引き続き、スクールコーディネーター時代の体験を綴りまーす。
硬派でなかなかおしゃべりもしてくれない若松くん。
先生からも「一番の問題児」というインフォメーションはもらっていました。
ラグビー部という事で、現地の学生さんたちとはよく交流はしています。
あまり感情が出ない子のようで、態度はいつもぶっきらぼう。
気にはかけているものの、通常一度に受け持つ生徒さんは20~30人なので、かかりっきりにも出来ません。
生徒さんたちには毎日「ジャーナル」というものを朝提出してもらい、授業の間は先生とそのジャーナルを読み、体調や食べたもの、ホストファミリーの家でどんな生活をしているのかを探ります。
若松くんのジャーナルは、2,3行。
~を食べました。~に行きました。~をしました。
とりつくしまもないっ!!
留学生活も残り1週間を切ったある日、そのぶっきらぼうで仏頂面の若松くんが突然話しかけてきました。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
「どうしよう、俺、もうダメです」
何があった若松!どうした若松!
「あと1週間もないと思うと、なんか悲しいんです」と若松くん。キミ、渋い声してるやないか。
なぜこんな気持ちになるのか、そして、自分はラグビーだけやってきて試合に負けた時にだけ流す悔し涙しか流した事ないのに、涙が出てびっくりしている。
もう、この話の最初の時点で、私は泣きそうです。でも、相談を受けてる時に生徒さんの前で泣く事は、自分で禁止していました。
「泣いていいよ~、そういう涙もあるって~」
いそいで先生にその状況を伝えると、先生は「若松の初涙!スクープや!絶対写真とる~~」
お別れの日、ホストファミリーに囲まれた悔し涙しか流した事のない若松くんからは、初めての涙が流れていました。
「先生っ!写真っ!」と言いながら、私ももう涙が止まりません。
そして、「やった~」と言いながら写真をとってる先生も、もちろん号泣していました。
次の年、私は若松くんの事を日本から来た引率の先生に聞いてみました。
「あいつ、変わったで~」
涙の数だけ大きくなったんやね。