昭和2年生まれの祖母が天に召されました | ちび子の母さんは、いつも眠い

ちび子の母さんは、いつも眠い

早生まれに見えない8歳のちび子と心配性母さんの毎日
キッザニアプロフェッショナル会員@東京です

3月10日の朝。


その日は妹たちと出かける予定があり、出かけようというとき、母からそれを知らせるLINEが来ました。


母の愚痴を書きましたがすごい量になったので消しました驚き


それはそれは大変でしたネガティブ


妹のように全て真に受けていては身が持たない。





ちび子はコロナ以降祖母にほとんど会えませんでしたが、お別れの際も泣いていました。


何度か実家に来てくれたのを覚えていたようです。


「お椅子に座ってた」


と言います。

一歳のお誕生日。


家にもたくさん来てくれました。


後ろで笑っているのが祖母です。


ちび子の真後ろで餅を背負わせているのが母です。


わたしと祖母はちょうど50歳違い。


水着姿で一緒にプールで撮った写真があります。


若くてハイカラで可愛いおばあちゃん。


歌や踊りも上手で、三味線や着付けの先生をしていました。


大学の卒業式の着付けを祖母にしてもらったと記憶しています。


落語と本が好きでパズルも得意でした。


亡くなる直前まで難しい本を読んでいたそう。


スーパーおばあちゃんです。


そんな話を叔母たちとしていたときに、


祖母の好きな島崎藤村の話になったのですが(ある時わたしがAmazonで藤村の本を中古で取り寄せたことがあったんです。おばあちゃんがAmazonを知っていることもいとこや叔母にとっては驚きのひとつだったそう)


隣にいたちび子が突然、


小諸なる 古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ

  •  緑なす 蘩蔞は萌えず 若草も 藉くによしなし」
と、始めたもんだから、叔母たちもだけど、わたしと夫も、まービックリ。

「どこで覚えたの?」

「はなまるがくしゅうかい」

だそうです。

古典を読む活動があるのでその時に覚えたのでしょう。

叔母たちに褒められてちび子も得意げな様子でしたが…

これを書くにあたって、ちび子に、

「藤村言ってみて」

と言ったら、最初は荒城の月、違うよと言ったら方丈記が始まったので、あの時は祖母がちび子に不思議な力を授けてくれたのかもしれません笑い泣き

ちび子は、

「ひいおばあちゃんはじーじゃす(Jesus)のところに行ったの?」

と、言っていました。

クリスチャンの先生のところに毎週遊びに行ってるのでこういう思考になるんだな。親の知らないところでどんどん学んでることに驚き。






週末に式があり、ちび子も参列しました。


祖母の手を握り、お花も入れました。


同い年のいとこと一緒におこつも拾いました。


亡くなったばかりの祖母と対面した姪は最初かなり戸惑っていましたが、式の時はとてもしっかりしていました。


賛否あると思いますが、わたしはちび子には隠すことなくこういうことだと伝えたいと思いましたし、妹もそうだったと思います。


ちび子も姪も怖がることなくしっかり受け止めてくれたと思っています。








父方の祖母がコロナ禍に亡くなって3年半です。


あのときまで祖母の命は永遠だと思っていたわたし、また同じように永遠だと思い込んでしまいました。


12月にインフルエンザになり会えず、リスケもせず、春休みに会いに行こうなんてのんびり思っていたので、会えなくなってしまいました。


土日しか時間がないので、土日に行きたいと言ったら、母に土日はダメと言われていたのは確かにあるのですが…本当にダメだったのかちゃんと周りに聞けば良かったな。


本当にふたりとも、体調が悪くなって3日くらいで眠るように息を引き取ったのだそうです。


両家の祖母はお互い会いたがっていたそうですから、天国で楽しく話をしてほしいなと思います。


でも、わたしも大好きだったおばあちゃんたちにもう一度会いたかったな。


今日は久しぶりに出勤しましたが、職場に行った途端、心に鉛があるみたいに重い気持ちになり、この比喩は本当なんだなと、最初に言い始めた人はすごいなと変な感想を持ちました。


あ、わたし、やっぱりとっても悲しかったんだな。


母といると、悲しむことも泣くこともできないので、言葉にするのは大切だなと思いました。