二回目の忘年会 | やっぱり一人が好き

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 何年も日記のようなブログを書いていると、私の悩みは、一人でいるか、ワイワイするのかで揺れていると思う事がよく分かった。

 まさにその点が私の心のわだかまりであるし、辛いところである一方、生きている証拠でもあると思う。



 これ、TULLY'Sで、売っているのだが、かなりうまいと、前から、言おうと思ったけど、横浜のTULLY'Sに最近、置いていない。

 千葉のTULLY'Sにはあって、良く食べています。

 昔、おさつスナックと言うお菓子があって、あれより、濃厚で美味しい。

 やっぱり日本人は、お芋好きなんだよね。

 千代田鮨というテイクアウトお寿司を売っている店(JR系?)で、大学芋売っているんだけど、これが、また、上手い。

 JR系って、美味しいものが多い。

 仙台は何処も美味しいけど、駅前のメトロポリタンに泊まったときの朝食は美味しかった。

 JR系は、結構何処でも美味しくて、流通が盛んだからかな?


 また、仙台にもいってみたいです。


 ところで、また、忘年会で、お金を使ってしまった。

 しかも、今回は吐いてしまい、これ、多分、三年ぶり位かも知れない。

 なんか、色んなもの飲んだ。

 いやー、ほんと、もう、二度と飲まない🍷。


 と、何度も何度も思うのに。

 私は、最近、飲まないというか飲めない。

 150年前のお酒の話をしているのではない。




 こういうのは、お酒でなく、歴史を飲んでいるんです。

 その頃の蜂蜜の味、ハーブの味がして、「あ~」と唸るわけです。

 とにかく、酔っぱらうというのは、もう、三年なかったなー。

 ジムの人に呼ばれて飲んだときも、ショット20杯位で、吐くことはなかった。

 飲みたいとも思わない。

 年齢には勝てない。

 よく、うちの父親は、夜ごはんというかつまみを食べながら、ビールを飲んでいました。

 まあ、一本位かな?

 彼には、彼なりの飲み方があった。飲みに行くというのは、死ぬ前は無かった気がする。

 私が、中学生くらいの時、近くの焼き鳥の店につれていってくれた。そのときは飲みに行っていた。

 手羽先が美味しくて。


 私は、ジュースだったけど。


 父親は、飲みに行く口実として、私をつれていった気がする。


 なに不自由なく、与えてくれた。


 先週金曜日は命日だった。

 ちょうど休みだったが、ジムの予約があったので、行けず、今週は金曜日休みなので、お墓参り行こうかな?

 なんて、考えている。


 秋だよね。冬の時期だが、秋。

 
 秋は、イロイロ思い出す時期。


 ワイワイ騒いでいたこと。でも、もう、そんな元気もないのに、騒いでしまうと、ひどい目に合う。

 最近は、騒ぎたいとも思わない。

 ゆっくり時間は過ぎて行く。

 世の中は動的な波が好きである。

 人々に平穏で無事な生活をさせたくないのが、世の考えること。

 人の平穏を阻害することで、商売が成り立つ世界。

 そう言うのそろそろやめにしたらどうか?

 お金って、ガヤガヤしたところに集まると思う。

 何かの才能なんて、思っていたら大きな間違い。

 ガヤガヤしているわけ。

 テレビなんか、その一つ。


 平穏とは程遠い。


 だから、人は、ガヤガヤして、振動して、そして、死んで行く。


 そして、ガヤガヤさせる奴らがいる。

 そこに金銭的価値があるから。

 だから心が落ちかない。

 生きていくのが辛くなるのである。

 正解が金のある方に流れて行くから、平穏にしているのは、不正解というレッテルを貼られる。

 しかし、実は、逆。

 平穏でいたいなら、金のこと、生活の事をまず、最小限にすることだと思う。

 私には、難しいが、今は、平穏でいたいと、心から思うから、お金の事を考えないように私は、心がけている。

 

 とと?とか言うのか、知らんけど、毎週900円買っている。

 12個中、黄色の部分が6個当たっていて、あと一つで、700円くらい手に入るという、いかにも詐欺のくじ。

 これしかも、こんなに黄色があったのは、今まではじめて。

 為替とか、ガヤガヤして、しかも、儲からないし、辞めたので、少しだけガヤガヤは、残して置きたくて、定期購入にしている。

 自分の口座に1,200,000,000円入るなんて、かんがえるだけで、興奮する。ガヤガヤする。

 入る確率は、1500万分の1。

 ジャンボ宝くじより低い。

 保険と同じ。

 保険なんか、全て詐欺でしょ。

 でも、みんな、やってる。

 それと、同じ。

 全く、自分のガヤガヤを無くすのは、難しいから、それで、こうしてる。高いと思うかもしれないけど、たばこに比べたら、安いもの。

 一回考えたんだよね、タバコ止めて、毎日このくじを買うかどうか。

 そうしようかな?

 で、12億はいったら、どうする?と、考えたりした。

 いっそ、全てさらけ出して、命の危険を感じて生きていくのも、ありかな?とか、思ったけど、さすがにそんな勇気は持ち合わせていない。

 私の場合は、年も年なので、ゆっくり使います。

 不動産もいらないし。

 行きたいところ行って、そこで、ごはん食べて、ダラダラ過ごしたいな~なんて、考える。

 ただ、仕事は辞めますよ。確実に。

 するわけない。

 何もしなくてよい幸せ。それを、満喫するとおもう。
 しかし、一年くらい経つと、私の視点も換わり、多分、お金があるからこそ、出来ることをやり始めると思う。

 そして、そのため、崩落する可能性もある。

 何もしないということは、これまた、きついこと。

 適当に仕事するか、会社でも作って、適当に生きて行くか。なんて、なるであろう。

 私は、確実に今は、お金の為に仕事をしている。


 その必要が無くなって、好きなことできることになったとき、何をするの?何を残すの?何ができるの?と考えたとき、お金で出来ることがどうも限られているのではないかと思い始めた。

 人が群れるのは、万人に受ける為でなく、何処か自分の存在価値を見てもらい、認めてもらいたいからそうする。

 私は、そう言う価値が見いだすことが出来ないというか、人からの称賛など、興味もないのである。


 だから、群れるのも嫌だし、誰かに誉められたいとか思わない。


 そうなると、何の為に生きているのか?ってなる。

 
 金が、無いからこそ、自分の存在の意義が、あるなんて、気がついたのは、最近である。

 
 本当に、最悪である。


 でも、そうでしょ。


 高校生がこうなりたい、ああいう大学に入りたいとか、全部金でしょ。金。生活。

 そして、ほんの少しの承認欲求。


 ガヤガヤした人生になるのは、「わたしは、こうなりたい、ああなりたい」なんて、考えているその時点から、もう既に決まっていたこと。

 だから、酒もいる、精神薬もいる。自分で、ガヤガヤさせているのに、その原因に気がつかない。

 そして、そうさせているのが、今の世界。


 決別の時である。

 「何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも,感謝を込めて祈りと願いを献げ,求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば,あらゆる人知を超えた神の平和が,あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう」
フィリピの信徒への手紙 4:6,7

 今の時代、思い煩うというのは、お金のこと。

 それを全く、考えず、神に打ち明けなさいというと。そうかんがえると、この聖書の言いたいこともグサッとくるはず。

 マタイ第6章
25それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 
26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それなのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
 27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
 28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
 29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 
30 今日はえていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
 31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
 32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
 33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
 34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

引用終り。


 もうすぐ到来する、信仰の時代。

 信仰とは何を信じるかの選択ではない。なんだっていい。
 信仰とは、世界の糞みたいな価値観から自由になることである。


 そう言う意味では、昔の信仰とは、違うかもしれない。

 
 あまりにも今の世の中、嘘が、多すぎて、詐欺師が多すぎて、そして、それらを、礼讚する世界である。

 もっとまともになるために、信仰が助けてくれるはずである。


 そして、それは、本を読めばよいだけの話。

 聖書でもいいし、仏教の本でも良い。

 どんな本でも、ネットに落ちている。

 こんなよい時代でもあるのです。

 ガヤガヤから脱したいなら、そうするしかないのである。