天皇家の紋はご存じの菊の御紋で、後鳥羽上皇の時代から使われるようになりました。

戦国時代から天下安寧に導いたのは江戸幕府を開府した徳川家康で、その家紋はお馴染みの葵の紋です。

さて、内閣走路大臣の家紋は?

 

 

そうです、桐紋です。桐紋はそもそも天皇家、公家、有力武士などが使っていた家紋でした。

 

この前、YouTubeでこの辺りの歴史トークを見ました。そのトークでは、なぜ、明治政府は内閣総理大臣の家紋に、この桐紋を使ったのか?と言う都市伝説的な話が成されていました。

 

簡単に言うと、明治政府の立役者は薩摩の島津、長州の毛利です。これらは豊臣恩顧の武家で、関ヶ原の戦いで西軍につき、徳川家康から領地減封され、江戸開幕ご300年間、徳川家のいじめに遭った訳です。ところが明治になって徳川j家が朝敵になり倒幕となって明治政府が新しい日本国を作った訳です。豊臣家の恨み辛みを晴らすが為に、この桐の紋を使ったのではないか?って言うことなんだそうです。

 

ここからは私の主観ですが、明治政府が出来た頃って政権も右往左往としていたことから、天皇が国家元首と言えども実質は無政府状態であったのはないかと思うのです。それをまとめる為に平成・令和の御代では有名無実の議員委員内閣制が導入され、そのシンボル(家紋)を島津、長州、まして土佐、肥前の家紋では纏まらないであろうことは簡単に想像できることから、彼ら4藩の主君であった豊臣家の家紋が選ばれたのではないかと思います。そして豊臣家の家紋であれば、元上司の意向を反映していると旧藩主も納得した、もしくは納得せざるを得なかったのではなかったのかと思います。

 

第二次世界大戦に負けて日本はアメリカの隙を狙って日本人の顔を被った中国人、韓国人に支配されちゃったことから戦国武将の恨み辛みは過去のものになってしまいましたが、コロナワクチン接種で人口削減計画をしている現内閣が、今度、どの家紋を、いや、どの国旗に服従すると言い出すのか、楽しみです(笑)