古書店祭りに殺人者の記憶を探しに行った日 | ぴいなつの頭ん中

ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

1
古書店街通りをスルーして地下鉄の駅に着いた。ちょうどお昼時だったので、低血糖でなまりかけた頭が、駅からなるべく近いところでランチを食べようと誘いかけてきた。二つ返事で了解しほどなくして、駅の入口のすぐとなりにある小さなイタリアンの店が目に留まった。ランチメニューにパスタがあったので、ためらいもなくふらりと入店した。
店の中は老若男女、さまざまな客で静かに賑わっていた。ひとりでランチをするもの、パスタをくるくるしながら恋の相談をするもの、すさんだ顔で携帯をいじりつつ器用にオムライスをすくうもの。あきらかに仕事場からそのままきたというような数人連れの客もいた。わたしは入口近くの二人がけの狭いテーブルをあてがわれ、ランチメニューを渡された。客の流れはそこそこ早く、禁煙席がすぐいっぱいになってしまうため、入ってきた客ひと組ずつに喫煙席がいいか、禁煙席がいいか問うにもかかわらず謝罪の上非喫煙者を喫煙席に誘導したりしてる。こういう時に、何かよい誘導の仕方はないものか。非喫煙者は禁煙席を期待して「たばこを吸いません」と伝えるのに、結局誘導されるのが喫煙席では、たばこ吸わないって言った意味がないじゃないかと思う。しかし店内に入って、人数を言うついでに煙草を吸う吸わない言うのなんて大した労力じゃないし、そういうところもしかたないなと笑えるのが大人というものだ。わたしもたばこの煙は正直どうでもいい。髪の毛に臭いがついたらオエーって顔して綺麗に洗えばいいのだ。副流煙は身体に悪いが、立ち飲み屋でのバイトで慣れきってしまった私の剛強肺胞は、今更浴びるちょびっとばかりの煙草の煙には汚せない。

よく見てみるとここの店内にいる客のほとんどが私なのであった。客だけではなく店員も、ひとり残らず私なのであった。姿形は一見違うように見せても、何か眼には映らない芯の部分で私であることが明らかだった。仕事の話をしながらオムライスをぱくつくのも私だった。付き合っている彼氏について相談している女もどう見ても私で、相談を聴きながら共感を全面アピールする女も確実に私だった。すごいところに来てしまったわけだが、こういうこともままあるわな、とぼんやり食事を待っていた。隣に座ったショートヘアの女も、今注文を終えてサブカル臭のする文庫本に喰いついているが、はっきりと昔の私の様相であった。
ちゃんと盗み見してみると、彼女はだてめがねをかけて、スタンダールの赤と黒を読んでいた。赤と黒のとがっててあやしげな表紙がとてもそそる。私も読みたくなってきて、ねえ、それどんな本なの、と話しかけたくなる。だけど話しかけない。私は、私に対していきなり話しかけてくる人には驚きとはにかみの対応しかできない。そして他人のそういう対応に触れると、話しかけた側の私はまごついてしまってうまく話せなくなる。そんなことは私がいちばん分かっている。
窓辺に座っているマダムは時間軸的には少し先の私であった。夫についての話や服だの靴だの装飾品について話していた。いずれ私もこういう価値観を持ち始めるのだ。そしてこんな風なちょっとこなれた話し方をするんだなあと受け入れることができた。
店員も私だった。ひとりは高校生の時の私のようであった。目立たなくておとなしい。でも仕事のためといって無理して声を張るから、不自然に間延びした「ありがとうございまーす」が逆立ちをしてるように聞こえる。もう一人は大学時代の私だった。だいたい仕事人としての振る舞いが身に付いてきて、優しくてまるい「ありがとうございまーす」が言える。客の誘導もわりとスムーズだ。鈍感なところはこの時も、今も変わっていない。(つづく