曜変天目と称することが出来る天目茶碗は日本に3碗で、これらは福建省の建窯で焼成されたと言われています。中国は無論、世界中にこれら3碗しかないと言うスーパーレアで国宝です。 これら3碗とは、
- 誠嘉堂文庫美術館所蔵: 徳川将軍家所有から家光が春日局、淀藩主の稲葉家へ、その後、三井財閥から三菱財閥へ伝世された。
- 藤田美術館所蔵: 徳川家康から水戸藩の徳川頼房へ、その後、藤田財閥へ伝世。
- 大徳寺塔頭龍光院: 堺豪商、津田宗及からその子で大徳寺の住侍江月宗玩へ、以来現在に至る。黒田長政の伝世の説があるが不明。
以前、この3碗の展示がMiho Museumであったのですが、私は行く事が叶わず。大徳寺の曜変天目は非公開の為、次がいつ見れるか?
こちらが藤田美術館の曜変天目です。
因みに誠嘉堂は、
大徳寺は、
藤田は撮影可能ですが、誠嘉堂、大徳寺はHP、雑誌の記事から画像を拝借しました。
こう見ると私的には、誠嘉堂の曜変天目が一番綺麗に見えます。
藤田美術館では漢字一文字で、コレクションの出品のコンセプトを決めるので、曜変天目が年中見れる訳ではないのです。今回、曜変天目が見れると言う事で、1年ぶりの拝観となりました。
13時から学芸員の方の説明がありました。
重文 治承二年賀茂社歌合
古語の巻物は読めないし、分からないしで、パスしがちなんですが、この学芸員さんにかかると面白く思えるのです。説明上手なんでしょうね?!
この巻物は平安時代に書かれた歌合の判定記録です。審判者も参加している珍しい記録で上の写真は審判者と源頼政との対戦記録で、他の対戦記録に比べかなり具体的な描写が書かれていることから審判者の個人的な評価や感情も書かれているとか。どの時代も競争には人情が出るもんです。
因みに源頼政は、源平合戦で源姓にもかかわらず、平家についた武将ですが、最後は平等院で平家と戦って討ち死にした武将です。この辺りは高校時代の歴史の時間で確りと学んでいたので、時代背景が分かって面白い説明も相まって、改めての良い勉強になりました。
難波皇后三幅対
学芸員さんの説明と高校時代に学んだ歴史本でまとめると、
この絵は、新古今和歌集にある「高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑ひにけり」と言うフレーズがあります。ある時、仁徳天皇が高台から麓を見た時、民家はあるものの活気が見受けられない。調べると重税に苦しんで民が食べるものも食べれない状況だと言うことが分かったそうで、3年間、無税にしたことにより、麓の民家から煙が上がっていることから民が裕福になったことの基本的な政の何たるかを後世の政治家に伝えましたが、そのそのシーンを江戸時代の絵師が描いたものです。
昔、この話は、戦前まで尋常小学校の教科書にも書かれていたことなんですが、GHQの検閲で削除されて以来、日教組のせいで、基本的な政治的概念が後世に伝わらなくなり、岸田文雄みたい愚宰相が生まれるのです。日本の小学校、中学校の教科書を戦前に戻す方が日本の為には良いのではないかと思います。
さて、その他、私の好みのアイテムは以下の通りです。
古瀬戸文琳茶入 銘 霜夜
黒楽茶碗 銘ほととぎす
古伊部烏帽子箱水指
天猫姥口釜
交趾桃香合 銘みちとせ
14時からエントランスで学芸員さんの別の説明会がありました。藤田美術館所属の絵巻き物語の1シーンを見て、絵の所以は先に言わず、参加者のインプレッションを元に、絵巻き物語の所以を当てるゲームチックな説明会でした.この日は館所蔵の江戸時代に描かれた玄奘三蔵の絵巻物が題材でした。私も絵巻に描かれた人物のヘアースタイル、ヒエラルキーなんかを説明しました。
頭を使ったので、館内にある茶房でお抹茶とお団子をいただきました。
茶碗は現代作陶家さんで、私に回って来たのは志野茶碗でした。私の前に並んだ人は伊羅保茶碗でした。伊羅保の方が私の好みんですよね〜
そして、お代金は500円!
これはこれで良いのですが、私的には1,000円払っても良いので、ちゃんとした和菓子を食べたいと思うんです。小さい団子では、茶碗と合ってない感じがします。
団子を食べ終わり、もう一度、コレクションを拝見して、帰宅しました。