昨日の会議。
話していると、教育の話になって
そのあと、コーチングに話になってしまった。
彼女は、原因不明のうつになる事があるという。
ある日突然、ベットから出る事が出来なくなるそうだ。
昨日は、全然普通、活発な感じだったが。
自分にはまだ、それが見抜く事ができない。
いままで学んだ気づきやスキルを
明るい意識を取り戻させる事ができれば....
そんな衝動に気持ちは動く。
セッションの数がまだまだ。
コーチングのセミナーでは、自分の仕事であるデザインに役立てる事ができるという理由で学んだが
今は、少し違う。
プロのコーチとしても活動ができるスキルを身につけて、
自分と関わりのある人たちの為に
気持ちの重圧を取り除き
そして、明るい未来を見る事ができる
そんな強い思いにかられた日でした。
映像を照明に融合させる考え方をいろんな施設に提案してきた
その考え方が面白いとご評価をいただき
某美大が乗る気になっている。
もちろん僕も乗る気一杯だ。
実際その内容を教えるとなると授業や実習に進め方を検討する必要がある。
もちろん教科書は無い。
カリキュラムを検討する上で大事になるのは、
どういう卒業生を社会に送り出す考えか?
学校はランチャー(発射台)のようなもの、どの方向にどれぐらいの力でおくりだせば良いか
そしてそれをどんな企業が受け止めるか?
企業にとって都合の良い人材が卒業生たちにとっても都合の良いものであるとは思えない。
美大の場合、要求されるスキルは、クリエィティブな力。
無から自分の表現したいものをつく出す力だ。
いろんなものを作りたいという欲求は、アーティストにとって
原理、根っこの部分の考え方。
新しい考え方に気づく事で、デザインの芯の部分が明確になり、どういうコンセプトで
作品の必然性がうまてくる。理屈ポイかも知れないが、この目的性を常に意識することで
作品を通じて鑑賞者と心と心のコミニュケーションが出来ると
感動を本当に与える事の出来る作品が完成すると考えている。
今、自分が教えようとしているのは、テクニックの部分。
テクニックは、基本、知識に終わってしまう。
魚釣りで言えば、魚の食べ方を教えているに過ぎない。
つまり、魚が無いと喰うに困る。
本来は、魚のつり方を教える、そんな授業が必要だろう。
実習の内容を検討する事になりそうな今日の話。
いろんな場面で人に教えてきたが、
その考え方が面白いとご評価をいただき
某美大が乗る気になっている。
もちろん僕も乗る気一杯だ。
実際その内容を教えるとなると授業や実習に進め方を検討する必要がある。
もちろん教科書は無い。
カリキュラムを検討する上で大事になるのは、
どういう卒業生を社会に送り出す考えか?
学校はランチャー(発射台)のようなもの、どの方向にどれぐらいの力でおくりだせば良いか
そしてそれをどんな企業が受け止めるか?
企業にとって都合の良い人材が卒業生たちにとっても都合の良いものであるとは思えない。
美大の場合、要求されるスキルは、クリエィティブな力。
無から自分の表現したいものをつく出す力だ。
いろんなものを作りたいという欲求は、アーティストにとって
原理、根っこの部分の考え方。
新しい考え方に気づく事で、デザインの芯の部分が明確になり、どういうコンセプトで
作品の必然性がうまてくる。理屈ポイかも知れないが、この目的性を常に意識することで
作品を通じて鑑賞者と心と心のコミニュケーションが出来ると
感動を本当に与える事の出来る作品が完成すると考えている。
今、自分が教えようとしているのは、テクニックの部分。
テクニックは、基本、知識に終わってしまう。
魚釣りで言えば、魚の食べ方を教えているに過ぎない。
つまり、魚が無いと喰うに困る。
本来は、魚のつり方を教える、そんな授業が必要だろう。
実習の内容を検討する事になりそうな今日の話。
いろんな場面で人に教えてきたが、
試練は、自分力のトレーニング。
昨日、大阪時代の友人を信じた。
本当に間違う事が無いと信じたのだが。
それが実行されなかった。
いわゆる、裏切られたという事になる。
それでも、友人を立てようとすると、自分が約束を破ることになる。
他人を信用する事は、自分を信用する事につながる。
自分にいかに正直に向き合うか?
自分の目指す心にいかに忠実に従うか?
もしかすると、一番の試練は、自分に正直である事かも知れない。
昨日から、心に大きな痛みを感じる。
でも、この痛みは、自分が他のだれかに与えた痛みかも知れない。
今、ここでその事に気づく事ができた。
裏切りが大きな場合は、大きな痛みになると思うのは、自分自身の考え。
大きいか、小さいかそれは、それを受け止めた相手にしか解らない。
それは人によって様々。
小さな裏切りを犯している自分を
自分が許している。
許し続ける と
やがて、小さな事が小さく感じなくなる。
その連鎖をきちんと断ち切る
昨日、大阪時代の友人を信じた。
本当に間違う事が無いと信じたのだが。
それが実行されなかった。
いわゆる、裏切られたという事になる。
それでも、友人を立てようとすると、自分が約束を破ることになる。
他人を信用する事は、自分を信用する事につながる。
自分にいかに正直に向き合うか?
自分の目指す心にいかに忠実に従うか?
もしかすると、一番の試練は、自分に正直である事かも知れない。
昨日から、心に大きな痛みを感じる。
でも、この痛みは、自分が他のだれかに与えた痛みかも知れない。
今、ここでその事に気づく事ができた。
裏切りが大きな場合は、大きな痛みになると思うのは、自分自身の考え。
大きいか、小さいかそれは、それを受け止めた相手にしか解らない。
それは人によって様々。
小さな裏切りを犯している自分を
自分が許している。
許し続ける と
やがて、小さな事が小さく感じなくなる。
その連鎖をきちんと断ち切る
遠慮するとは、きわめて日本的な気遣い、
あの人が意見をだしたので、出しゃばるのは良くないので、意見を差し控える。
そんな事が美徳であるという思い込みが根底に流れているのではないかと昨日
ふと、脳裏をよぎった。
もちろん、第一人者の意見は尊重し、その人格についても尊重した上で、
自分の考え方や、それをもっと良くする為の意見をプレゼンテーションする。
いきなりの意見は、やはり、失礼だし、良い意見でも相手からすると「反対意見」
ととらえられ、建設的な改善方法に直結していかない。
プレゼンをする側とされる側が相互に話を受け入れる、意見の分析をするためにはちょっとした
工夫が必要になる。
意見はその現象や、行った事についての問題、だからその部分を軌道修正する事さえできれば
改善が出来る。
人格について意見を言う訳では無い。人格の悪い人などいないのだ。
意見された事を自分の人格についてのものだと、勘違いしてしまい。
口論の火種になったりする。
だからぜんぜんOKと思う事が大事になる。
あの人が意見をだしたので、出しゃばるのは良くないので、意見を差し控える。
そんな事が美徳であるという思い込みが根底に流れているのではないかと昨日
ふと、脳裏をよぎった。
もちろん、第一人者の意見は尊重し、その人格についても尊重した上で、
自分の考え方や、それをもっと良くする為の意見をプレゼンテーションする。
いきなりの意見は、やはり、失礼だし、良い意見でも相手からすると「反対意見」
ととらえられ、建設的な改善方法に直結していかない。
プレゼンをする側とされる側が相互に話を受け入れる、意見の分析をするためにはちょっとした
工夫が必要になる。
意見はその現象や、行った事についての問題、だからその部分を軌道修正する事さえできれば
改善が出来る。
人格について意見を言う訳では無い。人格の悪い人などいないのだ。
意見された事を自分の人格についてのものだと、勘違いしてしまい。
口論の火種になったりする。
だからぜんぜんOKと思う事が大事になる。