キラキラ女子ごっこ2 | ぴいなつの頭ん中

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殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

今日のバスの運転手さんはたぶんベテランの魔法使いだ。
私はまんまと、元気と1000円をチャージさせられた。その手つきはまるでファンタジアの魔法使いのようで、弟子の私は早くこいつが眠りこけないかなと魔法を勝手に使うタイミングを探っていた。
でも運転手が眠りこけたらバスの運転はどうするの?チャージの魔法に惹かれただけで、運転なんぞ(できるけど)やらない私にはその後のことは責任持てない。ベテランだってついらくすることがある。私はベテランどころか、何についてもにわかでただ、時をかけたいだけの少女。

少女でもない。もうおばあさんになってしまうのだ。18を過ぎた、太宰の世界の女たちが口を揃えてあたしなんかおばあさんですので、と言うのは、アラサー女子がおじさんになるのとおなじように、おばさんになることを何よりも恐れているためだ。おばさんになることを何よりも恐れているために、おばさん以外だったらなんでもいいって思うわけさ。だけれどわたしは少女じゃなければおばあさんでもないおばさんでもない、オバチャンになりたい。大阪じゃなくてもいい、傲慢で強欲で運命よりも生活を選んだオバチャンになりたい。それが社会として平常なのならば。

私がよければなんでもいいから民主主義も貨幣経済もドロップアウトしてやるぜ、とか言ってもそれが蔓延ってるのは私の大好きなご本の中でのお話で、あめゆじゅとてちて…って言える兄もいないんだしいたとしても不幸に死ぬだけなら春耕雨読ってどこでなら実現できるのか烏賊とか鹿とか馬鹿に聞いて回りたい。

社会学の本を読んでSFの気分でもあって、両者の相性はラブラブばっちりだそうなので社会について考えるこの頃である。最果タヒさんのかわいいの小説はとてもとても面白かった、SFも社会学もトモダチということばのうす・さら具合も全部抱きしめてかわいい魔法少女で包んでいた。可能性と未来と社会のはなし。人間がつくったものすべてに善悪はなくそれを使う人次第でお役立ち道具にも凶器にもなるのだと。ロボット安楽さんはあかりちゃんが友達だったからうれしくいられたのだろう。
宮台真司さんの14歳からの社会学を読んでからこのタヒさんの小説を読んだのでそういう意味で強いメッセージを受け取った。

追いついてこられたと、踏まれたと、思うのなら、逃げなくちゃ。さっきとは全く違う話ね。自分を踏んだ人の靴跡にとんでもないうれしみが最高がヒントがしあわせが詰まってる可能性も高いので、人について詳しくなるのはよいこと。