海の家 | ぴいなつの頭ん中

ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

たいしてお金持ちというわけでもないのだけれど、両親の趣味で、夏の間だけいる海の別荘があって、そこで焼きそばとか焼いたりシャワー貸したりして夏の生計を立ててる。
別荘のある街は両親の育った街で、ふたりは幼馴染だったそうだ。

お母さんは病気でとっくに死んでいる。すっごく厳格なお父さんにいつもはたかれて、しゃんとしろ、って言われる毎日。わたしは4姉妹の上から二番目でショートヘア、いつもショートパンツとティシャツをきてる。


妹たちと一緒に寝てる畳。布団を片して卓袱台をいっぱい並べてそこでみんなでご飯を食べる。おとうさんが夕食どきに、やっちゃいけないことについてとつとつ語る。海と男をなめたらいけないと。海と男は女を優しく呼び込むけれど、なめてかかると溺れるはめになる、と。


わたしに生理がきてることはおとうさんはたぶん知ってはいる。もう子供を産める年頃だということも。お母さんが一番上のお姉ちゃんを産んだとしを、わたしがもう超えていることも。だからおとうさんはよけいに色々うるさく言ってくる。

わたしたち姉妹の隠語で、セックスすることを、「海に入る」と言った。普通に海に入るときも、海に入る、と言うから、結構紛らわしくてそれで笑う。自宅のそばには海はないから、これは別荘にいる時だけ使える隠語。女の子同士の秘密を持って、男たちへの優越感を持って、ある程度の事には慣れてるという体で過ごすことは、発達途上の不安定な心身に悦びと少しの安定を与えた。


この別荘の街に住んでる若い女の子はいなかったので、わたしたちがプラプラしてるだけで男たちはいつもちやほやした。あわよくば嫁に来て、たくさん跡継ぎを産んで欲しいとでも思ったのだろう。


わたしはそういうのにガツガツしないたちのひとが好きなので、なるべくガツガツしてないひとを選んで、一緒に海に入った。ご飯を食べて美味しさを感じるときとおなじように快楽を覚え、そこに自責の念や不安はほとんどなかった。気に入れば、どんな年齢のどんな顔のどんな体型のひととも平気だった。


ある日、わたしのことをずっと小娘小娘とばかにしてからかうおかまバーのママと砂浜でゆっくり話をした夜があった。そのまま、妹たちといつも寝ている部屋に来てもらい、畳を仕切り、一緒に「海に入った」。お互い化粧をしたまま。

こんな小娘に…なんて言ってたけれど、おかまバーのママは性指向はヘテロだったので、わたしが上に乗って動くとすぐに快楽の表情を浮かべた。
ママは「どんなに心をゆるしても、化粧は落とせないわ、たぶん落としたらあたしが萎えちゃう、いまのままでいいわ、気持ちいいの」とかずっと話していた。わたしは黙ってそれを聞きながら、波みたいにママの上で揺れた。

あ、ダメッ、とつぶやいた瞬間ママの全身の力が抜けた。いっちゃったんだな、と思ってママから降りた。次はあるかどうかわからないけれど、たぶんママはまたわたしに会えばこの時のことを思い出すだろう。そして3回目くらいの海で、すっぴんでいることを自分に許すだろう。

わたしはちょっとさみしく思い、ひとりで、「生理だったのに海に入っちゃった」とつぶやいた。妹たちがそれを聞きつけて、だれと、どんなだった、と聞いてくる。この子達は早熟に幸せな家庭を持つだろうなと思う。水着についたちょっとの血が、もう終わりの日近くを示している。

その日はラジオ体操もゴミ拾いも宿題も何もかも休んで、走って海まで行った。流された使い古しの海上用ソファがたくさん、150円とかの格安値段で売ってる。わたしも、まだ値段のついていないおとしもののソファを見つけたけど、なんとなく座れなくて、ぽんと叩いて走って通り過ぎる。

ひとりで海に浸かる。
図書館で借りた夏休みの課題図書のことを考えて、手足をだらんとのばして海に浮かんでいる。
たぶん私の血も少しだけ海に混ざっている。