何故秩序が好きなのか? | やっぱり一人が好き

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 何年も日記のようなブログを書いていると、私の悩みは、一人でいるか、ワイワイするのかで揺れていると思う事がよく分かった。

 まさにその点が私の心のわだかまりであるし、辛いところである一方、生きている証拠でもあると思う。


食いしん坊。
元気で何より。
私も、とにかくお腹が空くと、ドカ食いするけど、こんな感じなのかな?

でも、いい年して、ドカ食いは肝臓にわるい。

ところで、最近、小学校の二年生のクラスの補助に入った。

担任の先生は、そんなに優しくないよ。
静かにしないとか、早く進まないようにとか、色々秩序を保つ。

当の生徒も笑いながら、それにしたがう。

周りには、特に秩序はない。

頭がいいとか、足が早いとか、容姿がよいとか、大体いつからこう言う発想になるのだろう。

よい大学に行きたい。

綺麗でいたい。

もちろん、小学校2年でも、だいぶ大人な感じがするけど、そんなに争いはない感じもした。

何れかに優れないと、誰も相手にしてくれない。先生も友達もそして親も。

私は、前にも言ったが、中学生位まで、そう言う秩序というものが、世の中有ることを知らなかった。

目の前のことを毎日文句を言わずやっていた。

でも、ある時、この人は、スポーツができる、この人は、頭がいい。

そして、高校の進学にも影響が出る。成績が悪いと、良くない高校に行くんだと。

私は、まあ、そんなに悪くない高校にいったが、別に、勉強なんか全くしなかった。

高校に入り、今度は、大学というのがあるらしい。高校と違い、当時は、浪人生も沢山いて、どこの大学も入るのが難しいと聞いた。

隣の頭のいいお兄さん、私は、ほとんどあったことないが、早稲田に行ったので、その際に予備校に行かないと無理だときいて、父親は、予備校に行けばと言われた。

私も、随分勉強が遅れていたので、予備校は楽しかった。

ほぼ、毎日勉強した。

最初は点数も良くないが、一年もしたら、とてつもない成績になった。

今となっては、どうでも言いはなし。

一人で、居られるためには、勉強するのは悪いことではないと分かった。

一応、仲のいい友達はいたが、高校でも別に、一人でも問題なかった。

誰からも一目置かれていたし、別に、周りに興味もなかった。

日々、何か新しい勉強が楽しかったかな?

小学生二年生のとき、私も、多分、皆と足並み揃えて、何が出来るでもなく、ただ、生きていた。

あまり、話さない生徒だった気がする。

先生も、それなりに怖かったが、怒られたりもしたが、別に、常識の範囲外の事はなかった。

ある生徒が、「先生パソコン教えるの?」とか、私に興味をもっているようだった。

「先生見て~」

その時、少し思い出した。

「これ、あの頃、こんな経験したかも」と。

もちろん、当時は、パソコンもない、でも、授業なんかこんな感じだったかも。

成績はあった。

そんなに良くは無かったが、別に、悪くもない。

優秀な生徒では無かった。

別に、それの方が良かったのかも。

あの秩序のない学校生活は、非常に貴重な経験かも。

引きこもる生徒も、やっぱり、無秩序から秩序のある世界に入るときに起こるのかもしれない。

この場合の秩序とは、先にも述べたが、頭がいいとか、運動できるとかそんなもの。

下らない、ランクをつけて、一体何が楽しいのだろう。

中学にでも行けば、今度は、少し悪い方がいいとか、そんな話ばかり。

なんとなく無秩序のまま、適当に過ごせる環境って大事だと思う。

大人への変化と言えば、聞こえが良いが、実際は、下らない社会的秩序や認知という、蜘蛛の巣に引っ掛かっているだけ。

私には、不要な世界。

そんな「まとも」に生きていることが、正しく無いことにも気がつかずに、生きているから、小池百合子も当選するんです。