じゅうがつのライブと仮面の告白 | ぴいなつの頭ん中

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殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

結局人間は自意識から逃れられないのでしょうか。

このままでは全部国のせいにしたくなって市ヶ谷で腹を切るしかなくなってしまいます。すぐに憑依されるのです。母親が私に、三島由紀夫を殊に仮面の告白を読むことをあれだけきびしく禁じていた理由がいまわかった次第です。
三島由紀夫に乗っ取られた眼でこの世を見つめると、とても生きづらいようなのです。

自意識を意識するくせがつくと変なところで陶酔して変なところで恥じて、無邪気に誰かを思ったり褒めたりすることができなくなる。ぜんぶがいつわりになる。表面的にうまくやれてるかんじに見せても、結局その目を見つめることができない。やっとやめられたはずの幼い頃からのくせが再発して、もやもやになってしまう。

じぶんの高い声を殺したい。もっと無邪気になりたい。何も考えずに好きな誰かを思いたい。挙動を意識しすぎて息も自由にできない。なにも意識したくないのに。

誰かを思って叫んでる自分を好きでたまらなくて叫ぶんでしょう?そこには純粋なあがきなんかないのでしょう?苦しい水の中で溺れながら表現したものだってどうせ、苦しがって書いている自分が好きでたまらなくてかっこよく、もしくはかわいらしく思えて、これなら苦しみをうまくかけたかしら、とにやにやしながら他人に見せるのでしょう、


うんざりなのよ


そういうの

自分に対してね。

だから他者の純粋で美しい表現に触れると、悲しくなる。自分のきたなさが。他者の表現がきれいであればあるほど、素敵であればあるほど、悲しくなる。

今日のライブは、全部のバンドとてもよかった。きらきらしていて。それ以上は、言えない。

だいすきなかおりさんを参考にして、素敵なものには素敵だったとはっきりしっかり言うように自分にルールを課したからそれは実践しているけれど、余計なもやもやな考えが邪魔をしていてうまく笑えていたかうまく伝わったかわからない。


楽しかったよ。
ありがとう。