4月9日の日本経済新聞の「フットボールの熱源」というコラムに専用スタジアムについての話が載っていました。

同コラムは毎週水曜に掲載される日経の人気コラムです。


近年の日経はどちらかと言うと本業の経済面ではあまり良い評判を聞かないのですが、

サッカー関連コラムは非常に評価が高く、これを目当てに水曜だけ買うファンもいるほどです。


その時のコラムの内容は、

「欧州各国にはトップリーグ昇格を現実的に考えていない小クラブが山ほどある。当然、技量の優れた選手はいない。それでも立派に地域の心をつかんでいるのは、サッカー専用競技場を舞台にしていることと無関係ではない。」

と述べ、更にドイツの育成部門に長く携わっていた経験のある、西村湘南Uー監督の意見として

「下部リーグの選手は高い技術はないけれど、懸命に走り情熱を傾けてファイトする事で観客の心に訴える。それが観客とピッチが離れていたら伝わりにくいものなんですよ」

との言葉を続けています。


最後には

「下部のクラブほどサッカー専用競技場を持たないと支持者を増やしにくい。」

と結論付け

「選手が踊る舞台の整備を後回しにしているクラブが多いが、実は何より先に手をつけなければならない問題だろう。ピッチ上の熱気が観客に伝わりやすいスタジアムを整えれば、好転する問題が少なくない。」

としています。


これまで、サッカー好きの特殊な主張としか見られてこなかった「専スタを望む」意見が一般誌・・それも経済紙にまで取り上げられるようになって来た事は、少しずつ時代の空気が変わっているのかなっと思わずにいられません。

昨日、3月25日、夕方から「望む会」は県議会の松島議員をお招きして、サッカー専用スタジアム、長崎のスポーツ環境などについて懇談会を行い活発な話し合いがなされました。

スタジアム建設の陳情といった類の物ではなく、様々な情報交換と取り組む姿勢をお伺いする場だったのですがとても有意義な時間を過ごす事が出来たと思っております。


都合上、話し合いは2時間弱だったのですが、次回はさらに議員の数を増やし、都合次第では県の担当部署の方も交えて更なる話し合いの場を広げるいただける可能性も検討していただけるとの事。
これまで手探りだった運動もようやく先に灯りが見えた(ような^^)します。

まだまだ歩みは遅いですが、皆さんからいただいた署名が大きな後押しとなって少しずつですが、望む会の活動も進んでいます。

50年後、100年後のサッカーを、スポーツを愛する長崎人の為に色んな力や知恵を集めて行きたいと思います。


追伸
今回の話し合いで唯一残念だったのは、余りに話し合いが白熱して写真を撮る暇も無かった事です。^^

アンケートの返信においてアンケートの回答という形以外の返答を下された方、幾つかの回答が無記入であった方、条件付きの回答などもあるために正確な数字を明示する事が出来ません。

大変申し訳ありませんが、抽象的表現となる事をご了承ください。

1.若手育成もしくは生涯学習の面からでも構いません。現在の長崎県内における
スポーツ環境をどう思われますか?

答え
6割の方が現在の環境について不十分とお考えです。
現状でも何とか対応していると評価されているのは2割。
無回答、返答できないが2割でした。

意見の一例。
「一概にスポーツ環境を語るのは難しいですが、サッカーに関していわせて頂ければ、設備が弱いと言わざるを得ません。その設備の弱さがJリーグ創設やフットサルリーグ創設に影響しているのではないかと推察せざるを得ません。
国見高校という全国的にもトップクラスのサッカー土壌を、長崎県は有していながら、Jリーグ参戦に後手を踏んでいるのは、選手やVファーレンの質というよりも、それを取り巻く環境が弱いと私は推察しています。例えば、大分はいち早くJリーグに参戦し、Fリーグにも参戦しています。この違いは何か。選手ではなく環境の在り方を疑わざるを得ません。」 (
松島完 氏 長崎県議会議員)



2.費用や立地など現実的な問題抜きにしての質問です。単なる希望として、長崎
県にサッカー専用スタジアムはあって良いと思われますか?

答え
希望としての専用スタジアムには6割の方が賛成。
スタジアム以外の提案が2割。
無回答、返答できないが2割でした。

意見の一例。
「クラブチーム用と考えればどうかとおもいます。また学校では専門の先生がいないとクラブ自体が成り立たないのでそういった教員、監督の充実も必要かと思います」 (浦川基継 氏 長崎市市議会議員)

3.長崎県にサッカー専用スタジアムは必要だと思われますか?

答え
将来的という答えも含めて5割の方が必要。
難しいという方は2割。
不必要という方が1割。
無回答、返答できないが2割でした。

意見の一例
「専用であることの必要性を感じません。」 (そのだ裕史 氏 大村市議会議員 )

4環境向上のために以下の①~③に協力することは出来ますか?もしくは、その
他に考えはございますか?(複数解答可)
①各サッカー場、競技場の芝生化
②各サッカー場、競技場の照明設備設置
③芝等の維持管理
・その他(  )

答え
① 4割が賛成。4割が厳しい。 2割がその他
② 4割が賛成。4割が厳しい。 2割がその他
③ 2割が賛成。4割が厳しい。 2割がその他
④ なし


5.「サッカー専用スタジアムを望む会」に協力していただくことは可能ですか?
5-A・できる
5-B・できない
   (理由:              )

答え
8割の方は「できる」と回答いただきました。
できないという2割の方もキチンと政治家としての主義に基づく意味であり、活動を否定された方はおられません。



6.協力できる場合、どのような形で協力していたたけますか?
6-A・署名 
6-B・関係機関への働きかけ
6-C・議会での質問等

答え
A 4割ができる。4割は出来ません。2割が無回答。
B 条件付きで出来るが4割。2割は出来ません。4割が無回答。
C 条件付きで出来るが4割。2割は出来ません。4割が無回答。

7.「望む会」が集めた署名の提出先として、協力していただくことは可能でしょ
うか?

答え
可能が2割。不可能が4割。その他が2割。無回答が2割。


8.「望む会」の活動について更に詳しい資料を希望しますか?
8-A・希望する
8-B・必要ない

答え
希望するが2割。希望しないが8割。

9.「望む会の活動について」一度直接お話させていただきたいのですが、お時間をいただけますか?

答え
4割の方が可能です。4割の方が無回答。2割の方がその他。


非常に、心強いお返事をいただけた議員の方もおられました。
望む会として一度是非お話をしたいと思い、現在スタッフ間で日程等を協議中です。

望む会としてこれまで署名を集めたり広報・告知活動を中心にやっていたのですが、前々から望む会の活動趣旨や運動に県民・市民の付託を受けた議員の方々はどのようなご感想をもつだろう?っと考えておりました。


そこで2月初旬、大変不躾と承知の上で県出身の議員の出来るだけ多くの方にmailという形でアンケート送信させていただきました。mailという大変失礼な形をとったのは予算も人数もまだまだ少ない(笑)望む会として最も効率の良い方法があった為ですが、多くの議員の方が誠実に対応していただきました。

また、mailアドレスが不明、または持たない議員の方には発送が出来ず片手落ち的なアンケートではありますが、望む会として非常に手応えを感じるアンケートでありました。


以下、アンケート内容です。

アンケート

1.若手育成もしくは生涯学習の面からでも構いません。現在の長崎県内における
スポーツ環境をどう思われますか?

2.費用や立地など現実的な問題抜きにしての質問です。単なる希望として、長崎
県にサッカー専用スタジアムはあって良いと思われますか?

3.長崎県にサッカー専用スタジアムは必要だと思われますか?

4環境向上のために以下の①~③に協力することは出来ますか?もしくは、その
他に考えはございますか?(複数解答可)
①各サッカー場、競技場の芝生化
②各サッカー場、競技場の照明設備設置
③芝等の維持管理
・その他(  )

5.「サッカー専用スタジアムを望む会」に協力していただくことは可能ですか?
5-A・できる
5-B・できない
   (理由:              )


6.協力できる場合、どのような形で協力していたたけますか?
6-A・署名 
6-B・関係機関への働きかけ
6-C・議会での質問等

7.「望む会」が集めた署名の提出先として、協力していただくことは可能でしょ
うか?

8.「望む会」の活動について更に詳しい資料を希望しますか?
8-A・希望する
8-B・必要ない

9.「望む会の活動について」一度直接お話させていただきたいのですが、お時間をいただけますか?


次回のブログではこのアンケートの回答を報告したいと想います。


今回、ご協力下さった議員の皆様、本当にありがとうございました。

これからもご指導、ご鞭撻よろしくお願い致します。



長崎のクラブチーム「V・VAREN長崎」と企業チーム「三菱重工長崎」が所属するサッカーの九州リーグには他のリーグには見られない「集中開催」というシステムがあります。

リーグ参加の全チームを一箇所に集め土・日に2試合行うのが集中開催です。

九州リーグではシーズン開幕2連戦、前半戦最終2連戦、後半戦開幕2連戦、リーグ最終節2連戦と年4回、8試合・・全リーグ戦の4割が集中開催で消化されます。


この集中開催は基本的に立候補方式で、同一県に2チームを抱える県が立候補する場合が多いです。

集中開催にはいくつか開催基準があり、その中の1つがリーグ戦を行う芝のピッチを確実に2面確保する事と言うのがあります。他にも練習場の確保やらありますが・・。


審判や運営を合理的に無駄ないよう開催するにはすぐ近くに2面ピッチがあるのが1番良いですよね?

宮崎では県総合運動公園、大分ではビッグアイ、佐賀の佐賀総合、熊本の大津、沖縄なら沖縄県総、鹿児島の中山・・各県には芝2面のピッチを供えた運動公園があります。

ところが・・長崎にはそれがないのです

九州で唯一、同一敷地内に芝のピッチ2面を持つ競技場の無いのが長崎県です。
前回、集中開催を行った際は諫早の県総合運動公園陸上競技場と雲仙の百花台という2つの距離の離れた会場で開催し、芳しい評価をもらえませんでした。もし、今年やるなら百花台と遊学になるんでしょうか?


この事実1つを見ても長崎県にいかにスポーツ施設が不足しているか判りますね。


現在、県は県内にスポーツの合宿、キャンプ誘致に補助を出しています。
今年はモンテディオ山形がその誘致を受けて雲仙の遊学でキャンプを張っています。
しかし、ピッチが1面しかないのが物足りないとの声も上がっているそうです。

熊本の大津はピッチだけで4面、さらに練習につかれる広場もあります。

熊本と長崎のキャンプチームの差はその辺にあるのかもですね。

戦後のスポーツ施設建設。長崎県と長崎市による方針の違いにより長崎市松山町の総合運動公園計画が2度も立ち消えとなり、矢上の陸上競技場計画も幻に。県と長崎市の冷戦状態の中、長崎国体へ向けた動きが始まります。


今回はこの続きです。


この当時、長崎県と長崎市が冷戦に近い状態にあったのは前回書いた通りですが、さらに県は県体育協会とも昭和30年代から組織のあり方を巡って冷戦状態にありました。

しかし、当時は国体は日本最大級のスポーツの祭典の最高峰。

誘致運動の際ですら他県からは考えられないスローモーな運動ぶりだった県も、そうは言ってられない状態になります。施設と共に競技力向上も振興しなければならいのです。

これまでのように県内対立に明け暮れている場合ではありません。

県は競技力強化にも次々と力を注ぎ、競技者もそれに予想以上の結果で応えます。


長崎、国体優勝


それはほんの数年前まで考えられない快挙でした。
国体誘致時の非常にノンビリとした運動ぶりと対照的に国体開催が決定してからの働きは見違えるものと言えるでしょう。それはそのまま「確定するまでは本気にならないが、やると決まれば底力を出す」そんな長崎の県民性と言えないでしょうか?夢を追う企業やベンチャー企業が育ちにくい今の長崎と合致しませんか?


そして、そんな中ですら、県と市のゴタゴタ、三菱が1億を投じて県の事業に協力して作り、寄贈した体育館が県が僅かの予算をケチった為に国体の際にクレームを受ける・・っと言った出来事にスポーツに対する行政の理解の無さがやや透けて見えます。


この後、長崎スポーツは関係者曰く「国体の遺産を食い潰す」と言う弱体化の道を辿ります。
それを必死に食い止め続けたのは現場に携わる競技関係者でした。


2014年の長崎国体。
次の国体こそ、現場の競技関係者の努力だけに頼らない、県の社会体育に対する援助をお願いしたいものです。国体のメインは開会式ではなく、国体競技である事を忘れず運営していただきたいものですね。



戦後、スポーツ施設不足の中で県総合運動公園を松山一帯に建設しようとした長崎市、それを後押しする競技関係者。しかし、県は諫早市での建設にこだわり諫早競馬場に競技場を建設。長崎市の県総合運動公園構想は幻と終りました。


今回はこの続きです。


県総合運動公園誘致の望みを失った長崎市は昭和24年、松山市に競輪場を開設。平行して野球場、陸上競技場の建設に着手しますが、予算の関係で完成は遅れます。さらに完成した陸上競技場も設備不足で陸連の公認をえられ無かった為に規模の大きい大会の度に陸上競技関係者は悩む事となります。

この競技場、昭和33年になってようやく2種公認を受け大村・諫早、佐世保の競技場の3種より上位公認となりますが、実質はピッチ状態が悪く数度の手入れも手直し程度で関係者をして

「県庁所在地でこれほどお粗末な陸上競技場は他にはない」と言われる有様でした。


こんな中、長崎県は国体誘致に乗り出します。

昭和34年開催を目指した最初の立候補は、あまりにスローモーな動きもあり熊本の前で成す術なく撤退。
2度目の立候補ではライバルの鹿児島県の露骨な政治運動がかえって長崎有利に働き昭和44年の国体開催地となります。


ここで県は主競技場に長崎市の松山を打診します。

県の計画は

「松山のサッカー場、ラグビー場を潰し陸上競技場を新設。既存競技場をサブグラウンドにして国体後にサブグラウンドを野球場に改造する」と言うものです。

これに対して長崎市は

「松山ま狭く入り組んでいる為に国体参加者をさばききれない。」

「サブグラウンドを国体後に潰されては陸上競技場は1種公認がとれない」

として競技団体と共に反対します。


幻の松山の県総合運動公園の時と違い県が長崎市を、長崎市が拒否をする展開です。

実際にはこの頃の状況は複雑で

県は体育協会の組織運営を巡って昭和30年代から競技関係者と冷戦状態であった事、

県の計画が事前に市側に一切打診がない事への市の不信感があったようです。


長崎市と競技関係者は県に対して矢上の現青果市場埋立地に陸上競技場を作る案を提示し、市長自ら視察までしますが、この案に対して県側は強く反対。特に当時の県知事佐藤氏は激怒したといわれています。


これによって県は諫早の競技場を国体主会場にする腹を決め、矢上の陸上競技場計画も幻に終ります。

さらに、この一件で長崎市と県の関係は悪化します。

後に長崎市が黒字経営で市財政の力となっていた競輪場の改修工事を工事許可者である県知事に申請した際改修許可ではなく撤去令を出され、市の競輪場は廃止となります。

県民はこれを、国体主会場選定の際の仕返しと見ていたようです。


こうして長崎県は長崎国体へ向います。


次回の最終回へ続く・・

戦後、「全国で最もスポーツ施設がないのが長崎県」と言われる中、状況を打開する為に猛運動を開始した長崎県のスポーツ関係者。それに対し「予算がない」とする県。一方で大村市には運動公園が誕生。そして長崎市で起こった「長崎県総合運動公園を長崎市に誘致する」という大計画。


今回はこの続きです。


長崎市は松山一帯に実現させるべく「長崎県総合グラウンド設置長崎市協議会」を作り県へ働きかけていきます。その計画内容は以下の通り。


「鉄道と浦上川に挟まれた松山地区に陸上競技場、テニスコート、バレー・バスケコート、プールを作り、鉄道を挟んで反対側の平和公園を含む地区一帯に体育館や子供遊園地を作る」

実に約33万平方mにも及ぶ大計画です。


この案には各競技の関係者も大変乗り気でしたが長崎県は諫早の運動公園設置に固執します。

この辺りは中々きな臭い事情があったとも、当時の状況を考えた結果とも言われています。
この諫早の運動公園に対して県は当初小野の飛行場跡地(現馬事公園一帯)を候補地としますが、交通の便が悪い事、工費が重むと判明すると、急遽「諫早競馬場」との併設へ鞍替えします。

競馬場関係者からは一部反対があったものの諫早市も賛同し現在の場所に県総合運動公園が作られる事になるのです。


既に土地を確保し新たに買収する必要がなかったのは松山も同様であり、その松山を推していた競技関係者はこの県の姿勢や取り組みに「県はやる気があるのか!」と激昂したそうです。


こうして松山一帯の大スポーツ施設計画は幻となりました。

結果的に諫早建設となった事で長崎市への一極集中を避ける事が出来てバランス的には良かったのではと個人的に思います。しかし、県がこの方針を後に二転三転させていく為に長崎国体を巡って県と市に冷戦が訪れる事となり、その冷戦の影響で矢上の総合運動公園計画が消えていく事になります。


次回はこの辺りを書いてみましょう。

戦前の長崎県で県内のスポーツ3大施設と呼ばれるものがありました。

・浜口の三菱の野球場

・浜口-茂里町-松山の三菱の陸上競技場

・医大(現長大医学部)のグラウンド

です。


戦争を経てこれらの3大施設は滑走路に使われたり、荒れっぱなしにされたりという有様で

長崎でスポーツ施設と呼べるものは経専(現長大経済学部)や県立中学などのグラウンドという状態でした。
戦後、徐々に復興を遂げ全国規模で希望としてのスポーツに対する関心も高まる中で長崎は
「全国で最もスポーツ施設がないのが長崎県」と当時のスポーツ関係者を嘆かせていました。


これを解消しようとスポーツ施設建設の猛運動がスポーツ関係者から行われるのですが
県のスタンスは「予算がない
何だか今も昔もこの辺は変わりませんね。(笑)


県がそういった状況だった一方で市が先に動きます。

昭和23年に大村市は失業対策事業として大村市玖島崎に運動公園を作ります。

これが実は長崎県初の運動公園でした。


県都である長崎市はこの間黙って何もしていなかったのか?

実は長崎市の運動公園建設が遅れた背景にある計画があったのです。

それは、


「長崎県総合運動公園を長崎市に誘致する」


という幻の長崎市松山の県総合運動公園という大計画でした。


その大計画の顛末は次回。


(つづく)

長崎市立図書館が長崎市にオープンしました。

家から近所なので時間を見つけては本を見て過ごす毎日です。


最近はネットでも随分と詳しく色んなことを調べる事が出来るようになりましたがまだまだ図書館には及びません。探すのは随分と骨が折れますが、キチンと探し出せば判らない事はないんじゃないかとすら思ってしまいます。


その中で現在、長崎のスポーツの歴史(特にサッカー)を調べていたら面白い事実にぶち当たりました。


長崎市の松山競技場に巨大総合運動公園を作る計画がかつてあった事をご存知ですか?

矢上の青果市場の埋立地にも総合陸上競技場を作ろうとした事をご存知ですか?

現在の長崎県総合運動公園の陸上競技場が元は競馬場だったのは?

かつての県や市のスポーツ施設に関する意識や態度は?

前回の長崎国体の時のドタバタは??


以後、何回かに分けてこれらの顛末を書きたいと思います。

今の長崎県のスポーツ施設に対するヒントになりそうな気がします。