🔵陸に住む哺乳類の涙だけを養分にして成長する蛾がいるという
あるとき表参道で人を待っていると蛾に声をかけられた
蛾はちいさなボストンバッグひとつでわたしの自宅に転がり込み、その日から一緒に暮らすことになってしまった。
蛾はおなかがすくとわたしをゲオに連れて行き感動もののDVDをポンタのポイントで散々借りさせて無理矢理に涙を流させる
スプラッタ映画をたくさん借りてくるためにコツコツと溜めていたポンタのポイントが無残にもお涙頂戴ストーリーによって消費されていく。
狙っているのは感動の涙だと鼻白んでいながら、くだらないとおもっていながら、わたしは見ずにいられないのだ、そして一度見せられると泣かずに見ていられないのだ。
「動物が辛い思いをするやつと好きな人が死ぬやつはダメなんだよう」わたしは止まらない涙を顎にあてがわれたじょうごへ流し込みながら真っ赤になって蛾に抗議する。
蛾はじょうごの先、涙が溜まってきたビーカーの中で涙を飲み込みながら満面のドヤ顔をして黙っている。
またある時、蛾はハンバーグ作りを提案してくる、「ハンバーグには欠かせないよね」とゴーグルなしで玉ねぎを大量にみじん切りさせ、無理矢理に涙を流させる。玉ねぎを極度に冷やしてツーンとしないように試みるもそんな裏技はすでに蛾にとっては想定内なのだ。さあみじん切りになりなさい。落ち込んでもいないのに、鼻がツンとして涙が止まらなくなっていく。顎にじょうごをセットされたわたしの顔の下で、蛾はビーカーの中で楽しそうに涙をなめる。
意地汚いことに蛾はわたしが仕事で失敗するようにわざと鞄の中の資料にいたずらしたりする。職場で上司からカンカンに怒鳴られて嫌味を言われたのち、自宅に帰って思わず顔をしかめると、蛾は待ってましたと言わんばかりにわたしの顎にかぶりつき、溢れる涙をあつめる。
「俺はそれしか飲めないんだから」と蛾は言い訳がましくいう。
蛾を英訳すればかつて破壊を意味する動詞でもあったのだ
蛾はわたしの生活と感情に浸潤し、わたし自身の精神を破壊し、食いつぶしていく…
というのもわたしはすでに、蛾の存在なしには生きてゆけぬ体になってしまったのだ、蛾が涙を流せとわたしに命じるとき、わたしは無限の開放感と安堵を得られるのである。
こいつが突如わたしの前から姿を消したとしたら、その時は蛾にとっては有り余るくらいのごちそうをふるまってやれそうだが、その時にはわたしの涙は誰にも必要のない体液と化しているだろうと思うので、わたしはそのことについては言わないでいる。