我慢しよう。
そんな時、ちょっとした事件が起きました。
日本に里帰りしていた先輩がケアンズ空港の入国審査で捕まったというのです。
オフィスは抜き打ち検査があるかもしれないと閉鎖し、別の場所に移っていました。
私は震えが止まらなくなりました。
もし捕まったら、会社にも迷惑をかけるし、私自身永住権申請どころではなくなってしまいます。
4月末でビザが切れます。
生活費も底をつき、もうビザは延ばせません。
ハッキリとさせなければならない時が来たようです。
いつまでこんな生活が続くのか、いつになったら結果が出るのか。
結局、ビザを貰う事はできませんでした。
本当に本当に
何もかも失った。
体感温度が40℃にもなる熱帯性気候、雨季はバケツをひっくり返したようなスコールが降り、キライな爬虫類がそこら中に転がるこの町を汗だくになって駆けずりまわりました。
だけど、虹の橋は消え、叫び続けた言霊はどこにも届きませんでした。
ワラビーはかわいい。
つづく。
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