詩をやる理由 | ぴいなつの頭ん中

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殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

たったひとりのために詩を作り続ける人や、つくらないと生きていけない人、それを上手にあつかう人、などにふれて、


自分はなんで詩を書こうと思ったかを思い出そうとした。


それは誰か好きな女の子が詩を書いていたとかいう憧れだったり、ひとと自分の考えていることがけっこう違うなって思ったり、見えてるものが違うことをうまく言葉で説明できなくて、でもそれはとても綺麗だったとか、それはすごく恐ろしかったとか、そういうことをうまく伝えたくて、始まったことだった。


見えてるものが違うと言ってもなにも幻覚を見てるわけでもなければ色が違うわけでもない。

同じ映画を見てもどこの場面が印象に残るかとかどの点に着目するかが違うとか、その程度。

同じ道を歩いてもサクサク前を向く人もいれば飛んでる蝶とか看板とかをいつまでも見ちゃう人がいるのと同じ。


そのうち、詩とか文章を形にして人前に出すと同じようなものを好きだったりする友達ができることがわかって、たくさんの人と出会いたくて、(でもそんなに人と喋れないけど)作品を作るついでに友達を作りにいくような感覚になっていった。

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やっぱりもっとたくさんの人と会いたいし話したい、価値観は一つではないのだ、景色は一つではないのだ、そしてそれらのうちどれが正解でどれが不正解だとか、そういうのもないのだ、と再確認したい。それができなくなると、怖くなってまた部屋に閉じこもる生活になりそうで恐ろしい。


評価されなかったとしても、うまくできなかったとしても、うまく伝えられなかったとしても、世界は味方で、価値観がたくさんあることは素敵なことだと、時々再確認するために、わたしは作品を作ったり見たりしたい。生きるために食べるのと同じくらいそれはわたしに必要なことなのだと思う。