フェイスブックに、↓のブログ記事がエントリーされていました。
まだ行われている犬猫回収
http://ameblo.jp/tiger-angels/entry-11979053433.html?frm_src=favoritemail
犬猫定点回収というのは、飼っていた犬猫が”いらなくなった”、あるいは拾った犬猫は”いらない”と思った人が、自分の地域の決められた場所に行くと、そこに車が待っていて、いらなくなった、いらない犬猫を連れて行ってくれる制度です。
そうです! 愛護、愛護と言いながら、愛護と真逆のことをする人に便利な奉仕をする制度なのです。
実は私は、こんな非人道的な欺瞞に満ちた制度はとっくになくなった、と思っていました。
ところが、まだやっているんですね。行政が。
フエィスブックの記事をシェアしました。
思わず強い口調の書き込みになりました。(青字)
怒りと失意とやりきれなさと悲しみを共有して下さる方がいたら少し救われます。
まだあるのか。こんな悲しい非人道的な殺し。二十数年前、保健所の回収車に一人で張り付いたことがあった。皮膚病の痩せたワンちゃんを連れてきた女性がいた。「渡したらダメです。苦しい殺し方をされるのですよ」と止めたがその人は泣きながらそれでも担当者に渡した。名前を記載させただけで回収車はその犬を引き取り軽トラックの荷台の箱に入れた。犬は箱の中から必死に女性のほうを見て悲痛な声をあげていた。「私が引き取る! 私が飼う!」と叫んだが徹底的に無視され、担当者はその場で掃除機の筒のようなものを箱に指し込んだ。すぐにそこからシュウ~~~という気体が吹き出る音がした。犬の悲鳴は次第に細くなり消えた。担当者が筒を持ちだした時点で女性はなお泣きながら去ろうとしたが、私は彼女をつかんで離さなかった。・・・犬はあの時殺されたのではないだろう。多分ああやって仮死状態にし、全部の個所を回っていくのだと思う。私が行ったところはスタート地点で、最後まではりついていくつもりだったが、私はそこで行けなかった。心の中で、行政への絶対的な不信、飼い犬をああやって連れてきた普通の人間への嫌悪感と侮蔑感がどうしても消えない原点のひとつである。運動や活動は出来なかったが、誰にも知られない闘いを一人っきりで数え知れないくらいやってきた。そんな闘いなどしたくなかった。私はほんとにただのお人好しの人間であったし、いつでも動物の味方でノーテンキに生きていけばいい人間だった。・・・今だってそうだ。闘いなどしたくない。でも闘うしかない。こんな行政がまだ許されていくのなら!!!
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まるで行政を敵視し挑戦しているようにとれる文面ですが、正直気持ちの中に、福島の警戒区域の動物たちの問題も含めて行政への不信は根強いですが、敵視し挑戦するつもりはないです。そういう闘いのつもりはないのです。






