「死の棘」 | ぴいなつの頭ん中

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   島尾敏雄の「死の棘」について


 やっとのことで読了しました。長かった…
この本自体はやばいほど分厚いわけじゃないんだけど、展開が冗長に感じられて読むのがつらかったです。
いや、この冗長さこそが、本編の夫妻の長期間にわたる「もつれあい」そのものを象徴しているのだから、
これが「長い」っつって批判することはしませんよ。

 お話は、簡単に言うと、ひと組の夫婦(みほさんととしおさん。プラス小さい子供二人。伸一くんとマヤちゃん)がいて、夫が不倫しまくってたのがばれて、今までやさしくて献身的だった妻が修羅場で豹変してだんだん気がおかしくなってって・・・という感じです。
って書くとなんかただどろどろして汚い、よくある夫婦喧嘩モノみたいにしか聞こえないのがもどかしいんだけど、この「死の棘」読んでて愛について考えさせられました。


私には共依存的傾向があります。共依存状態から回復し、正常で健康的な人間関係を築くために共依存について勉強してるとこなんです。


 なのでこれを読んでるとき、最初は「これ完全に共依存じゃねーか…そうやって傷つきあっておたがいつらいなら別れちゃえよ」とか思ってました。なんでこの夫婦は、一緒に死ぬとかいう前に離婚するっていう考えが頭にないのか。
確かに何度も離れようとしました。だけどとしおさんは妻をおいてちょっと外出するだけでも、修羅場から解放されて自由に羽ばたいてる気持ちになるのに、それでも外出してしばらくすると、長時間妻の元を離れたら、また女のところに行ってるんじゃないかって疑われてしまうって怖くなって、妻の元に帰りたくなってしまいます。
 としおさんの恐怖の原因は、妻のただならぬ豹変、発狂にもありますが、としおさんが本当に恐れているのは、妻を失うこと。としおさんの心は妻への執着でいっぱいなのです。
 妻のみほさんもまた、としおさんにはげしく執着しています。怒りをぶつけ、悲しみをぶつけ、渇愛をぶつけています。
 この執着は、一緒にいる時間をかさねるうち生じてきた「なぜかわからないけど愛してる」という思い込みからきているのだと思います。


 無償の愛だとか、純粋できれいな愛とかじゃなく、きたなく蒸れた、いびつな愛の形。

 しかしそもそも、人間同士の愛によるつながりの関係に、完全で傷も汚れもなくきれいな愛情なんてあるのでしょうか。
 ほんとうのきれいな愛を知ってる人間なんてこの世にいるのでしょうか。
 私は、否とおもいます。


 人間の愛情にはどこか利己的で汚かったり歪んでいたり傷があったりするものなのではないでしょうか。
 一人の人を愛するにしても、そこの導入部には、「こんなところが好き」という自分の趣味・趣向があります。それが形を作っていって、「もうこの人のすべてが好きだ。何が好きなのか、なんで好きなのかなんかわからん」という愛情に変わることができたとしても、その愛には「こんなに私が思いを注いでいるのだから私のことも愛してほしい、思ってほしい」という欲求が芽生えます。


 きれいな愛なんて、罪深い人間には実現不可能なのです。人間がやっていることはごっこ遊びに近いと思います。
 それでも、自分が愛を与えたい対象の前では、本物っぽく見えたらそれでいいのです。
 そのことを理解したら、もっと自分の愛をきれいに見せようと努力できるし、他人の愛情にも依存せずに冷静に愛をうけとることができるのではないかと思います。




それともうひとつ。
 二人はなんども道連れに死のうとしますがうまくいきません。(これで死んじゃったらもうほんといわゆる「よくあるおはなし」になってしまいますよね。)
このふたりが死なないのは、死なないからこそ意味があるんです。
 蒸れて腐った愛を、捨ててしまうことは簡単です。忘れてしまえばいいのです。悪い夢だと思って。こんなこともあったなあとかんがえながら自分が死ぬか、相手を殺すかして終わらせてしまえば楽になれます。
 だけど、この夫婦はそうはしませんでした。たとえ心に執着心とか意地しかなかったとしても、苦しみながらもそばにいることを決めました。汚い形のままで、共に生きようと決めたのです。


喪失の思い出として、もう得られないものとして心の中に幻想のようにきらきらさせているよりも、汚いままもつれあい傷つけあいながら血を通わせ続けるほうが、どれだけ難しいことでしょう。
 これこそが、人間にできる愛情のごっこ遊びの至上のかたちなのかもしれないと、感じさせられたのです。
 私も、どんなかたちでもいいから長く太く血をかよわせる愛をだれかと実現させたい。
 こんなに凶暴じゃなくていいけど。


 ちなみにこの作品は島尾氏自身の自叙伝的側面があり、この本には書かれてないですが、現実の島尾氏の奥さんのこころの病気は、島尾氏の献身的看病によって快方に向かったそうです

 夫の罪の大きさのぶん、償いをするのにたくさんの愛を必要としたんでしょうね…妻の中でその愛が満たされたことにより、妻の心もきっと最終的には応えてくれたのかも。

支離滅裂ですがここまでにします。