昨今、Opium Weightの名称を改める傾向があります。そもそも英国統治時代のミャンマーでアヘンの秤として使われたことからOpium Weightと称されたのですが、彼の地も歴史の見直しがあり、英国統治以前から、即ち、各王朝で分銅の基準があったことからRoyal Burmese Weightと言われるようになって来ました。ミャンマー人のコレクターにOpium Weightと言うと、回答が来なくなってしまうことがあります。
このWeightは、この前の大江戸骨董市で東南アジア骨董ハンター会のメンバーの方から譲ってもらったものです。Weightではあるのですが、本来のOpium Weightの意味合いのものであったかは定かでなく、また、使用されていたところも定かではないのです。私的には人の聞き伝手で中国が発祥かと思っていたのですが、どうも違うような感じ?
ドイツのコレクターの友人に今更で、尋ねて見ました。そして彼から2つの図録の切り抜きが送信されて来ました。
メールには、定かではないとの書き始めで、ベトナム、中国、カンボジアの可能性云々とコメントされていました。図録の写真はどれも見たことのあるWeightで、今回、私が入手したものは、この切り抜きから見ると、ベトナムのグエン朝の時で18世紀から19世紀とのことです。とりあえず、仮定ではありますが、出何処が解ってちょっとモヤモヤ感がマシになりました。
これはあくまで私の主観ですが、流通の観点から中国で発祥、その後、ベトナムやラオスで流通してこの形になった? 中国風の分銅が各地で作られてその土地柄になった分銅が流通した? まるで、元の時代のデザインが第1期のスンコロクに伝わったよう・・・・
重さ、 左 109.8g 右201.6g