【プロフィールストーリー③】未来に絶望を感じていた中学時代
小学校の時、わたしにかけっこが速いという才能があるということに気づきました。中学生になったら、陸上部に入ろうと決めていました。通う中学は、家から5分の中学校。陸上競技部に入ったものの専門の先生が、いない・・・。顧問は、数学の先生。技術的な指導は、ほとんどありません。前年までは、専門の先生がいて先輩たちは、その指導を受けていました。ですから、先輩のいう練習をする・・・そんな感じです。3年生が引退するとぼちぼち、さぼり始める。部室でおしゃべりして終わり…という日もある。サークルのような部活。試合が近くなる頃になると練習に励みだすそんな雰囲気でした。そんな状態でしたけど、2年生になると個人種目とリレーで県大会に出場するようになりました。ところが、今となっては信じられないことですが、地区大会で優勝すると喜んだ先生がお酒を飲んでよっぱらってうちにやってくる・・・ということが度々。当時、学校の先生は絶対な存在。酔っ払い先生の前に座って話を聞くという地獄の時間が試合に勝ったあと訪れるようになりました。うちは、親戚でお酒を飲む人がいないので、酔っ払いを初めて見たのが先生だというショック父が仕事から帰宅するまでつづくのです。拷問のような時間でした。先生に反抗する勇気も元気もなかったのですが、その先生の授業は、一切顔を上げて先生と目を合わせない。というくらい強烈に嫌になりました。このショックは、大きくて、勝つと必ずお酒を飲んでやってくる(※今となってはのどかな時代だったといえますが)勝たなきゃ、来ない?これから、試合の決勝だというときに、「頑張って走るべきか? 1番なんてならないほうがいいのか?」笑い話のようですが、多感な中学生は、そんなことを思いながらスタートラインにたっていたのです。結果、「どっちでもいいよね。 ただ走る、それだけ」どこかなげやりのようなあきらめのようなそんな心境でした。そんな気持ちとは裏腹にわたしは大きな試合でも平常心で望む術を身に着けました。この中学2年生に身に着けた「結果に執着しないマインド」はその後、わたしの人生の根幹みたいになりました。子どもなりに考えた天に身を任せるという受け身的な考え。親が病弱、先生がお酒癖が悪い。進んだ学校に、専門の先生がいない・・・。中学の陸上競技は100mで全国大会で準決勝まで進むというところが、最高でした。その試合を国立競技場まで応援に来た両親は、その後、体調不良になるというなんだか、親に頼れない気持ち満載。環境的に、ネガテイブとも思える状態からうまれた、絶望感。自分の力でどうしようもできないこと。どうしようもできないことにはあらがわない・・・。そんなあきらめのような開き直りのような気持ちを中学生の頃に思っていました。未来は、明るいなんて思えない。わたしの悲しさは誰にも言えない。そんな暗さを秘めた中学時代でした。つづく『陸上競技 命 高校時代前半 プロフィールストーリー④』絶望感満載の中学時代のつづきです。ベース、親に頼れない。というのがありました。父親は精神的な病気の後も神経質でしつけに厳しい人でした。いつも怒られな…ameblo.jp