音声ワープロ | ぴいなつの頭ん中

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殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる



夜勤明けのイェルサレムではコンソメパンチがよく売れる。夜勤明けの祈祷者たちの体臭が要約するとコンソメパンチの揚げ油の香りだからだ。この香りをかぐと否応なくコンソメパンチが食べたくなるのである。自分の、洗わないまま働き続けた、汚れた細胞の匂いであるにもかかわらず。私は、皆様に言えないような罪を犯しました。そんなの調書には書いてはいけない。実際には言っていないことだからである。
寝たきりでも文章が書ける。寝たきりでも文学作品が楽しめる。寝たきりでも音楽が聴ける寝たきりでも本は読める寝たきりでも考えたり話したり仕事をしたり、論文を書いたりすることが出来るようになってしまったのだがいつの間にそうなってしまったのだ、どうしてこんなことになったんだろう。手足が自由に動いていつでもどこでも自由に行ける私のような存在が、全てをなくし一旦諦めてまた這い上がってきた寝たきりのあの子に負けてしまうんだ。あの子は病院のベッドでいつもいつも考え事をしていて、今を生きるのに精一杯で何も考えていない私なんかよりずっとずっと考え事をしていて、私はいつだってずっと負けてしまう。どうしようもなく負けてしまう。あの子は手足ももう動かないのに。視線と声だけを使って機械を操ってそれで何でもできる。そんな世の中になってしまったから、私よりずっと辛いことたくさん乗り越えてきた、たくさん経験してきたあの子は、恵まれた環境にもかかわらずそれを生かすこともなくダラダラ生きてきた私なんかよりもずっと遠くにずっと遠くに行ってしまう。これがもし何十年も前のシチュエーションだったら、多分あの子は絶望してそのまま刺激のない生活をして、私は自由に動く手足を無駄遣いしながら持て余しながらそれでもあの子よりは素敵な人生を生きるであろう、いろんなところに行っていろんな楽しい体験をして。
でもそんなのは作られた誰かが作った虚構の上に乗っかって遊んでいるだけ。ただの表面的な楽しみ。全部虚構に過ぎないのに。手足が余ってるから……恵みが?恩寵が?余ってるから。自分に与えられたものを有効に使うことができないまま、限られたあるものを使いこなして生きるあの子に負けてしまう。
私はポテトフライの匂いを体じゅうから吹き出させて、あの子のことを考える。そしていにしえの偉人の、手が頭の回転に追いついていないために、一見きたない字が散らばってるだけにみえるノートを思い出す。あの偉人が、あの子の使っているような音声ワープロ機能のある時代に生きていたら、たぶん手で文字を書くなんてしなかったのじゃないだろうか。
あの偉人の時代に、そんなのがなくてよかったと思う。そんなのが早くから発達していたら今頃人類は手のひらの代わりにペンギンみたいなフリッパーを両腕の先からぶらつかせているだけの木偶になっていただろう。わたしはあの一見きたない字が愛おしいのだ。私と何も繋がることのない天才の、唯一と言えるほどの親しみやすい部分を感じるのだ。

退化してまで生きていたいだろうか

きたなさは親しみを呼び寄せる。度が過ぎたきたなさは人を遠ざけるけれど、ちいさなきたなさは親しみやすい印象を与える。 美しくても彫像とセックスしたいと思わないのと同じように、わたしはすこしくらいきたなくしている物事をあいする。