また森に猫を置いていった人がいる。女性猫のようだ。

その猫の不妊手術をするつもりである。

それにともなって、相変わらず悶々とした苦しみが胸に留まってくる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


数年前のことだ。

日に日に認知症の状態が悪化する夫の自宅介護をしている最中の時期だ。

月に二度ほど一泊二日のショートスティに夫を預かってもらいながら、ある月刊誌の記事を書くための取材に出かけていた。

この仕事は、止むことのない我が家への捨て猫や犬にかかる不妊のための手術費用や食費を得るためにやっていた。

夜間の徘徊が多かった夫の介護、他者の置き捨てによって増え続ける猫や犬の世話、取材の必要な仕事は、本当に過酷だった。



そういう中私は、高齢者支援の活動を記事にするため、代表にお会いしに茨城の北部に出かけた。


実は私がここで書こうとしているのはその方の活動のことではなく、回りで見かけた数匹の猫のことである。

取材中、猫があたりに多くいることに気付いて、私はすっかりそちらに気をとられたのである。


「猫がたくさんいますね」

「ええ、子猫が生まれて大きくなったものですから」

「え!? 不妊の手術はされていらっしゃらないんですか?」

「ええ、不自然なことはしたくないんです」

「え!! 増え続けると結局は猫たちを不幸にしませんか?」

「幸、不幸って結局は人間が自分の考えや都合に合わせて決めるわけでしょ。私はそういう尺度を持っていないから」


その人はここまでの会話の間、伏し目がちにして私と視線を合わすことはなかった。きっと、私の口調の内に咎めモードが滲んでいるのが不快だったのだろう。

『ああ、またか・・・』といううんざりもあったに違いない。

それが私の顔に視線をまっすぐに向けてこられたのは、私が、



「はぁ・・・それはそうですけど・・・そうやって地域が猫だらけになってしまうと、必ず人為的に排除しようという人があらわれますでしょう? やはりそれは不幸だし、その不幸を避けようとは思いませんか?」と言ったあとだ。


「猫だらけにはなりませんよ。自然淘汰をしますから」。

その人はきりっという感じに私を見つめたのだが、眼差しはきつくはなかった。

「自然淘汰というのは人間の処分も含みますよね。私はそれが哀れでまたやりきれなくてこどもを生ませないようにするのは必要だと思えてならないのです」と応えた私のほうが強い視線であったかもしれない。


その人はこの私の言葉に対してふっと笑い、その後口をつぐんでしまわれた。もうこの話はお終い、と決められたのだろう。



その後この人とお会いすることはないのだが、時折ふいに思い出してきた。

そして、『究極の愛護とはあの人の姿勢でいいのかもしれない』と思う。『実際猫たちが自分たちの運命を決めることができたら、ほっといてくれと言うだろう』とも思う。


だが私は自分の回りで野良ちゃんに出合うと手術をしてしまう。心に痛みと罪の意識はありながら、『彼らが生きることを守るにはこうするしか方法がない』と硬く思い続けているのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


とはいえ、もし茨城県の北部で出合ったあの女性が、世間や行政から弾圧のようなバッシングを受けるようなことがあったら、私は躊躇することなく彼女を擁護するだろう。考えや方向は違ってもその人がその人の信念をもって生きる姿勢と人間性に敬意を持ちつつ。



動物たち自身、人間のそれとかわらぬ命と心と尊厳を保有していながらそれを言葉に出すことはできない。それゆえに、人間の誰も、彼らに対することにおいて何が正しいか実際にはわからない。


わからない以上、自分は自分の内の思いに従い、自分の痛みと罪の意識を引き受けて実行するしかないのだ。同時に他者の自分と違う思いと考えを理解するしかないという真理も受け入れるほかないだろう。



などなど思いにとらわれながらも、朝になったら動物病院に予約の電話を入れるのだ。こうして今生きている命を守るしかないのだと今更に自分に言い聞かせて。




アメリカ大統領選挙にヒラリー・クリントンさんが出馬を決めたというニュースの中で、ヒラリーさんが、下のような発言をされたとあった。


クリントン氏はビデオ声明で「普通の米国人には擁護者が必要だ。私はその擁護者になりたい」と語った。


「ヒラリーさんは本物だ。基本の基本を忘れない人であり政治家なんだな」と胸がいっぱいになった。


たいていの人、政治家、活動家は、結局は現象にとらわれて基本を見失い反発もできない弱きものに一切の罪を押しつけて次の段階を作り上げていくからね。


動物問題はそれが顕著に出る。

動物たちが何も言わないから、結局は、強い側、多数の側の擁護に走っていってる。それに気付きもしない。


基本は、あくまで、捨てる人が悪いのだ。捨ててもいい、としか思っていない人が多すぎることにあるのだ。

そして、尚の基本は、捨てられ親とごはんを求めて泣き彷徨う生き物を、哀れに思う人がいなくなっていること、またそういう人をこそ擁護するのが普通ではないのかなと思うのだが、擁護するどころかまるで極悪非道者のように叩く人が普通になりつつある社会になっていることだ。


捨てられる猫や犬の問題において、そういう社会にしてしまったのは、動物愛護運動の方向がそう向いてきた、向かわしてきた動きがあったからだと、私は思うことがある。擁護すべき方向を意図的にかえていった動き。


その一点を私は憂い、嘆く。嘆きは、自分には何もできない、ということだ。本当に無力な、人からも社会からも政治家らも馬鹿にされているだけの自分が悲しい。

この日はある川沿いの震災で壊れた建物を住処としている黄色猫ちゃん2匹を保護する覚悟でいつもより1時間早く出る。


だるたにあんさんはいつもは別の曜日に通っておられるおだが、捕獲器の扱いも慣れない私の応援にこの日に出て下さる。


まず、結論!


ジャーン! お目当ての猫ちゃん!! 保護成功!!! 写真は翌27日に我が家の二階で!!!! まだ落ちつかずビビっている顔色。この時期が一番辛い。「あのままにしていたほうが幸せだったろうか? 慣れて平安の日々を送れるようになってくれるだろうか?」とこちらもまた心はビビリビビリなのだ。


でも、今日は頭も背中もなぜさせてくれた。顔色も穏やかになってきた感じ。これを書いている今は、テーブルの下のベッドでぬくぬくとぐっすり。

ただ、楢葉で肩寄せ合って何年も生きてきた仲間か兄弟(多分兄弟)が恋しいはず。

必ず連れてくるからね。約束は守るよ。




というように、成功したように見えるが、実は半分、いえ三分の一の成功なのだ。


実はこの日、朝、だるたにあんさんと約束の場所に着いたらすでにだるさんは来られていて、「猫ちゃん、いるいる!」「え! じゃすぐに捕獲器を!」と私の車に積んできた二台の捕獲器を道路に出し、二人でしゃがんでああだこうだどうだそうだと言いながら焼きかつをやだるさんの手料理のゆで鶏肉をほぐしたり並べたりして、まずは、一台を猫の居場所のすぐわきに置く。

この時、我らのすぐそばに置いているのに関わらず、我らはもう一台のしかけをしようとそこにしゃがんでまたああだこうだどうだそうだと捕獲器をいじる。

どうもうまくいかない。

二人で「難しいなぁああああ??????」とガタガタギシギシやって、「あら、これ底と上が反対よ」とだるたにあんさんが気付く。


ひっくりかえりそうになりながら、正しく置いてやり直し。

「やっぱり頼りない私たちよねぇえええ」と言いながらもなんとか準備出来、「これはどこにおこう」と言ってる間に、何気なさそうに先においてほうをのぞいただるたにあんさんが、「あー! 入ってるー!!!」

なんと、私たちがすぐそばで次の台をわーわー準備している間に黄色の尻尾長の猫ちゃん入っていたのである。


↓不鮮明だが捕獲器ごと車に入れられたキーボー。(この時点でこの名前を思いついた)。




さて、このあとである。

私はこの地点で一年以上前から同じような色合いの黄色の尻尾長と尻尾短を何度か見ていた。

最近解体や整備でいついて場所を追われた二匹が心配だったのだが、ある程度慣れてきていたこお猫ちゃんたち、だるさんも私も追われた場所から少し離れた被災家にごはんを置き、その時猫がいたら、「これからここに置くよ」と言い聞かせていたところ、行くたびにそこに顕われるようになっていたのだ。


ただ、私は、尻尾短のほうが、なんか前に見た時と違うなあと感じていた。身体の黄色が色が濃い。そして尻尾が短い二は短いのだが、うさぎのように丸く短いのではなく、尻尾が折れ曲がって短く見えるのである。

だが、自信はないのだ。いつも瞬間瞬間しか観れないので、『二匹いるんだから、前の二匹と同じなんだろう』と思うようにし、今回の捕獲は最近見た二匹のつもりでいたのだ。


だから、一匹のキーボーを車に乗せたあと、ようどお昼時でもあり、だるさんと二人で、道路の土留めに腰をおろし、昼食をいただきはじめた。


食事をしながらおしゃべりをし、視線は前方のキーボーがいついていた家のほうにむけていた。

すると! 右手の広い道路の先の川土手のほうから、一匹の黄色い猫ちゃんが、ぐっと前をみつめてほどほどのスピードで、捕獲器をしかけてある方の壊れた家に向かっているようだ。

尻尾はうさぎのように丸く、黄色だ。

「あ、あの子、この一年前ぐらいから保護したことと一緒にいた子だ!!」と私は確信を持って言う。

ということは、最近みかけていた尻尾の曲がった毛色の濃い子、含めて、少なくとも三匹いたんだ! ということである。ややや!


とりあえず、今置いてある捕獲器に入ってくれますように、と、私たちは食事を中断し、そおっと置いた捕獲器が見える小さな川を挟んだ少し高い位置に移動し、様子を見ることにした。

下が置いてある捕獲器。



実はここでとんだ失敗となった。

川土手から戻ってきた尻尾短の猫ちゃんは、捕獲器に入ったり出たり! そして置くまで入った風なのに、なんと、蓋はしまらず、猫ちゃんは消えていたのである。

よく調べてみると、捕獲器は、踏み板に猫が乗ると、入口がガシャン閉まるようになっているのだは、踏み板を押してみても扉はびくともしなかったのである。

爆爆爆であったが、ほんとは笑いごとではない。

結局、二匹捕獲するつもりが一匹しか保護できなかったわけである。

しかも少なくとも三匹いたとわかり、ようするに少なくとも今だ二匹はいるということだ。


やれやれである。


だが仕方ない。今日のところはキーボーだけ連れて帰ろう。

あとは、私が給餌にくるたびに、捕獲器をしかけてみよう。もう使い方もわかったし、私一人で焦らずやりまする。焦ると疲れまする。


とにかく何匹かで肩寄せ合って生き抜いてきた猫たち。

一匹だけ残るようなことはさせません。


我が家は、継母も私も、置いていかれた猫たちのように、社会や世間から取り残されて生きている感がありまする。

なんとかみんなで肩寄せ合って生きていきましょう。


だるさん、この日付き合って下さり、本当に本当に心強く助かりました。頼りないなんてことはありませぬ。ありがとうございました!


それから、何かとアドバイス下さったAさま、大変参考になりました。

心から感謝しています。ありがとうございました。

だるたにあんさんに連絡して下さり、当日同行の応援を申し出て下さいましたCAPINさんのTさま、とても嬉しかったですし、心強く思いました。でも私の事情で、どうしても短い時間で回りたく、結局だるさんと二人でやっていくようにしました。

私はいつも時間に限りがあるので、こんな状態で動いています。ごめんなさい!


■■■ 日刊IWJガイド 2015.3.28日号~No.927号~「I AM NOT ABE」再び! 「報道ステーション」古賀茂明氏が番組中、堂々の安倍政権批判で騒然! 直後に岩上安身が独占インタビュー!
■■■
(2015.3.28 8時00分)

おはようございます。IWJ原です。

昨日の報道ステーション、見応えがありましたね。古賀さん、すごい。

「テレ朝の早川会長や古舘プロダクションの社長の意向で、今日で報道ステーションを降板することになった」

最後の生放送で、頭からいきなりアドリブを演じた古賀さん。「官房長官はじめ、官邸からはものすごいバッシングを受けてきた」とも発言し、大きな反響を呼びました。

さらに、番組中に「I am not Abe」のプラカードまで出し、「菅官房長官は陰でものを言うのではなく、直接自分に言ってきてくれ」などともぶちまけました。

「公共の電波を使ってやることか」という批判も沢山あったかと思いますが、古賀氏がテレビの「予定調和」を壊して真実を暴露したことがいけないのか、政治権力を持つものが言論機関に対して恫喝や圧力をかけるのがいけないのか、どっちがより重要で大きな問題なんだ、ってことを、考えてみましょうよ、と申し上げたい。

古賀さんが番組の段取りを覆した、という辺りだけ噛みつくんじゃなくて、テレビという厳しい縛りの中で古賀さんが何を言いたかったのかくらいは考えてみるべきではないかと思います。

同じテレビコメンテーターの仕事をしている人の中には、「テレビに出ることの責任を古賀はわかっていないのか」的なことをtwitterで書いている人もいました。では、あなた方はちゃんと国民に対して責任持ってコメントしているのか、責任回避するためにリスクを避けていないか、そのあたりがとても気になりました。

そういう人たちの言う「テレビに出ることの責任」って、あくまでテレビ業界側に対する、「出してもらった恩義への責任」じゃないんですか? ギョーカイ人としての責任という話じゃないんですか? ここぞとばかりに古賀さんを叩いてみせる、それはギョーカイ内の処世術じゃないんですか? この辺について、聞いてみたいものだと思います。

【速報】「報道ステーション」終了直後の古賀茂明氏に岩上安身が緊急直撃インタビュー!降板の内幕を衝撃暴露

さて、番組出演を終えた直後のアドレナリン出まくりの古賀さんを、岩上さんが深夜の青山斎場前で、出待ちしてキャッチし、独占インタビューを敢行しました。

古賀さんはインタビューに対し、番組終了後の舞台裏を明らかにし、番組内でアドリブで訴えたかったことは何か、本音をぶちまけました。記事をアップいたしましたので、見逃した方はぜひご覧ください。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/240770

本日は、今年2月に行った古賀さんへの岩上インタビューを会員限定で再配信します! 昨日はこのインタビューをフルテキストにしたメルマガ「岩上安身のIWJ特報!」も発行しました。こちらも、ぜひ、お読みください! 『 国家の暴走』という本を上梓して、古賀さんが安倍政権の危険性について訴えたかったことが、よくわかります。

【昨日発行のメルマガ「岩上安身のIWJ特報!」】
IWJ特報第202号「日本が『戦争なしでは生きられない国』になってしまう古賀茂明氏インタビュー」(その1)

【IWJ特報!のご購読はこちら】
・まぐまぐ:http://www.mag2.com/m/0001334810.html
・ブロマガ:http://ch.nicovideo.jp/iwj
・月額864円、初月無料

ISによる邦人人質事件が最悪の結末に終わったことについても、安倍総理が、日本を米国やイギリス、フランスのような軍事立国に比肩させたいがため、ISに対し強硬姿勢に出た結果によるものである、と古賀さんは指摘されています。

古賀さんには、4月2日に改めてお時間をいただき、岩上さんがじっくりとお話をうかがいますので、そちらも絶対にお見逃しなく! 

※2015/02/02 日本が「戦争なしでは生きられない国」になってしまう――岩上安身が元経産官僚・古賀茂明氏に聞く
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/229813


IWJ 株式会社インディペンデント・ウェブ・ジャーナル
岩上安身サポーターズクラブ事務局
公式サイト 【 http://iwj.co.jp/



風が強いとの予報でしたが、被災四年目が巡り来た福島、穏やかな天候の一日でした。


家を出る時の朝焼けの空に向かって、正当に一日も早い復興の成ること、今だ福島で安住の生き場にいるとはいえない猫たちが守られることを祈り出発する。



今日の積み込みフード。ダンボールの中に500グラム小分け袋が85キロ。



いつものスタート地点。土管の中にフードを置き、おちているコンクリのかけらで猫が出入りできる隙間は開けて蓋をしておく。



電車だ、電車だ、電車!!!
踏切りに来ると、電車の通る合図の信号が!!!
電車が復活したのは知っていたが、実際に走るところに遭遇したのははじめて!!!
ちょっと興奮状態でカメラを向ける。臨場感のない写真を見て、自分の腕のなさにガックリ。
でもいいか、撮れたんだから。







白い壁。
原発事故後4年目となって、新聞やテレビの報道では、放射能で汚れたゴミの黒い袋が町の至る所で積み上げられている様を、『黒い壁』と称していたが、今はこのように白い板で覆われ白い壁となっている。本当の復興のまだまだ遠いことを実感する壁。この壁は福島の人たちが永遠に背負うことになるのだろうか。そんな思いを抱きつつここを走り抜ける。



毎回写真を撮る場所。ここは餌を求めて多くの猫が辿りつくところ。ここに来ればごはんがある。・・・だが、猫たち同士の闘いの場でもあるのだ。飢えに苦しみ抜いた猫たちは自分の餌場を二度と失いたくはないのだ。弱い子は餌を目の前にしながらそれを食べること叶わず去り、おそらく枯れ葉のようになって死んでいっただろう。
私は数え切らないほどの猫の姿を目にし、その多くに二度と合うことはない。遠くの草の茂みの陰から、餌場を必死でのぞいている姿を見て、その子の近くにフードを置いたことも何度もある。次にはその子を見ることはなかった。

これが現実である。猫は人間とは違う、みんなでわけあって食べる、というのは人間が自分を楽にするために抱く妄想だ。生きるものはみんな生きるための闘いをする。厳しい状況であればあるほど闘いは熾烈になる。

だからこそ、私は、『国や行政主導の、猫も犬もほかの動物も生きる土台の組織を作らねばならない』と思い続けてきた。そのためにボランティアをもっと利用して工夫すべきではないか、と。

だが、ついにそれはなかった。
私は今、虚しさと寂しさの荒砂が胸の底や心の隙間に息苦しいほどにつまっているのを自覚しながら給餌に回っている。祈っても祈っても癒える実感を覚えたことはなかった。これからもそうだろう。
弱い者は必ず恐怖と寂しさにもだえながら死ぬのだ。私は(おそらく他の方たちも)、それをずうと見続け、感じ続けてきた。この傷の深さは誰にもわからない。



ぼけていてわかりにくいが、右隅に三毛猫がこっそりと、でも必死でフードをむさぼっている。


この猫くんはどうやらこの餌場のキングのようだ。いつもゆうゆうとごはんを食べる。「キング、ほかの猫ちゃんをよろしくね、みんなにごはんをあげてね」と私は平身低頭声をかけてここを過ぎる。猫ちゃん同士の闘いはそれでいいんだよ、排除精神や闘争心が出て当然なんだよ。そうやって、それでもフードにありつける猫もたくさんいる。とにかく、ごはんはもって行くよ。持って行かなきゃ。食べることが命の根源だ。なにが起こっても、工夫して餌を置く。それが私の必要不可欠な最低限の闘い。



ここはキキのいた場所。前回、解体中の写真を掲載したが、今回は土台だけが残っている形になっていた。作業員さんが隣の駐車場に給餌箱を移動して下さったから安心していたのだが、水曜日行かれただるたにあんさんから、「給餌器が崖下におちている」とのことで暗澹たる気持ちでこの日着いた。すると、崖下のゴミの中に転がっている。
下に降りて写真を撮ったのが↓の状態。



給餌器は結構重い。上まで引き上げるつもりで上を見上げる。おー、高い!
でも頑張って上げる。肩にかついであがろうとしたら、身体がふらついて、また工事のあとの土がすべるのであぶない。結局両手でぶらさげるようにして時間をかけてあがる。



この給餌器、隣家の境の道路寄りの植え木のかげに置き、一応ここにおいた人間の所在を記しておくべきと思い、私の電話場号を書いておいたところ、昨日(3月13日)役場の保安課の方から電話があり、「住民さんが役場に来て、餌やりの箱が置いてあったが困る」と苦情があったとのことであった。
「すみません、対処をします」とお詫びしたのだが、確かここは許可をいただいていると聞いていた場所である。・・・そこでだるたにあんさんや他の方に訊ねたら、現在Oさんが対処宙とのことでひと安心である。とにかく、これまで定期的に餌があったのに、ある時期を境に急に餌がこなくなった、となる猫たちにとったら、つらいですもんね。・・・と、もろもろ考慮していたところ、ここに来ていた猫ちゃんは別の餌場にも行けそうだと情報があり、この件もひと安心である。


ほかに二匹の猫ちゃんが肩寄せ合って生きている某所に、いかにも猫たちを排除しようとしたと思えるある器具がその猫たちのいる場所に指し込まれていて、今、大変気にかかっている。捕獲器を使って保護し、我が家に連れてくるべきか決死の思案をしている。決死の思案など大袈裟な、と思われそうだが、ほんとは決死以上の思案である。
私の高齢という事情、我が家の環境などなど、考えるべきことが多いのだ。連れて来て不幸にしては・・・・・・。

昨日、継母が月に二回二泊三日のショートスティでお世話になっている施設で、私の今後の予定のことで話し合いをとっていただいた。
私が楢葉に月二回、そしてこの春から週に一度どうしても受けたい講座のある都心の〇〇ダイガクに通いたく、それを遂行するために日程を考えていただくためだ。
ケアマネージャーさん、ディとショートの施設の責任者の方が集まって下さった。

これは皆さんと施設に大変な労苦を強いることで、そのことを思うと自分の要求ばかりしていくのは許されないことなのだが、どうしても何とか実行したい私は諦めることができなかったのだ。

継母がお世話になっている施設は、介護に対して、要介護者個人個人への考え方も社会的な考え方も意識が高く、また職員さんはよく勉強されており、県内でも有数の実力、人気ともそなえた施設である。
継母がこちらにきても介護保険を利用して自分の活動は続けたかった私は、まずプロの仕事をされるケアマネさんのおられる事業所を頼り、介護者である私の希望を受け止めていただける施設を望んだ。

ケアマネのSさんは本当に辛抱強く気難しい私の要望と意識に向き合って下さり、素晴らしい施設に導いて下さったのだ。
ある意味私に輪をかけて気難しい継母が心から信頼して安心して愉しく通うようになり、私の給餌の活動も滞りなくできたのだ。
本当に本当に感謝するばかりである。

その上に、突然、週に一回東京に通いたいと言い出したのだ。
どんなにしんどい思いを感じられただろうと思う。
申し訳ありません!

この講座への執着は、それなりに重要な意味があってのことで、私としては体調も完全でなく、経済的にも本当に苦しい中、命と引き換えのような必死の覚悟の行動である。
このことで、準備中だった町で起こそうと思っていた通信の発行は延期した。
とにかく、一年間の講座を受講し、自分の意識や知識や経験等を高めたいのだ。何より”人”に出合いたいのだ。

これは趣味レベルではなく、自分と継母と家族にとっての”利益”、どうぶつたちを守る上の”力”になること、いやそういう利益と力にするべくの決死の選択である。

己の土台が貧しいと、所詮行動は貧しいものになる。
何たって私はもともと成熟が遅れているひ弱な人間である。このことを自覚しながら己を無為に甘えさせてきた。どうぶつは沢山いるし、介護つづきだし、資金は皆無だし、孤独だし・・・と、自分はもお何もできず、ただ野に死ぬのを待つだけだ、とどこか怠惰な日々であった。

体調が悪くてたまらなくなって、ほんとにいつ死んでもおかしくない、と思うばかりの最近になって、突然、雷光に打たれたように、”今を一歩として生き直そう!”と思ったのだ。
思えば、こうした楽天的なトンデモひらめきの繰り返しでここまで生きてこられたなぁ。
多分、これが最後のトンデモひらめきだろう。

フッフッフとほくそ笑みながら入学式を待っている”今”である。
(※ほくそ笑みは嬉しい気分の照れ隠しの表現)
上村遼太くんは、心の成長が高く深い子だったのだろうと思う。
郷里の自然の中で生きた遼太くんは、自身が意識していないその心の成長は、自然や疑いを知らぬ人々の魂に満たされていた。

だが移転してきた新しい住まいの世界は少し違っていた。
これは善悪や是非を決めるために言ってるのではない。日本中の町の多くは生きる方便の範疇の”知”や”物質”が絶対になっている。それが日本の普通なのだ。

その”知”や”物質”の成長こそ成長とされる同じ年齢のこどもの中で、遼太くんの成長の魂は満たされず、より年齢の高いところに寄っていったのではないかと思う。

悲劇は、そこの人たちが、遼太くんの精神世界の高さが自分たちを求めたと漠然と感受して一応は胸を開いたけれども、遼太くんが自分たちに与することのないより高い成長をしていることに気付き、それを妬むようになったことから起きた。

人間の嫉妬や妬みは、他者がもっている物資や栄誉へのそれよりも、自分たちがとうてい持ちえない魂の真っ直ぐさや公正さや愛の深さを持つ者に対しても向けられる。
遼太くんは、そういう存在だった。

物質や栄誉を持つ者への嫉妬や妬みはたいしたことではない。誹謗中傷をしたり、陥れたりすることでおさまることなのだ。ほんとんどがそうだ。

だが、自分の手の届かない魂に対する嫉妬と妬みは、どんな誹謗中傷を繰り返し、窮地に陥れたとしてそこに在る光は消えず、妬む者の心を引きちぎる。

そしてこれでもかこれでもかと妬みの対象を打ち壊すのだ。

こうして遼太くんは、凄惨な苦痛でいたぶられた後に殺された。

遼太くんの恐怖と苦痛に私は永遠に祈る。決して忘れない。
そしてこの恐ろしい現実が、すぐ間近の世間、学校、グループ、ネット内などなど、どこにも起きていることを忘れない。

個々の内にそれがあることを知るのはなお恐ろしい。
だが私たちはそれこそを知らなくてはならないのだろう。幼子や若者や動物たちだけに犠牲を強いていく世界にしたくなければ・・・・・・。

日本人人質救出を求める有志一同さんの呼びかけ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2/8(日)17時から、東京と大阪にて、湯川遥菜さん、後藤健二さんの追悼集会が行われます。


日本人人質救出を求める有志一同

2015年2月2日 — ISISによる日本人人質事件は、湯川遥菜さん、後藤健二さんという、二人の尊い命が奪われるという、最悪の結末を迎えてしまいました。

私たち、日本人人質救出を求める有志一同は、なんとかして二人の命を救ってほしいという多くの人々の思いを可視化し、実際にお二人が無事に生きて帰ってくることを強く信じ、祈ってまいりましたが、その思いは届きませんでした。
もっとできることはなかったのかという悔いと、このような最悪の結末に至ってしまったことに対する悲しみと怒りでいっぱいです。

しかし、私たちはそこで終わってはいけません。
お二人のあまりにも理不尽な死を、決して忘れず、無駄にしないよう、そして二度とこのようなことが繰り返されることがないよう、より良い未来、平和な世界のために行動し、声を上げ続けなければなりません。

現在、ツイッター上では、湯川さんと後藤さんを追悼する集会の呼びかけが、自然発生的に広まっております。

[東京]
2/8(日) 午後5時~ 渋谷駅ハチ公前広場
https://twitter.com/goyou/status/562282568611942401

[大阪]
2/8(日)午後5時~ 難波、道頓堀、スポタカの反対側の橋の上~川べり
https://twitter.com/nuho/status/562290308537278465

湯川さん、後藤さんのことを決して忘れない、その思いを皆さんで表しましょう。
多くの人で、お二人を静かに追悼しましょう。
今回の緊急署名にご賛同いただいた、すべての皆さんに呼びかけます。

改めて、湯川遥菜さん、後藤健二さんに心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

日本人人質救出を求める有志一同

佐藤剛裕 on Twitter
佐藤剛裕 on Twitter
2月8日(日)17:00 ハチ公前広場で湯川さんと後藤さんを追悼したいと思います。 #IAmKenji #IAmHaruna #IamNotABE pic.twitter.com/kulyBizQ4G
http://twitter.com

昨年の12月20日に我が家に迎えたチャク。実は今、思案している。

(下の写真は翌日撮影したもの)


あの後、ずうっと心を開かず、↓この状態である。布団の下は暖房カーペットと、暖房カーペットが切れた時のためにペット暖房座布団が敷いてあり、こうしているのはとても温かい状態であるが、とにかくここから出ないので心配なのだ。

部屋の隅に、トイレ、水、食べ物を置いてあって、私がいない時にはそこに行って食べたり、飲んだり、排泄をしている模様である。


気の合う猫がいて仲良くなったらいいのではないかと、時々、ポクやヨンを連れて来るのだが、双方ともが関心をもたない。

ポクを最初に連れて来た時、チャクがルルルルと喉をならして反応したので嬉しかったのだが、すぐに無関心になった。

こう一度関心をしめしたのは、外からよその猫の声がした時だ。が、チャクを外には出せないのでやがて関心は醒め、以後全く猫にも無関心なのだ。


このことで思ったのは、『チャクはもとは外で生きていて、その頃は気の合う仲間か家族と行動をともにしていたのではないか、それを心ない人間に捕まり、足を傷つけられ、ボランティアの方に助けられて、断脚の手術と治療を受けて我が家にきたのだが、一緒にいた仲間か家族が恋しくてならないのではないだろうか』ということだ。


そう思うにつけ、可哀そうでならず、なんとかここを安心の場所と思うようになってくれたら、と私なりに心を尽くしているのだが、警戒心が強固なのである。


そこでまた思うのである。『慣れるまでケージで世話をしていたほうがよかったのではないか』ということだ。ケージに入れば、警戒していても、いつも互いに姿が見える状態の位置でごはんをあげ、話しかけ、少しづつ身体にふれてなぜることができる。そうしているうちに、じょじょに安心してくれたかもしれない。


今の状態は私に近寄られると逃げることが出来る。わずか六畳の部屋だが、そこの中で警戒心をあらわに逃げる。・・・『ケージに閉じ込めておくのは可哀そうな気がして部屋に放したが、かえって安心ができず、ストレスをかかえる状態にしてしまったのではないか』と思うのだ。


だからといって、無理やり捕まえ今更ケージに入れてはかえって不安を強めてしまうだろう。

心なしか、少しづつくつろいでいるようにも見えるのだ。布団の下で、前足を延ばしていたり、気がつくと私の座イスの下に来ていたりする。

最初の頃は話しかけると唸っていたのだが、今は唸ることも後ずさりすることもなくじいっと私の顔を見ている。



幼い頃、私を生んですぐに他界した実母の代わりに、私を育て守ってくれた祖母が入院して、私はあまり付き合いのない親戚に数日間預けられたことがあったが、あの時の緊張感と祖母を心配する気持ちの辛かったことは今も記憶にある。

チャクの気持ちがあの時の自分と重なる。同じなのだ、と心底思う。