それは処女だったのかもしれない。膜なんてなかったけど、処女膜なんていうのは女の子が生活の中でふっと両足を開いただけでひらりと破けてしまうものだときいたことがあるし。ただ、なんとなくその詳細は知りたくなくて知らないままになっている。自分とは異なる形状のせいきを持つ存在だってだけでも恐ろしいのに、それ自身が深い洞窟のような、逃げられない迷路のような形をしているから、そんな膜のことなんて知り始めたらもっともっと恐怖の想像が広がってしまうと思うからだ。その洞穴が自分と関わるなんて夢のまた夢のように怖くて避けたい事象なのだ。
だから自分は本物の洞穴に遭遇したことはない。だから冒頭で、かもしれない、と言ったのだ。自分が出会ったのは、一粒のマシュマロだった。手のひらを覆うほどの割りと大きなマシュマロで、夜中にこっそり入った病院の売店で買った。
家に帰ったら棒をさして、焼いてとろとろにしてから食べようと思っていた。手のひらほどの大きさのマシュマロは、その中身のなさに似合わずずっしりとしていながらふわふわとした質感を主張していた。マシュマロを焼いたことのない人間は、本物のマシュマロの魅力を知らないと本気で思う。自分は幼い頃スヌーピーの漫画でマシュマロは焼いて食べるものだと知った。遠い何処かの国で独り放浪するスヌーピーの兄弟(ひげが生えて帽子をかぶっていたような気がする。明らかにチャーリーの家のスヌーピーよりも年上な感じであったが詳しいことは覚えていない)がそこらで拾ってきたみたいな適当な木の棒にマシュマロを刺し、焼いている風景は新鮮で、なんだか真似してみたい衝動にかられたのだった。10歳の頃初めてマシュマロを焼いた。焦げきる寸前で火から離し、熱いままかじってみた時のあの感動は忘れられない。外側の無表情だった白さがきつね色になり、砂糖を焦がしたようなかりかりとした食感がした。と思うと内側はとろとろに溶かされ、やけどしそうに熱い中身が舌のうえをいっぱいにした。その時の幸運は自分だけのものにしておきたいので明記しない。これだけ大きなマシュマロなら、焼いて食べた時の幸福もひとしおであろうと期待した。想像しただけで全身の毛がくるくると踊った。
家に大切に持ち帰り、さっそくその大きなマシュマロに触れてみた。テーブルの上にひとつだけ可愛らしいマシュマロ。
しかし自分が何かするまえに、マシュマロはしんでしまうのだった。はずかしそうにしているのを、無理に触ったからなのかもしれない。マシュマロはしんでしまった。
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