雨戸をしめる、他人の家の音がした。この音は好きだ。ただ自分の部屋には雨戸のある窓がないため、もうしばらく雨戸は閉めていない。
気づいたら眠っていて夕暮れ。電気をつけなくても文庫本を読めた室内も、だんだんと暗くなってきた。この瞬間が好きだ。中学生の頃の、夢中になって本を読んでいるうちに暗くなってきていて、気づいたら視界が機能しないあの感じを思い出す。
その頃の思い出はなぜかいつも砂と汗のまじった匂いがしていて、その匂いがすでに甘酸っぱい。ノートに書いていた名作はもう燃やしてしまったし覚えていないけど、書きたいっていう思いは時々思い出して、いまだに、紙でもなんでもちまちま書いている。今からでも好きな本屋に出掛けようかと思っていたらさらさらと雨が降り出して、隣のうちの人が帰ってきた。車のドアをバタンとしめる音。そんな乱暴にしめんでも、しまるわ。と思いつつそんなに不快ではないBGMとして聞いている。
そういえばもうしばらく家族を乗せて運転などしていない。数年前の夏、とったばかりの免許を引っ提げて家族を牧場に連れて行ったら、帰りの高速道路を運転中眠ってしまって、事故にはならなかったものの恐怖で運転から遠ざかってしまったのだった。
駅までの道は歩いたら40分、どうしようかなーと思っていると、足下で犬、低い声で唸りける。置いてけぼりにされた気分なんだろう。あの犬は、自分の存在理由を問うたりするのかな?オオカミの遠吠えをバウリンガルにかけたら、『ぼくはどうしてここにいるんだよーゥ』って言っていたらしいけど。たぶん、じぶんでいきるオオカミと違って、飼い犬には存在理由に多少自信があるのじゃないかと思う。愛されて、囲われる。自由と家族と選択肢を奪われる代わりにボウルいっぱいの愛をいただく。異常な環境にあっても彼らなりに適応する。よくわからない接触が、異質な生物にとっての愛情表現なのだと、まあ3割くらい理解する。わりきることを覚える。そして、医療と名のつくわけのわからない儀式を受け、葬儀と呼ばれるわけのわからない儀式にて一生を終える。
出掛けようかいなかを考えるうちにどんどん暗くなってきて、自分が持っている中で最も刺激的な本を読み始めることで、自分の脳を落ち着かせようとする。仕事を始めてから、一日どこにも出かけない日なんてたぶん3回目くらいだ。でもこういう日がないと精神のバランスはとれない。
こういう日があるからむしろバランスがとれないのかな?遅くに起きて、昼も寝て、夕方に焦りだし、うっかり飲んだコーヒーで深夜まで眠れない。眠れなさを精神運動興奮のせいにする。
明日はきちんと支度をして、丁寧に出掛けよう。夢の中で爆発した狂おしいくらいの仕事への嫌悪感が再発するのがとても怖いけれど、緊張しながら出かける方があとが楽だから嫌悪感も悪すぎるものでもない。
使っちゃいないはずの携帯は残り充電35%。世間はまだまだお仕事中。読みかけの、『仮面の告白』を開いた。