over the party、踊れ | ぴいなつの頭ん中

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殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

もともと好きなものは陰湿に隠密にこっそりぼそぼそ好きでいるたちだし好きな人のライブに行くのなんていうのももともと得意じゃないし、欲を言えば私のためだけの客一名のライブなら大喜びでものすごく遠くからで一人でニヤニヤしながら見ますよという感じなのだけれど

20歳くらいからライブというものに行くようになって小さな箱ばかりだけどだからこその距離の近さがよかったり怖かったりして。

演奏があまりにもいいと、なにも話したくなくなってしまうのはなぜなんだろう。思いはたくさんあるのにそれが一個も言葉の形をしていない。

初めて彼女を見た時にまだ弾き語りのひとも今ほど見たことがなくて、わたしは演奏する彼女の目の前で、最前で、なんか熱心に見たい人とそれほど見たいわけじゃない人の隔たりの壁がある下北沢threeのこちらがわで、こちらがわには太ってフウフウいってるおっさんと私のふたりしかいなくて、なんだか、こちらがわの私たちはとてもかわいそうで、かわいそうで、でも、この世で一番濃いかわいそうだった。他にも何個もライブは見たけれど、あれ以上にかわいそうが凝縮された心地の良いライブはなかったな。凝縮されたかわいそうを空に浮かべて発散しきった彼女は、全国的に知られるようになって、私のipodにも彼女の曲がいっぱい入っていて、くやしいくらいに心をつかまれていて、でも他のたくさんの彼女のファンと同じだなんておもいたくなくて、やっぱり誰かと共有することなく、陰湿に隠密に彼女を好きでいる。

生活の中でふと、他人から、彼女の名前を聞くと、体がカチカチにこわばってしまう。私の心の中でガチガチに育てている、誰にも見せたくない『私と彼女の空間』をばれてしまわないように、そんなに深く好きじゃないふりをしてしまう。かろうじて、「すっごく好きなんですよー」と軽く口にすることはできるけれど、それ以上のことはできない。好きなものの良さを素直に語れるひとは尊敬してしまう。私は神の名を口にすることをも懼れる昔のカトリック信者みたいだ。

彼女が有名になってから2回、ライブに行けたのだけれど、二回とも涙が止まらなかった。わーわー泣き叫んでしまった。恥ずかしいし、おかしいのはわかっている。でもとめられない。爆発してしまうから、ライブに行くのが怖いということもある。私はまだ、流れ出すことを恐れている。

伝わらなくてもいいから好きでいたいとかいいつつ、こっそり彼女にだけ伝われば良いのにと思っている。誰よりも好きでいると胸を張って言えるほど明るくないから、誰よりも陰湿に彼女を好きでいよう。