高麗美術館から車で京都国立博物館へ

 

豊臣秀次って、跡継ぎに祭り上げられて、豊臣秀吉に嫡子が出来ると疎んじられて、参謀の石田三成の策謀に落ちて高野山で自害した可哀想な関白です。もっと可哀想なのは、彼の正室、側室、子供達が皆殺しに遭ったことです。その中でも最上義光の娘の駒姫は政略結婚させられる為に大阪にやって来たものの、秀次に会ってもいないのに同族扱いされて殺された悲劇のお姫様です。駒姫を含め、正室、側室の時世の句が、展示されていました。

駒姫の時世の句は次の通り。

【罪をきる 弥陀の剣も かかる身の なにか五つの さわりあるべき】

歌意:罪を切って下さる阿弥陀如来様に切られる自分は、極楽にいく上で妨げになるものなど何もない。私は五常においてなにも後ろめたいことなどないのだから。(五常とは仁・義・礼・智・信)

このような句が側室の数が33人と言うこともあり、何十枚と展示されているのを見て、ちょっと気持ち悪くなりました。

 

こう言う酷いことをすると、バチが当たります!

石田三成は関が原で西軍の諸将に裏切られて敗軍の将となり打ち首です。秀吉の本当の子供か定かではない秀頼と茶々は爆死、秀頼の嫡子は子供にもかかわらず打首になりました。これは単に33人の恨みが成せた、豊臣家のお家断絶かと思われます。徳川家康はバチが当たらなかったのは、徳があったからか?

 

博物館を見終え、遅めのランチを東寺近くで済ませ、お土産に東寺餅を買って帰阪しました。

 

 

 

 

いつも電車で東寺餅を持って帰ることから少々変形をしている場合がありますが、車だと綺麗な形を維持してお持ち帰り出来ます。東寺に来たら、東寺餅は必須です!!!