小学校の時、

わたしにかけっこが速いと

いう才能があるということに

気づきました。

 

 

中学生になったら、

陸上部に入ろうと決めていました。

 

通う中学は、家から5分の中学校。

陸上競技部に入ったものの

専門の先生が、いない・・・。

 

顧問は、数学の先生。

技術的な指導は、ほとんどありません。

 

前年までは、専門の先生がいて

先輩たちは、その指導を受けていました。

 

ですから、先輩のいう練習をする・・・

そんな感じです。

 

3年生が引退すると

ぼちぼち、さぼり始める。

部室でおしゃべりして

終わり…という日もある。

 

サークルのような部活。

試合が近くなる頃になると

練習に励みだす

そんな雰囲気でした。

 

 

そんな状態でしたけど、

2年生になると

個人種目とリレーで

県大会に出場するようになりました。

 

ところが、

今となっては信じられないことですが、

 

地区大会で優勝すると

喜んだ先生が

お酒を飲んでよっぱらって

うちにやってくる・・・という

ことが度々。

 

当時、学校の先生は絶対な存在。

 

酔っ払い先生の前に

座って話を聞くという

地獄の時間が

試合に勝ったあと訪れるようになりました。

 

 

 

 

うちは、親戚でお酒を飲む人が

いないので、

酔っ払いを初めて見たのが

先生だというショックびっくり

 

父が仕事から帰宅するまで

つづくのです。

拷問のような時間でした。

 

 

先生に反抗する勇気も元気もなかった

のですが、

その先生の授業は、一切顔を上げて

先生と目を合わせない。

というくらい

強烈に嫌になりました。

 

 

このショックは、

大きくて、

勝つと必ずお酒を飲んでやってくる

(※今となってはのどかな時代だったといえますが)

 

勝たなきゃ、来ない?

 

 

 

これから、試合の決勝だ

というときに、

 

「頑張って走るべきか?

 1番なんてならないほうがいいのか?」

 

笑い話のようですが、

多感な中学生は、

そんなことを思いながら

スタートラインにたっていたのです。

 

 

結果、

「どっちでもいいよね。

 ただ走る、それだけ」

 

 

どこかなげやりのような

あきらめのような

そんな心境でした。

 

 

そんな気持ちとは

裏腹に

わたしは大きな試合でも

平常心で望む術を身に着けました。

 

 

この中学2年生に身に着けた

「結果に執着しないマインド」は

その後、

わたしの人生の根幹みたいになりました。

 

 

子どもなりに考えた

天に身を任せるという受け身的な考え。

 

 

親が病弱、

先生がお酒癖が悪い。

進んだ学校に、専門の先生がいない・・・。

 

 

中学の陸上競技は

100mで全国大会で準決勝まで

進むというところが、

最高でした。

 

 

その試合を国立競技場まで

応援に来た両親は、

その後、体調不良になるという

なんだか、

親に頼れない気持ち満載。

 

 

環境的に、

ネガテイブとも思える状態から

うまれた、

絶望感。

 

自分の力でどうしようもできないこと。

 

どうしようもできないことには

あらがわない・・・。

 

 

そんなあきらめのような

開き直りのような

気持ちを中学生の頃に

思っていました。

 

未来は、明るいなんて

思えない。

 

 

わたしの悲しさは

誰にも言えない。

 

そんな暗さを

秘めた中学時代でした。

 

 

つづく