大和国の春日めぐり⑥ ~春日大社 本殿回廊~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

春日大社の参道をぬけ
本殿へと
はいってゆきます。



本殿は、
四方を回廊に
囲まれていました。



一般参拝できるのは、
南門はいってすぐの

幣殿(へいでん)と
舞殿(ぶでん)が
ひとつになった建物からです。



ここから先の

本殿前までゆくには、
特別参拝料がかかります。

もちろん、

参拝させていただきます。

はいってすぐ、
本殿南には
末社が4社ならんでいました。



それぞれ、
井栗(いぐり)神社
穴栗(あなくり)神社
辛榊(からさかき)神社
青榊(あおさかき)神社です。

 



これらはいずれも、
一之鳥居から
南に3キロほど下った

穴栗神社からの
勧請だといいます。



穴栗神社は
第12代・景行(けいこう)天皇の
時代からつづく古社であり、

春日穴咋邑

(かすがあなくひむら)に

あったといいます。

ですからもとは
穴咋神社だったとも
言われているようです。
 



祭神には
高御産霊尊(たかみむすび)も
いることから、

この地を治めた豪族か
古代の皇族や大臣を
祀っていたのではないでしょうか?

春日大社の
南にある古社の分霊を
本殿の南で祀るというのも

面白いですね。

またこちらにも、
小豆が供えてありました。



さて、
本殿へと向かいましょう。

 



この中門のおくに、
本殿が4つ
並んでいるといいます。

東から、

第一殿には
武甕槌命(たけみかづち)、

第二殿には
経津主命(ふつぬし)

第三殿には
天児屋根命(あめのこやね)

第四殿には
比売神(ひめがみ)
が祀られているといいます。



これを

天児屋根の系図でみると、

第1殿には

義父が、

 

第2殿には、

母方の伯父が、

 

第4殿には、

妻のヒトリ姫が

祀られていることになります。

この四棟は
すべて国宝だそうです。



ただしこれは
古いものではなく、

式年遷宮のように
20年毎に
作り替えられているものだといいます。



手力雄(たじからお)神社
飛来天神(ひらいてんじん)社は、
本殿の東にあり、

遥拝所から参拝します。



天手力雄神(たぢからお)
といえば、
天岩戸をおしひらいた神様です。

飛来天神社には、
天御中主神(あめのみなかぬし)が
祀られているといいますが、

このならびにいらっしゃるには
あまりに偉大で

原初的な神様です。



一般参拝をする
幣殿の北は
林檎の庭とよばれ

林檎の木が
植えられています。



かつてはこの木の

結実によって、
豊作を占っていたそうです。

この林檎の庭に、
樹齢千年をこえる
杉の巨木がそびえています。



樹の根元には
岩本(いわもと)神社があり、
住吉3神を祀っていました。




和歌の神様としても
祀られているそうで、

ホツマツタヱ的には
カナサキ翁のことかも
しれませんね。

ここから
本殿の西側へ
まわってゆきます。

 



風宮(かせのみや)神社です。

級長津彦命(しなつひこ)
級長津姫命(しなつひめ)
という風の神を
祀っていることから、

ダイキンなどの企業が
尊崇しているようです。

この社の脇は、
七種類の植物が

共棲する聖地になっており、

 

 

七種の寄木

(なないろのやどりぎ)

とよばれていました。

 



本殿の真うしろにも
末社がならんでいます。

 

 

こちらは
後殿といわれ、
奥から順に、


八雷(はちらい)神社
栗柄(くりから)神社
海本(かいもと)神社
杉本(すぎもと)神社
佐軍(さぐん)神社
 

というようです。



気になるのは、
火酢芹(ほすせり)さまが
いらっしゃることでしょうか?

ホツマツタヱでは、
海幸彦(うみさちひこ)

されています。

海幸彦は、
隼人(はやと)の始祖とも
いわれていて、

隼人はしばしば、
朝廷に反乱を起こしたようです。

七種の寄木のちかくに、
椿本(つばきもと)神社が
あるのですが、



こちらで祀られる
角振神(つのふりのかみ)は

 



別名を
角振隼総明神
(つのふりはやぶさみょうじん)といい、
スセリの子だといいます。

悪しき天狗法師を
祓う武神のようですが、

 

「隼」の字が

気になります。

 

さらに参道には、

隼(はやぶさ)神社も

あるといいます。

春日大社は隼人とも
関係があるのでしょうか?



こちらは
藤が美しいという
多賀(たが)神社です。

滋賀の多賀大社
勧請でしょうが、

ここでは
延命長寿の

言い伝えがあるといいます。



大仏殿再興の祈願をする

老いた僧侶の頭に、
葉っぱが1枚

落ちてきたといいます。

そこには、

虫食いによって
「莚」という文字が

浮かんでいたそうです。

 

それを、

『廿延(にじゅうのびる)』

という神意だと受け取った僧侶は、

 

それから20年かかって

見事に再興を成し遂げ

静かに息を引き取ったといいます。

ここに捧げられる

多賀絵馬には

その「莚」の字が

浮かぶのだといいます。

それでは幻想的な
藤波之屋(ふじなみのや)へ
ゆきましょう。



春日大社は
燈籠(とうろう)が有名で

平安時代から
現代にいたるまで、

数多くの灯篭が
奉納されたといいます。



春日大社では、
年3回
すべての燈籠を灯す
「春日万燈籠」が

行われているそうです。

 



その万燈籠を
いつでも感じられるようにと、

神職の詰所であった、
藤波之屋を解放して
鏡をめぐらせ、

幽玄世界を
描いたといいます。



このほかにも、
宝庫や直会殿など、

さまざまな見どころがあり、
特別参拝料以上の
価値があると思います。

 



ですが、
なかでもとりわけ、
春日大社の霊威を感じられるのが、

回廊の鬼門にある、
御蓋山浮雲峰遥拝所
(みかさやまうきぐものみねようはいじょ)です。

 



奈良時代のはじめ、
平城京の守護として、
 

鹿島明神である
武甕槌命(たけみかづち)を、
御蓋山にお迎えしたのが
春日大社の創建だそうです。



それがのちに、
白鹿の背に乗って
御蓋山に降臨したともいわれ、

春日大社の
神奈備山として、
現在でも禁足地に
されているといいます。

 



ですから、
奈良の鹿は
すべて鹿島(茨城)から
きたとも言われています。

また後年、
社殿をかまえる際に

香取(千葉)から
経津主命(ふつぬし)を、

枚岡(ひらおか)神社から
天児屋根命(あまのこやね)と
妻の御霊を勧請したようです。

 



もちろんその
平城京守護に尽力したのが、

 

天児屋根の子孫であり、
中臣(なかとみ)氏の末裔である
藤原氏です。

藤原氏の栄華によって、
春日大社の社地も

大きくなっていたっといいます。



さらに、
京都に遷都後も、

東には
吉田(よしだ)神社、

西には
大原野(おおはらの)神社をおき、

藤原氏は
春日明神を祀ったといいます。

 



ところで、

御蓋山の山頂付近には、
本宮(ほんぐう)神社があるといいます。

 

この遥拝所の

真東に位置します。

春日山練成会に入れば、
年4回、
この山と神社への

登拝が許されるといいます。

これはいずれ
参加してみたいですね。

 

 

 

大和国の春日めぐり⑦ へ つづく

 

 

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