この次こそ、と思うのは高校生までだとか | 夢みるバク

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日々、安らかに眠る為に・・如何に生きれば良いか、
恥ずかしながら、この歳になりて漸く気付きました。

好物が食べられる喜びは大きい。

大腸の時も、胃の時も、前立腺も、検査の際も、手術の際も、
様々な食事制限や、絶食や五分粥や三分粥なども経験した。

その時を思えば、今、何と幸せな毎日か。


牧師夫妻から年賀カードが届いた。

「外出一時間以内の生活が続いた」と書かれてあったが、
子供たも大人も、〇〇さんのクリスマスカードは一年の楽しみでもあると書かれてあった。

そう書かれれば、今年も書かなくてはならないだろう。



余計なことを考えない、心配などしない人ほど人生は好転すると言う。


人生はそんなに難しくはないし、複雑に考えたところでいつかは「終焉」を迎えます。

だからといって、適当にやり過ごすのではなくて、
余計なことを考えずにひたすら進んでいくことで、余計な心配などをしない人になれる。


何かを達成させるためには「余計なことを考えない精神」は本当に大切。

「また挫折した……」とか「次こそはきっと……」みたいなことを言えるのは高校生まで。

大の大人がそんなセリフを頻繁に言っているようでは、何時まで経っても同じことの繰り返し。

これは、私自身に言い聞かせている言葉。


「考える葦」という言葉のとおり、人は思考する生き物。

それゆえ暇があると、良くも悪くも、いろんなことを考えてしまいます。

時に、過去を振り返り、後悔を思い出しては悩む。

未来のことを考えては、余計な不安や心配をするようになって悩む。

自分のこと、友人のこと、仕事のこと、家族のこと、将来のこと。

暇があると、いろんなことを考えてしまいます。


歩く道を探すから悩み苦しむ。

かまって欲しいから悩む、かまって上げることを優先すれば悩まなくて済むのです。


悲観的だから悩む、楽観的になれば悩まない。


持つから悩む、持たなければ悩まない。


待つから悩む、待たなければ悩まない。


完全な人間を目指すから苦しむ、不完全な自分を受け入れれば悩まない。

失敗を引きずるから悩む、失敗をバネにしようとすれば悩まない。

建前で生きるから悩む、本音で生きれば悩まない。

相手を変えようとするから悩む、自分が変われば悩まない。

物にお金を掛けようとするから悩む、頭にお金を掛ければ良い。

愛されようとするから思い悩む、ただ一途に愛そうとすれば悩まなくても済む。


全てはこのオヤジに足りない所なのです。

人の心の満腹は限も無く遠いですね。

さてと、重曹水でも飲んで、楽しい夢だけをみましょうかね。