先日の江戸の骨董ハンティングで花園神社に行った時のことです。
花園神社の骨董市は大江戸骨董市へ行く前のウォーミングアップですが、その散策の中、アメリカ人が異様に群がっている露店がありました。そこでは古銭と古い日本版画絵を商っていて、外人さん達は版画絵に群がっていました。無論、コピー品だと思うのですが、中々の絵だったことから、外人さんも群がったのかと思います。
私はその傍で、タイのボートコイン(31.1g 8.6cm) を見ていましたが、あまりに多人数だったので、連中が去るのを待ちました。
**** ボートマネーとは???? ****
ランシャン王国(ランチャン王国)で流通していたボートコインには3種類あります。
ホイ:銀と青銅を混ぜ合わせ、棒状のインゴットに成形された貨幣。チャラ船に似ており、表面は凹凸があり、象、花、またはナーガが描かれた。裏面は無地。額面は大きさによって異なり、銀の重量と純度によって価値が決定。
ラドホイ:ホイ貨幣の小型版で、両端が先細りで刻印は無し。
ラド:青銅または真鍮で作られ、様々な大きさの貨幣があり、船のような形状から「船貨幣」と呼称。ラド貨幣には2種類あり、表面に1~4つの刻印がある銀メッキ貨幣と、刻印のない青銅または真鍮貨幣です。後者はやや粗雑に作られていたことで知られている。生産管理がなかったため、人々は独自の青銅や真鍮を成形してこれらの貨幣を製造された。
その他に、
ハンとトゥ:ベトナムの安南王国で製造された棒状の貨幣で、国境地帯でも使用。
さて、外人さん達が去った後、再度、露店に行きました。偶々、店主が「織田信長の時に楽市楽座で流通した永楽通宝をXXX円で売ります!」って言いながら永楽通宝を店に並べていました。
「そうかぁ〜〜〜、織田信長かぁ〜〜〜」って思いながら、その永楽通宝を手に取って見ました。 店主が色々と説明してくれて、コインの見識の無い私は敢えて店主の懐に入るべく、お勧めのコインを選んでもらいました。一方、私も大体の相場の販売金額をネットで調べました。店主の言い値はちょっと高いぐらいでしょうか? タイのボートマネーと一緒にお買い上げとなりました。
大江戸骨董市に到着して、東南アジア骨董ハンター会の大先輩のTarousaさんとお会いしました。この方もコイン収集では権威の方で、花園神社で入手した永楽通宝を見てもらいました。本物は間違いないが、沢山ある古銭であるとのことでした。
話の中でTarousaさんから古銭のサンプルが入った小袋をもらいました。このサンプル、小学生のお子さんが来た時に無料で渡されているとか? これぞ、教育です! 学校の本では学べない生きた教材です! しかも説明書付きです。歴史を好きになる子が増えるのは間違い無しでしょう!!!!
頂いたサンプルには、以下の説明が付いていました。
開元通寶(かいげんつうほう、カイユェントンパオ)
中国、唐(618-907)の初代皇帝、李淵・高祖(在位618-626)が621年から始鋳。
漢字四文字、中央に四角い穴と言う形状は19世紀まで続く。
この開元通寶は総数で5億枚以上鋳造されたと記載した資料もある。
(私鋳銭や越南銭を含めると20億枚以上との説)
因みに、日本の最古の貨幣とされる「和同開珎」の始鋳は708年。
一般的に古銭の市場価値は材料としての貴金属価値、古さの他に残存枚数で決まる。
開元通寶は発行地域が多く、書体や背面の図文字の有無で200種類以上に分類され、
数百万円から数万円まである。
開元通宝は私も以前、買ったことがあります。 (↓ その時のブログ)
寛永通寶(かんえいつうほう) 日本貨幣カタログより抜粋
寛永3年(1626)水戸の商人佐藤新助の申請によって造られた。その後、
明治初年までの240余年、江戸時代を代表する庶民の銭として親しまれた。
徳川幕府の銭貨は寶永通寶、天保通寶、文久永寶以外は全て寛永通寶の
銭名が使われた。今日古銭界では古寛永と新寛永に大別している。
古寛永は寛永3年(1626)から万治2年(1659)まで日本各地で鋳造された
寛永通寶の総称で、芝・浅草・坂本・水戸・仙台・吉田・松本・高田・岡山・
萩・竹田・建仁寺・沓谷・鳥越等の鋳銭地の貨幣がある。
新寛永は寛文8年(1668)から江戸亀戸村において鋳造開始され、後に
背に波型のある銭を四文銭、他を一文とし、素材は銅、鉄が使われた。
以前の銭貨は1636年に使用が禁止された。
最後に、アラブ首長国連邦(UAE)の1ディルハムのコインが入っていました。
Tarousaさんのブログはこちら ↓
暫くアップされていませんが、コインを買った時の良い参考書にさせてもらっています。
私の本流ではない蒐集でありますが、出会った古銭が自身が学んだ歴史と交差した時、ついつい、欲しくなります。